小説を読むようになったきっかけ

先日、「本を読まない中高生に勧めたいなんとか」という記事をいくつか読んでいる中で「そもそも普段読書しないやつに勧めても読まない」という身も蓋もない結論が書かれていた。だったら、自分はどういうきっかけで本を読むようになったんだっけ?ということを思い出していた。

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初めて自分で買った本

小学生ぐらいまで親に言われていたのは「マンガはダメだけど本だったら金出してやる」という言葉だった。つまり、マンガやゲームは自分の小遣いの範囲内で買いなさい、でも活字の本だったらそれとは別にお金出すよ、という意味だった。それでも僕は特別本に興味があったわけではなく、マンガやゲームの方が好きだったから本はあまり読まなかった。家には本があり、たまに本を買ってもらって読むこともあり、本を読むこと自体に抵抗があったわけではなかった。しかし読書習慣があったかと言えば、やはりなかった。

僕が読書感想文でもなく、自らの意志で、自分の小遣いで本を買って読むようになったのは中学生の頃からで、最初に買った本は三島由紀夫の「仮面の告白」だった。僕はこれを読むまでどんな内容か知らなかったけれど、ディープな男色本だった。正直騙されたと思った。何故この本を買ったのかというと、きっかけは中学の先生だった。中学校の社会の先生に面白い人がいて、その人が何気なく言った言葉がきっかけだった。

「でも俺が好きなのは人間失格とか仮面の告白みたいなドロドロした本だな」

僕はこの先生と特別親しかったわけではないけれど、面白い先生だったしこの人が言うドロドロとした本っていうのはどういうものか気になって読んでみた。人間失格は小学生の頃読書感想文を書くために既に読んでおり、読んでいない方の「仮面の告白」を選んだ。きっかけというのは本当にそれだけ。仮面の告白を読んだ感想というのは、「これ、人間失格に似てるなー」というものだった。そう感じるまでもなく中学の先生がそう言ってたのだから、そりゃそうだろう。そこからは中学の先生を離れ、三島由紀夫という人物が気になり他も読むようになった。彼の有名な本がどれなのか調べ、次に読んだのは「金閣寺」だったと思う。その後も間が空きつつ大学生ぐらいまでにかけて「潮騒」「憂国」「英霊の聲」「豊饒の海」などいくつか読んだ。また、三島由紀夫が評価していた森鴎外の本などもいくつか読んだ。

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

いきなり読むのに仮面の告白は正直お勧めしません。金閣寺ぐらいからどうぞ

高校の時の塾の先生

僕は高校1年の時に予備校ではなく個人の塾に通っていたんだけど、その時の数学の先生が自分のウェブサイトを持っていた。その人は論理学と計算機学が専門で、プログラミングの話などを聞いていた時に「一番最初はhtmlから始めたらいいんじゃないかな?」みたいなことを言われた。自身もウェブサイトを持っているということで、そのサイトを教えてもらうようになった。そこには数多くの書評があった。僕はその人の頭の良さに憧れており、尊敬の念を抱いていたためどのような本を読むのだろうと気になった。彼の書評を読み、彼が読んでいる本を手に取った。それが安部公房であり、村上春樹であった。

彼が書評にて高評価していた「第四間氷期」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだ。そこからまた彼の書評を離れ、僕は安部公房や村上春樹の他の本を読むようになり、安部公房に関してはやはり「砂の女」や「箱男」から始まり、「燃え尽きた地図」や「壁」「棒になった男」などいくつか手を伸ばした。「カンガルー・ノート」は全然意味がわからなかった。結構意味がわからなかった本も多い。

第四間氷期 (新潮文庫)

第四間氷期 (新潮文庫)

 

安部公房なら第四間氷期か砂の女がすごくわかりやすくて面白いです 

村上春樹に関しては彼の作中(ノルウェイの森だけど)に出てくる「魔の山」を読んだり「グレート・ギャツビー」を読んでみたりもした。これは作品をより理解する上で役立つだろうと思ったのがきっかけだったけれど、実際は魔の山もグレート・ギャツビーもそれ以上に面白かった。ナフタとセテムブリーニの論争は若い頭に刺激になり、Jギャッツのずっと抱いていた想いの報われなさ、相手との意識のギャップみたいなものにはとても同調したように思う。

面白い人への憧れがきっかけ

中高生が何かを始めるきっかけというのは、このような憧れに端を発するのではないだろうか。影響力がある人との出会い、そして彼らを作り上げてきたもの、彼らの背景にあるもの、彼らに近づくには、彼らのようになるにはどうすれば?と思って真似をするのが初めだと思う。それがスポーツであったり音楽であったり演劇であったり美術であったり、もしくは勉強であったりするのかもしれないが、僕の場合はそれがたまたま本だった。もし中高生に本を読ませたければ、「あの人が読む本はなんだろう?」と思われる魅力的な対象に自分がなるのが手っ取り早いと思う。手っ取り早くはないか。でもそれだと本人の意思で意欲的に本を読んでくれるような気がする。そして、決してこちらから勧めないことだろう。相手が興味関心を抱くまで待つ。押し付けられた本は誰も読まないだろうから。自分の知識や考えは数多くの読書経験によって培われている、ということを相手に匂わせれば、彼らは自然に本を手に取るようになるのではないだろうか。僕がそうだったように。