旅先を歩く

僕は旅行先をだいたい歩くようにしている。当たり前だと思うかもしれないけれど、歩ける距離だったら電車やバス、タクシーもなるべく使わない。休憩は入れるけれどやはり5時間6時間は歩く。

 

ホーチミンを歩く

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初めて一人で旅行したホーチミンは、初一人旅ということもあり怖くてホテルと外を行ったり来たり。ホテルの部屋はボロく、窓がなく、狭いけれど一人部屋だった。荷物を置き、地図を手に持ちガイドブックを折り畳んでケツのポケットに入れ、リュックサックに財布やパスポートを入れ、首からオリンパスのペンを下げて街に繰り出した。4月のクソ暑い日で38℃、東南アジアの熱帯特有蒸し暑さ。ドンコイ通りという観光客だらけの通りの近くに宿があり、そこから歩くと角ごとに声をかけられる。「タクシー、タクシー」主にバイクタクシーだ。日本人がよく泊まるホテルの近くには日本語で話しかけてくる現地人客引きもいる。土産屋では日本語を少し話す現地人がいる。それ以外は英語。英語もそこまで通じるわけではなく、なんとなく身振り手振り、僕が発しているのは主に日本語、タクシーに乗るとガイドブックの写真を指さしたりしながら行き先を告げたり、それ以外は本当にひたすら歩いた。お陰で、ホテルから街の中心地への道のり、街のイメージ図、地図といったものが今でも頭の中にある。ちょうど、Googleストリートビューが頭の中にあるような感じで、ホテルを中心に行きたい方向へ進むと景色が更新される。その範囲というのは本当によく歩いた地域周辺に限られる。

プラハの街を歩く

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プラハへ行った時には初日に約10時間歩いた。飛ばしすぎて次の日から歩けなくなり、フリーパスで地下鉄を乗りまくった。僕はイーペーパブロヴァという駅の近くにホテルをとっており、そこから地下鉄で北上してムゼウムかヴァーツラフ広場で降りる。もしくは乗り換えてそのままプラハ城まで行ったり、カレル橋を歩いて渡ったり、ホテルまでも何度か徒歩で往復した。プラハの街は坂が多く、大きな荷物を背負って歩くのは大変だった。街並みは綺麗だった。外観は古いまま残されているけれど、中にはエレベーターもありwi-fiも飛んでいる近代的なビルというのがよくあった。僕は盆シーズンに一人でプラハに居たんだけど、観光客はものすごく多いにもかかわらず、日本人を全く見かけなかった。アジア人はたまにいるぐらい。この時期もクソ暑くて、僕はずっと短パンで過ごしていたら屋内に入るとエアコンで寒くて困った。プラハの街は迷路のようで、特に歩くのが楽しかった。同じ道を行ったり来たりして、地下道の途中で売っているピザ屋でピザを買って食べたり、テラス席でビールを飲んだり。チェコは特にビールがおいしいから毎日飲んでいた。昼間からビールを飲んで頭痛くなったりもしていた。プラハは昼間から旅行者がビール飲んで歩けるぐらい安全な街だったけれど、フローレンスバスターミナルの辺りとかはちょっと人の層や雰囲気が違った。旧市街やプラハ城のあたりなんかは基本的に治安がいいと思います。

インドを歩く

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インドはニューデリーもバラナシもアグラもよく歩いた。インドもう一回行きたいなあ。インドへ行ったのも盆シーズンであり、死ぬほど暑かった。脱水症状になるんじゃないかと思うぐらい汗をかき、真っ黒に焼けた。僕はインドにびびっていた。インドのカオスっぷりを目の前にしてたじろいでいた。同時に好奇心もそそられた。ニューデリーの空港に着き、送迎付きだったから待っていたら1時間ぐらい来ない。その間中ずっと空港の外のロータリーにある液晶でノキアのCMが繰り返されていた。ノキアのCMは白人の男女がパーティーの中継などを世界中でやっているビデオだった。
空港からホテルへ送迎され、到着したのは午前1時。せっかく旅先に来て、着いて初日そのまま寝るというのももったない。しかしここはよくわからない土地、おまけに深夜1時。僕は当時の会社の同僚と二人で来ていたから、やばそうだったら戻ろうってことでニューデリーの深夜1時を歩き出した。ここは街の中心地から少し離れており、静かだった。犬。走り回る犬。歩き回る犬。野良犬だらけ。この野良犬たちは絡んできたり吠えてきたりってことはまずなく、人間に慣れている。だけど夜になると5、6匹引き連れて走り回る。あれが怖い。どう見ても怖い。結局初日はホテルの周辺をぐるっと周って店も全然開いている様子もなく、1時間ぐらいでホテルに戻って寝た。ニューデリーにいたのは3日ぐらいで街も広く回りきれていないから僕のGoogleストリートビューはあまり機能しない。バラナシも2日しか滞在せず入り組んでいたから余計に思い出せない。意外とアグラがタージマハル以外に行くところなくてブラブラしていたからまだ覚えている。インドは食事に当たるというのが有名だから、さすがに怖くてガイドブックに載っているレストランに行ったり、めんどくさい時はマクドナルドに行ったりしていた。インドのマクドナルドはビッグマックの代わりにマハラジャマックというメニューがあった。ヒンズー教は基本的にベジタリアンで牛肉は食べないからマクドナルドにも牛肉のメニューはない。インドではオートリキシャーが安く、どこでも乗りまくっていた。

バンコクを歩く

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バンコクもよく歩いたなあ。バンコクはあまりやることがない割に9日間もあったから、正直暇だった。空港に降り立ったのが午後9時頃で、そこから電車で市街地へと向かい、駅からはタクシーか歩くしかない。歩いたら1時間かかるのは事前に調べていた。でも僕は結局歩いた。初めて来た国を、深夜でかい荷物かついで歩くのは怖いと思っていた。でも僕が歩いていた大通りはとにかく人が少なかった。車はまばらに走っており、危ない雰囲気を感じなかったからそのままホテルまで歩いた。最初のうちはカオサンロードの近くに泊まり、夜出歩いたり昼は一応寺とか仏像を眺めに行った。年末年始だったけれど、気温はだいたい30℃近く。昼間は本当に暑くて参った。歩くのが大変だった。バンコクはそのカオサンロードのあたりと、スクンビットのあたりにも泊まった。毎日何してたんだろう。ビール飲んでいたことしか覚えていない。あまりにも暇で、途中電車に乗ってアユタヤを訪問した。そしてバスに乗って帰ってきた。バンコクはそこそこ広いため街歩きは大変かもしれない。スカイトレインだっけ、あれにもよく乗った。ショッピングセンターとか若者の街っぽいところ、名前忘れたけどそういう近代的な街も見てきた。バンコクで驚いたのは、当時何年前だ、3、4年前かな、街中どこでもwi-fiが使えたところ。それはどこでも各種wi-fiが拾えるという意味ではなく、契約している一つのwi-fiがどこでも拾えるようになっていた。地下鉄の中でもどこでも。当時最先端を行っていたから、今はもっと進んでいるのかな。そのあたりはすごく気になる。

こういうの書き出してみると、僕は一人で本当に何やってるんだろう。夢遊病みたいなやつの重症版だろうか。旅先を歩くエピソードは他にもいっぱいある。最近だとキューバがそうだし、ケベックシティーもたくさん歩いた。気になった人がいたらこのBlogについて、にまとめています。誰かと一緒に旅行していたりすると、一人でどんどん歩いて行くのやめてって言われます。さあ、次の予定はとりあえずニューヨークを再び、半日ほど歩く。3度目のニューヨークはさすがにただ通り過ぎるだけ。ニューヨークからストックホルムに着くと街を数時間だけ歩いてまた別の空港へ。そこからポーランドのクラクフ、着くのは夜9時頃の予定。うわ、着いてからどうしよう。荷物が多分15kgぐらいある。