前回の続き
ドゥブロヴニクのホステルに来てからというもの、僕は10人部屋に泊まっており夜がうるさくて眠れない。誰かが騒いだりしているわけではないんだけど、部屋の出入りとか小さな物音、咳やくしゃみ、1部屋に10人もいるとそういう小さな物音が数秒おきに続く。夜の静かな時間にはそういった音が余計響き、かといってトイレに行くななんて言うことは誰も言えず、耐えるしかないのであった。そして寝不足が続き、朝は10時か11時頃までベッドにいることが多い。
再び山を見失う
今日も再び海と山を目指そうと思った。地図を見ると山の右側に道が描かれており、ここから行けるかもしれない。今度は昨日と逆の方向、旧市街を更に越えた東側へ足を伸ばしてみた。今日の装いは海パンとタンクトップ、そして帽子。サングラスは持っていない。東の道に辿り着くまではかなりの距離があり、昨日の海沿いトレイルといい勝負だった。しかしよく考えるとシドニーは30分で登れると言っていた。「これは違うな」と思った時はもう遅く、1時間以上歩いた後だった。アホだ。
諦めて近くの階段を昇り、とにかくその地点から上を目指して歩いてみた。結構登った。そして結局、また車道にぶつかった。上へ登る階段は途切れた。日本の夏のように湿度が高いわけではないから汗だくにはなっていないものの、暑いことには変わりない。日焼けはさらにひどいことになっている。僕は諦めて海に行こうと思った。なんたって暑い。適当なビーチを求めて、地図上の東の端までひたすら歩いた。
ビーチの代わりに廃墟
ビーチは、あるにはあったんだけど崖のようになった場所にあり、砂浜まで降りるのがかなり大変だった。泳いだ後に再びこの崖を登るのはつらいと思い、ただそのへんを歩いていた。何か建物があるのを発見し、近づいてみるとプレートが貼ってある。
廃墟だ。これは元々何の建物だったのだろう。持参してるカメラで写真を撮ろうと思ったらバッテリーが切れていた。
やっとルートを見つける
廃墟を後にして元来た道を引き返した。その道のりは長く、戻る頃にはやはりバテていた。途中のスーパーでファンタオレンジの1Lを買い、ホステルに着くと半分ぐらい飲み干してしまった。僕はスルジ山への登山道をネットで調べることにした。むしろ何故今までやらなかったのだろう、検索してすぐに出てきた。そこには多くのハイカーたちが写真付きで解説しており、やはりルートは見つけにくいらしい。正直わかりにくいなあと思って地図を眺めていたら、なんで今まで気づかなかったんだろう。
この赤いギザギザの線が登山道だった。念のためニュージーランド人の女の子に尋ねる。ニュージーランド人なら山とか好きだろうって思ったのは偏見か。
「登山道が見つけられなかったんだけど、この赤いのってそれかな?」
「そうだよ、行ったことないけど」
ないんかい。
「やっぱりそうか、今日探し回っていたんだけど見つけられなくて、この地図にある赤い線にさっき気づいたんだ。今度こそ登ってみるよ」
「that’s cool!」(なんて訳していいのかわからなかった)
いざ、スルジ山
僕は再びペットボトルに水を入れ、バッテリー切れのカメラをホステルに置いて再び登山道を探しに行った。方向音痴すぎるな。大体の場所しか描かれていない地図をたよりに、その付近を散策する。
こういう道の前にある
この看板が目印になる
ほっそい道の階段を昇り
ここは左に曲がる
道を抜けた先にある車道を渡ると「ウォーキングトレイル」と書かれた標識が見つかった
道はこんなの。足場は悪い
そのうち森が開けてくる
ジグザグ道をひたすら登る。高所恐怖症の人にはキツイかもしれないけど、そんな人はそもそも山登らないか
頂上は目の前だ。30分で登れると言われたが、日差しと暑さもありそこそこしんどい。途中ですれ違った人は3人ほど。みんな下り。上りはケーブルカーで行って下りは歩くという人もいるらしい
着いたーやっと着いたー 上は風が強く、気温もやや低くて蒸気した身体には心地よい。頂上ですれ違った爺さんに「下から登ってきたのかい?」と驚かれた。「そりゃあ君には風も気持ちいだろう。ケーブルカーは€15もしたんだよ」とやや不満気の様子。
頂上から見えた反対側の山
ケーブルカーで来た人用の展望台
旧市街も望める
僕はこの頂上に1時間ほど滞在していた。持参していたKindleでSolarisを読んでいた。僕以外にも読書をしたりたたずんでいる人の姿を見かけた。せっかく登ったのにすぐ降りるのはもったいない。むしろ疲れており同じ道を引き返すのが苦痛だった。
しかし実際のところ、帰りはとても楽だった。帰り道からも旧市街が望めた。
下までは20分ほどで降りることができた。登山道の入口のところで、東洋人のおじさんに声をかけられた。
「上まで大変ですか?」
日本人だった。ワルシャワのホステルで会ったおじさん以来の日本人との会話だ。それにしてもおじさんばかりだな。
「45分ぐらいあれば登れますけど、足場が悪いですよ。僕はトレッキングブーツを履いてきましたけど、スニーカーだとしんどいかもしれません」
彼は50代ぐらいだろうか、大阪人だった。各国を旅行して回るのは今回が2度目だと言う。僕は初めてだと言った。モンテネグロから北上してきて今ドゥブロヴニクに滞在しているらしく「モンテネグロの山と比べてどっちが大変やった?」と聞かれたけど僕はサラエボからモスタルを経由してきたからわからないと答えた。でも話を聞く限りモンテネグロの山のほうが大変そうだったため「このスルジ山は傾斜もなだらかで簡単だと思いますよ」と答えておいた。
「今からもう一回一緒に登る気ない?」と聞かれたが「さすがにちょっと」と断った。
わかりにくいけど日焼けした腕。
日本人の学生に会った
スルジ山からホステルに戻る途中、一人の若い男性とすれ違った。彼は東洋人で、顔つきから日本人かもしれないと思えた。目が合うと彼はにこやかに微笑んだ。僕は東洋人にそうされることが慣れていなかったため、狼狽した。
ロビーで食事をしていると、先ほどすれ違った男性が戻ってきた。僕の隣に座り、ラップトップを触りだしたのでその画面が目に入った。やはり日本語だった。僕は声をかけた。
「日本人ですか?」
「はい。あなたも日本人ですか?」
「そりゃあそうでしょう」
僕の日本語は片言だったのだろうか、疑われた。
彼は日本の大学生だけど10ヶ月の間スウェーデンに留学していたそうだ。留学が終わり旅行をしていて最後の旅先がドゥブロヴニクだとか。ここには一泊だけして明日バスで移動し、もうすぐ日本に帰るということだ。スウェーデンの留学がとてもよかったらしく、日本に帰ってからは就活が待っているということだったが、彼は外資しか受けないつもりだそうだ。なんだろう、話してみてすぐに「いわゆる頭がいい部類の人」だということがわかった。僕がトロントから来たという話をすると、彼の昔からの友人がトロント大学に在学しており、今年卒業する予定だということだった。
ドゥブロヴニクへ来る前に彼が旅行してきた場所で、2つおすすめされたからここで紹介しておこう。クロアチアのプリトヴィツェとスペインのメスキータ、僕はそのどちらも知らなかった。
今日を振り返ってみると、この旅行で初めての日本人日和だった。
次回、21日目ドゥブロヴニク、夜の写真