前回の続き
サラエボも最終日となるともうあまりやりたいことがなく、また朝から雨が降っておりホステルに引きこもってブログを書いたり服を洗ったり次の目的地へ向けての用意をだらだらとしていた。あれから宿泊客は、深夜に車の鍵を忘れたという男性が泊まりに来たぐらいだった。彼は紛争のあとアメリカに住んでいたということで流暢なアメリカ英語を話していた。
「君はどこから来たんだい?へえ日本か、遠いね。旅行中なんだ。次はどこに行くんだ?モスタルか!俺はモスタル出身なんだよ。サラエボよりも静かできれいだし物価も安くていいぜ!でも向こうにいたら仕事がないから俺はこっちに出稼ぎに来てるってわけだ。なんたってサラエボは首都だからな!」
夜のサラエボ
サラエボを出る前に夜の写真を撮っておこうと思い、カメラを持って歩いたけれど夜のサラエボはあまり照明がなく、暗い写真ばかりになった。
サラエボ滞在中にサッカーの試合がやっている日があり、その日はすごく盛り上がっていた。街中の至る所にスクリーンが掲げられ、バーのテラス等に多くの人が集まって試合を観戦していた。その日はボスニア・ヘルツェゴビナのナショナルチームが3点取って勝利したようであり、点を取った時や勝利が決まった時の街の盛り上がり方はまるでスタジアムにいるみたいだった。その日は残念ながら写真を撮り忘れた。元々ユーゴスラヴィアはサッカーが強かった。日本で有名なのはストイコビッチとか、一瞬だけ日本代表の監督をしていたオシムも確かボスニア人だ。ユーゴスラヴィア解体後にボスニア・ヘルツェゴビナのナショナルチームがワールドカップ出場できたのは、前回が初めてだったんじゃないだろうか。
サラエボを発つ
次の日の昼、5日滞在したホステルのオーナーに別れを告げ、僕はバスターミナルへ向かった。最後にバーテンの兄ちゃんにも挨拶したかったけれど勤務時間の関係で会えなかった。彼は「日本のサムライって今もいるのか?」とか「日本酒ってどんな酒なんだ?」など日本についてもいろいろ聞いていた。関心を持っていたようだった。何よりこのホステルで彼が一番親切で面白く、世話になった。
バスターミナルでは若い旅行者が一人、英語が通じないことに苦戦していた。バスのチケット売り場のおっさんにいろいろ聞いているみたいだが会話が成り立っていない。僕は横から割り込んで話しかけた。
「旧市街ならここからトラムで1番か4番だよ。どっちか忘れたけど東に向かうのに乗ればいい。旧市街までは10分ぐらいかな。小さい街だから徒歩でも30分で行ける。見て回るだけなら1時間もあれば十分足りる。じっくり見たくても2日あれば十分だと思うよ。トラムは停留所のコールなんてしないから、目で見て景色で判断して降りるしかない。そのかわり全ての停留所に必ず止まるから行き過ぎることはない。1回の乗車が1.8KMでチケットはドライバーから買える。使えるのは一回きりだ」
「ありがとう!どこから来たんだ?日本人か!俺は日本人の旅行者と会ったことがなかったんだよ。写真撮らせてくれよ」
彼はフランスから来ているそうだ。見た目20歳そこそこの若い学生だった。バスで旅して回っているらしい。僕がカナダに1年いてその後ヨーロッパを回ってそのままオーストラリアに1年滞在するという話をしたらcrazyだと言われた。良くも悪くもってところだろうか。彼はサラエボの旧市街へと向かった。僕と入れ違いでこれから見て回るのだろう。僕はモスタルへ行くバスへと乗り込んだ。バスの席にはそこそこ余裕があり、大きな山を越え谷を超え、モスタルへはそれほど時間がかからなかった。スレブレニツァよりも近かったと思う。ちなみにモスタルへは電車でも行ける。電車だとバスの半額ぐらいで行けるものの便が少なく、僕はこれ以上待ちたくなかったためバスを選んだ。
参考:サラエボ→モスタル バス移動・時刻表・列車との比較について - 音緑 中央線西荻窪キャンプ
モスタル到着
バスに乗ること2時間半、モスタルに近づくと大きな山が見えた。山の頂上には大きな十字架がかかっていた。僕はこの土地に来てまず初めに、その雄大な山の姿に魅せられた。
バスターミナルに着き、バスを降りてからもしばらくその山を眺めていた。すると金髪で痩せており日に焼けた、頭にサングラスを乗せたおばさんに声をかけられた。ホステルの勧誘らしく、僕は「既に予約しているんだ」と答えたら「どこを予約したの?」と聞かれた。
「Villa Sunnっていうホステルだけど」
「そこだったらあの橋の方へ真っすぐ行って2本目の通路を左に曲がったら着くよ」
「ありがとう」
ただの親切な人おばさんだった。僕はおばさんの言うとおりに橋の方へ歩いていった。しかし僕はおばさんの道案内を聞き間違えており、てっきり橋を渡ってから2本目だと思っていたのが実は橋をわたる前の道を左に曲がらないといけなかった。その勘違いのせいで道に迷った。僕は地図を持っていなかったから、通行人に道を尋ね歩いたけれどそんな特定の小さいホテルの場所なんてわからず、住所を伝えるもののタクシードライバーでもなければ周辺の住所なんて把握していなかった。結局バックパックを担いだまま30分以上さまよい、たどり着いたホステルはバスターミナルからかなり近かった。
モスタルのホステルに到着
ホステルのインターフォンを鳴らすと2階のベランダからおっさんが出てきた。
「今から降りるから待っていてくれ」
そう言われてから10分ぐらい待つと、おっさんが出てきた。おっさんは中に招いてくれてチェックインを済ませると部屋に案内された。
「今は君だけだよ。多分そのうち誰か来るだろう」
そのホステルは2部屋しかなかったものの、リビングが広く快適だった。ソファがあり、テーブルがあり、洗濯機までついていた。サラエボのホステルではスクラバを使って手洗いしていたため、洗濯機があるのは非常に助かる。
モスタルの旧市街
ホステルのチェックインが終わると、僕は街に出かけた。街に出て感じたことは、まず人が少ないということだった。住んでいる人がそもそもあまりいないのか、街自体も小さく観光客もあまり見かけない。旧市街の方へと歩いて行けば観光客は増えたものの、本当にその場所だけに集中していた。街全体はやはり人が少なかった。あまり有名ではないのだろうか。そもそもなんで僕はボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルを知っていたのだろう。3年前からボスニア・ヘルツェゴビナに行くならサラエボとモスタル、そう決めていた。有名な橋を、僕はどこで知ったのだろう。何かの映像であの橋が壊されるところを見ていたのかもしれない。モスタルの一般認知度って一体どれぐらいなんだろうか。さすがにその、スタリ・モストという橋のあたりは観光客が写真を撮りまくっていた。これはサラエボでは見られなかった光景だった。橋そのものではなく、観光客が写真を撮りまくっているという光景が。
モスタルはサラエボ以上に自然に囲まれた街だった。正直なところ、僕はその世界遺産の橋よりも、その下を流れる川と街を取り囲む山が美しいと思った。僕は山の写真ばかり撮っていた。
モスタルの旧市街自体は15分もあれば周れた。この辺りには他に行くところも特になかった。僕はスーパーでポテトチップやビール、水を買い、通りのパン屋でパンを買って一度ホステルへと戻った。もう夕方であり雨が降ってきたため、誰もいないホステルでSolarisを読んだりしながらゆっくりと過ごしていた。
一人ホステルで過ごす夜
夜になり、雨もあがってホステルの庭でビールを飲んでいた。何か光ったな、と思いそちらをよくみると、虫だ。雨上がりの庭を漂う光は蛍だった。蛍を見たのは25年ぶりぐらいになる。京都には螢谷という土地があり、そこで母と妹と、小学校へ入る前の僕はたくさんの蛍を見た。今となってはもう、その場所でも蛍を見ることは叶わないだろう。それがこんなところで偶然見ることになった。僕は思い出もあり、また、蛍という特別な虫が発する幻想的な光を見て、遠い昔の故郷を思い出していた。記憶も定かではない遠い遠い昔、まだ幼かった自分と、家族がいて、町にはまだ自然があり、夜の山の中を舞う蛍の光が思い出された。懐かしかった。
次回、17日目山を登ろうと試みる