未来について考えない

学生の頃や会社員の頃にファイナンシャルプランナー(FP技能士)という資格を受けさせられ、落ちたんだけどそこにはライフプランニングとかライフイベントという項目があった。日本語に直すと人生設計みたいなものであり、ファイナンシャルプランナーという職業は顧客各々の人生設計に合わせた人生の予算を計算し、それに見合った財務計画を建て、管理しようという職業になる。そしてそのライフプラン、人生設計において重要になってくるのがライフイベントとなる。これは日本語に直せないけれど人生において起こるイベントだ。例えば結婚とか昇進とか、車を買うとか子供ができるとか家を買うとか、生命保険が満期になるとか、年金の支給が始まるとか。その財務面における計画・管理をファイナンシャルプランナーは扱う。未来のことだから飽くまで予想であり、そのまま計画通りには行かないため、元々組んでいた人生設計からのズレを随時確認し、合わせてプランニングも随時変更・修正を加える。

プランナーが具体的に何をやるかというと、何歳までに家を持ちたいという顧客がいたとすれば、頭金がいくら必要でそれを貯めるには収入のうちいくらを何年間貯金に回す必要がありローンが何年になっていつ支払いが終わって、お金を貯めるにはどこの積立が適しているか、どこのローンが向いているか、などそういうのを自宅だけでなく総合的に見る。ファイナンシャルプランナーの話が長くなったけれど、こういうのを学生の時なり会社員の時なり資格取れない程度にサラッと勉強して、まず考えるのは自分のことだった。果たして、自分の人生は?

ファイナンシャルプランナーの仕事というのは具体的な人生設計がある人たちだけが対象にはならない。顧客と一緒になって人生設計を作っていくところからスタートする。何歳までに結婚したいとか、そういうのも含めそのためにはどうするか、プランナーは顧客と相談しながら財務面においての計画を立てていく。自分の事を考えてみたけれど、そもそも何のプランも描けなかった。もちろん僕は資格の勉強をサラッとしただけで職業人ではなく、プロに相談したわけでもない。果たして、自分はこの先どうするのか。もしくはどうしたいのだろう?願望がなかった。特にライフイベントと呼ばれる項目には何一つ関心が持てなかった。

主なライフイベントにかかる費用の目安 | 日本FP協会

今は無職で貯金もわずかで資産も経験もなく年齢も30を越えて意味もわからず外国におり人生終わっている感じだが、自分の考え方については学生の頃も同じだったし、会社員の頃もそうだった。自分のライフプランは描けなかった。その根本になる願望さえなかった。会社員の頃はよく保険の勧誘が来ており、興味がなかったけれど先輩や上席から時々「話だけでも聞いてあげたら?」と言われて、自分と同い年か自分より若いぐらいの保険屋と話をすることが何度かあった。僕がそこで話していたのは「家族が増えることはない」「多分40歳までに死ぬ」「自殺でも保険を効かせるにはどうすればいいか」別に断る口実でふざけた話をしていたわけではない。自分が保険屋と真面目に話せばこういう話題しかなかった。もちろんそんな人間は向こうの商売の対象にならず、それ以前に相手はドン引きするだけで話はすぐに終わった。相手は保険屋でカウンセラーじゃないから。

現実から逃げているつもりはなかった。現実と向き合った結果がそれだった。やりたいこと、やらなければいけないこと、できること、そういったものが一切ないと、先のことを考えるなんてできない。それが自分の現実であり、そういった目標、願望を持てる人というのはある意味羨ましくもあり、楽だなあとさえ思っていた。自分には持てない。今まで無理矢理持った目標なんかには興味がなかったため気持ちが入らず、全て途中で投げ出していた。今後同じことをしたって同じ結果が予想される。新卒で正社員になり、徹夜続きのブラックでもない会社を辞めたのだから。さて、これからのことについて何か打開策はあるだろうか。願望を持って生きるとか、目標を持って生きるとか、収入をもって生きるとか、生きがいとか、まあ望みが薄い。いつかわからないけれど、そのうち死ぬ。それだけ。

実は似たような日記を2年前に書いている。当時会社を辞めたばかりだった。やはり同じことを書いていた。自分はこの先どういった形で、何年生きることになるのだろう。まるで検討がつかない。とりあえず今のところ1年先2年先のことよりも明日の食い扶持を探さないといけない。嫌だなあ。 

よく言われたのが、もったいないとか、人生舐めてるとか。もったいないかどうかは知らないけれど、人生舐めているというのはよくわからない。そもそも人生を舐めるって一体どういうことなのだろう。苦労を知らない、知らないうちに入るかもしれないが、他人の苦労と比べることに意味があるとは思えない。大変だねえとしか言い様がない。自分の苦労を他人に強いるのはろくでもない考えだと思うし、この先もっと過酷で大変なことが待っていて、あの時は良かったと思える日が来たとしても、おそらく自分は変わらないだろう。「あの時こうしておけばよかった」なんて、今の自分を悔やむこともないと思う。今は今でどうしようもない。未練も特に、ないかなあ。ああ、木星行きたい。