もう7月か

最近旅行記しか書いていないため、落ち着いて日記を書きたくなった。僕が書く日記というのはそのほとんどが同じ言葉の繰り返しであり、以前に書いた内容と同じことを思ってまた書き直すというだけの作業。時間だけが進み、自分という存在は、思考は、その時間からも取り残されている。おそらく死ぬ間際まで同じことを言っているのではないだろうか。その根幹にあるのが、自分は自分自身の変化というものを信じていないところにある。よく、人格形成は3歳ぐらいで終わるとか、遺伝で決まるとか血液型や星座などはあてにならないにしても、僕個人において自分自身の変化というものをあまり感じられない。幼い頃からこうだった。3歳、4歳のころから変わっていない。肉体が多少変化し、後付の知識や経験が思考に与える影響はあったとしても、その根本にある人格、知性、感性というものの変化、及び成長というものを感じることができなかった。これまでずっと。変わっていない、成長していないのだから、思うこと、書く内容も変わるはずがない。上塗りだけが変わったかのように見せかけている。僕は3歳頃のままだ。

見識というものが与える影響は、極めて小さい。知って考えたこと、刺激を受けて思いついたこと、それらは所詮自らの枠内でしかない。どんな経験を経ても、それを飛び越えることはできない。もしそれができたとしたら、それは元々備わっていたものなのだろう。つまり勘違いだ。自分をよく理解していなかっただけに等しい。それは限界がどうの、という話ではない。鳥が空を飛べて、人が飛べないのと同じだ。そして道具を利用して空を飛ぶ術を編み出した人は、決して人の枠を越えたわけではない。彼らには肉体とは別の、飛ぶ術を編み出す感性が元々備わっていたというだけ。何が言いたいかというと、日本を離れたところで僕自身はまるで変わっていない。元々こうだった。あるかないかわからないような、いるかいないかわからないような、あってもなくてもいい、そういう曖昧な存在だった。何かを成すことも、残すこともない。誰かの記憶に残ることもない。ただの物体、路傍の石というやつなのだろう。僕に躓いた人がいたとしても、その個体を認識することはできない。

年をとるということは、肉体が衰え死に近づくということ以外の何物でもないと思う。少なくとも僕にとってはそうだった。僕は可能性というものを信じていなかったから、若くて変わること、年を取って変わることというのは単純に肉体や頭脳の制約それ以外にないと思っていた。元々備わっていたものがあってもなくても同じものであったため、年をとって出てくる制約というのも限られている。僕にとってはその限られた制約が致命傷になる場合もあるかもしれないけれど、全体で見ればそれは大きな問題ではないようにも思う。限られた命は、いずれ、やがて、いつかは潰えるのだから。それが早いか遅いか、大病や大きな怪我を抱えて生きるのはつらいと思うけれど、それは大災害や事件、事故に遭うことも同じだろう。運が悪かったとしか言い様がない。

そういった望まない状況からでも学ぶことはできるのだろうか。癌や不治の病、難病を患った人が、それを受け入れるということは少し考えにくい。それも人生だ、なんて当事者になればとても言えないだろう。健康を渇望するに違いない。もしくは、大きな不幸に巻き込まれた人がその状況を受け入れるということはやはり無いことだろう。そういうのは憎むべき対象であり、人類がその種をかけて排除していくべき対象なのだろうと思う。志はどうあれ、そういうことに従事する人たちを、僕はやはり誰よりも尊敬する。病を、貧困を、争いを、人を完膚なきまで叩きのめす不幸を世の中から一掃しようと、その一欠片にでもなろうと力を尽くす人たち、僕は彼らになることができなかったけれど、死ぬまで彼らを応援している。彼らこそが人類を未来へ導く者たちなのだろうと。