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こちらの続き

「そうじゃなくて、働いている人ってことだよ」

「ああ、そうね」

「今日だけ?いつもそうなの?」

「いつもじゃないよ。パートタイムでクリーニングの人が来てくれる。毎日じゃないけれど」

「じゃあ、食事は一人なの?」

「時々ゲストと一緒に食べるかな、今みたいに」

「なるほど。そして、今日は君一人なんだね」

「だから、テツがいるでしょ?」

「ああ、確かに。僕がいてよかったのかな?」

「どういう意味?」

「つまり、その、迷惑じゃなかった?」

「ふふふっあなた本当に日本人なのね。映画と同じことを言う」

コリーナは嬉しそうに笑う。

「日本人に会うのは初めて?」

「そうね。見たことはあるけれどこうやって話すのは初めてだね。ここにはあまり日本人は来ないから」

「それで、僕はおかしかった?」

「おかしくはないけれど、面白い。この人たち本当にこんなこと言うんだって。私が誘ったんだよ?何をそんなに気にしているの?もしかしてあなたは一人で食べたかった?」

「違う違う、そうじゃないよ。僕はなんてラッキーなんだろうと思ってね。昨日はバスターミナルに寝ていたのに、ベッドを提供してもらったりごちそうしてもらったり、美人と二人で食事をしている」

「あはは、私に感謝しないとね!」

「してるさ。言葉では表現できないぐらいに」

「じゃあどうやって表現するの?」

「さあ、なんだろう。何も浮かばないよ」

「あはは、あなた変ね」

「そうかな。ちょっと、雑なんだ。表現が」

「あはは、知ってる」

たった二人の昼食だったけれど、それは団欒と呼ぶにふさわしかった。縞にとって数日ぶりの人と囲む食卓であり、そしておそらくコリーナにとってもそれは同じだった。

「私はこれからまた街に戻るけれど、あなたはどうする?」

「そうだね、僕も少し街を見てくるよ。まだバスターミナルの周辺しか見ていないから」

「そう。あまり見るところは無いと思うけど、明日だったら案内するよ?」

「いいよ。気にしなくていい。君は仕事があるんだろ?」

「ええ、あなたもあるよ。明日から」

「そうだった」

「大丈夫だって。半日もあれば終わるから」

そんなにかかるのか。縞は少し不安になりながら、スープを食べ終えた。

「それ、置いといてくれたら片付けるから」

コリーナは縞の器を指さしそう言った。コリーナの器ももう空になるところだった。

「いいよ、僕がやる。それももう終わりだよね?鍋ももう空かな?」

縞は立ち上がると器を持ち、コリーナの方へ回るとキッチンにある鍋の方を振り返った。鍋の中も大体は空になっている。

「何言ってるの?なんであなたがやるの?」

「だって、食べるだけっていうのは不公平だろ。この器はもういい?」

縞はテーブルに置かれたコリーナの前の器を指した。

「食べ終わったけど、それはあなたの仕事じゃないよ」

「何か注意することはあるかな。例えば、使える水の量が限られているとか」

「何もないけど、あなたはそんなことやらなくていい」

「いいんだ。僕は一方的に施しはうけたくないんだよ。でもこれぐらいしかできないから」

「あなた、本当に変ね。日本人はみんなそうなの?」

コリーナは椅子に座ったままひどく不可思議な様子で縞の顔を見上げていた。縞はコリーナの器と食器を自分の食器に重ね、流し台へと運び、コンロに置かれていた鍋と合わせてスポンジで洗い始めた。

「とりあえず、ありがとう。私はこれから街に出てくるから。ここで待っていてもお客さんはこないからね」

「わかった。うまくいくといいね。僕もこれが終わったら出かけるよ。鍵はかける?」

「かけない。じゃあ後でね」

コリーナは手を降ってダイニングから出て行った。

ーーー

縞はデイパックを背中に提げて外に出た。このホテルの場所はバスターミナルよりも街の中心地に近い。バスターミナルからここまで歩いて来たが、ホテルのさらに向こう側というのは今までに足を踏み入れていない。縞はホテルから、バスターミナルの反対の方向に向かって大通りを歩き始めた。街の雰囲気はターミナル周辺とさほど変わらない。この辺りのほうが宿泊施設が多いぐらいだろうか。保養地だった雰囲気を残したままの飲食店や商店、3階程度の小さなビルなど。そして、それにさえ見合わない人の少なさと街の静けさ。時々見かける車はどこかに停まることなく通り過ぎて行く。この街には停車する理由がないようだ。「見る場所は無い」とコリーナに言われていが、確かにその通りかもしれない。中継地点として商売するためだけに作り替えられた街の様子は遠くから来た旅行者にとってさほど興味を引くものではなく、さらにその街でさえ中継地点としての役割を終え、こうも寂れていては何も無いに等しい。真っ直ぐ続く大通りの先にはさして変化のない景色が続くことを悟り、縞は脇道へと逸れていった。

脇道もしばらくは同じ風景が続いたが、次第に舗装された道は途切れ、細い石畳となった。この辺にはもう車が訪れないのだろうか。石畳の上も車は通れなくはないが、狭く通りづらく、大きく揺れるだろうななどと縞は考えていた。そして実際には通る車もなく、道路を挟む建物や住宅にもあまり人気を感じられない。照りつける太陽もところどころ建物の壁で遮られ、明るかったり薄暗かったりする。そのまま進んだ道の先は、突き当りが広場のようになっており子供がいる。5人ぐらいいる。一番大きくて小学校高学年ぐらいだろうか、5歳から10歳ぐらいに見える。皆痩せた子供であり、汚れた服を着ている。元気に走り回りながら何かを叫んでいる子たちもいれば、石の上に一人座ってひどく落ち着いた様子の子もいる。その広場のさらに奥に建っているは、独特の形をした建築物。何やら宗教施設のようだった。ドアが開き、一人の女の子が出てきたかと思うと、子供たちに混ざって何かを話していた。こちらの言葉は全く聞き取れない。この辺りの建物に人気がなく、大人たちは見かけなかったにも関わらず、子供だけがここに集まっているのは何か奇妙に感じられた。縞は彼らに近づくわけでもなく、少し離れた場所に立ち止まったまま、先へ進むか引き返すか迷っていた。この広場の先は建物で塞がっているため行き止まりなのだ。

「あなた、誰?」

不意に後ろから英語で話しかけられ、縞が振り向くとそこには一人の女の子がいた。中学生ぐらいだろうか。黒髪をまとめ浅黒い肌をした女の子は訝しげに縞を見つめる。胸に買い物をしたであろう紙袋を抱えていた。

「いや、僕は」

縞が答えようとすると女の子は縞の横を通り過ぎ広場にいる子供たちを集めて一人残らず連れて施設の中へと入ってしまった。時々目線でこちらを伺いながら。

「えぇぇ…」

縞の口からは驚きとも嘆きとも言える声が漏れていた。なんだったんだろう一体。明らかに警戒しているようだった。彼女らは姉弟だろうか。外国人の知らない男が人気のない場所で子供の近くをウロウロしていれば怪しいと思っても仕方ないかもしれない。縞はそうやって状況を納得していた。少しドアが開き、小さな女の子がこちらを覗いたかと思うとまたすぐにドアが閉まった。縞はその場を引き返し、早く立ち去ろうと来た道を戻った。ただそのまま大通りに戻っても何もないと思い、途中で別の脇道に逸れた。

そこは先ほどよりもさらに薄暗い。使われなくて傷んだ建物が密集している。地面を覆う石もところどころ欠けており、隙間を埋めるように草が生えている。縞はゆっくりとした足取りで先へ進んだ。先ほど通った場所とは違い、こちらに進んでいくと時々人を見かける。それでもやはり多くはない。地面に座る人を跨ぐ。彼は怪我をしているのだろうか、病気だろうか。表情は伺えない。建物の中からも時々人の気配が伺え、咳をする声が聞こえたりする。話し声は聞こえない。水が滴る音。どこかの蛇口か、もしくは水道管から漏れているのかもしれない。足元の瓦礫。横の通路から歩いてきた人とすれ違う。彼は上半身の服を着ていない。頭には布を巻いている。包帯だろうか。会話するどころか、こちらを振り向きもせずそのまま通り過ぎて行く。この街全体の生気のなさを、一気に凝縮したような雰囲気だ。ここは見る場所ではない。旅行者が足を踏み込むにふさわしい場所とも思えない。縞は大通りへと抜ける方向に曲がり、歩いた。途中何度か行き止まりや通れない箇所があり、方向転換を繰り返した。そのうち、自分がどこを歩いているのか、どちらが大通りへと抜ける方角なのかわからなくなった。振り返り、来た道を戻ると一つ目の十字路でどちらに曲がればいいのかわからくなった。薄暗い通路はどちらを向いても同じに見える。もはや来た道さえ見失ってしまった。周りを見渡す。目印のようなものはあっただろうか。何も覚えていない。誰か道を尋ねる相手はいないだろうか。アパートのような建物の上から物音がする。建物は入り口からすぐ階段になっており、上に人がいるのかもしれない。これを、上がるか。他に人はいないだろうか。周りを見渡すと、少し離れた場所に地面に座る老人がいる。長い白髪の髪と髭で表情は伺えない。服というよりはボロ布をまとっている。眠っているのか、ただじっと地面に座っている。話しかけるか。非常に勇気がいる。しかし縞はアパートの下から老人がいる場所まで歩き、彼の前に立った。

「あの、道を聞きたいんですが」

老人は何の反応も示さない。何もない地面の上に足を組むようにしてたたずみ、灰色の顔は石像のように動かない。これは死体なのか?老人だけではない。先ほど見かけた人たち、すれ違った人たち、このあたり一帯がこの老人と同じだ。灰色。動いている者も機械じかけの人形のようにその場を通り過ぎるだけ。誰もそこに生きている心地がしない。縞はやっと認識した。まるで何かに足を引っ張られるような恐怖感に駆られ、本能的に老人から、ここから逃れようと後ずさりした。方向もわからないまま早足で歩き出し、見える方へ向けて走りだした。時々地面のおうとつに足を引っ掛け、物を倒し、建物の壁、その場にいる人にぶつかった。縞を気にかける人は誰一人としていない。それが返って縞の恐怖心を増幅させ、逃げる足は止まることなくさらに速まった。息が切れ、冷たい身体から汗が噴き出していることは気づいていたが感覚がなく、意識はずっと目の前に向いていた。走っていくうちにチラチラと見える明るい方、どちらかわからない、しかしそれが出口だと思った。何度も物を避け、建物の隙間を抜け、方向転換をしながらひたすら明るい方を目指し走り続けた。光にしか目を向けられず、それ以外の何かを視界に移すだけで暗い穴に身体が吸い込まれそうで振りほどくように走り続けた。走っている最中に縞は肩を掴まれ振り向いた。

「おい、お前何をしている。旅行者か、道に迷ったのか、何を急いでいる、ゆっくりすればいいじゃないか、このあたりは賑やかだろう?少しくつろいでいけよ。何か食べたいものはあるか?いいレストランがあるんだ。酒も飲めるし値段も安い。ここではみんな旅行者を歓迎しているんだ。俺がお前を連れてきたら喜ぶだろう。さあこっちだ、俺はこの辺りならなんでも知ってる。ほら、どうした、そうだ一杯はおごるよ。なに、気にしなくていい。次来た時に君がおごってくれたらいいさ。今日は楽しんでくれよな。俺らはもう友達だ」

軍帽のようなキャップを被りそこからはみ出るブロンドは汚れ、顔も白い塵かなにかで汚れておりやつれた肌から飛び出るような目が強調されている。骨ばった顔には無精髭が生え、にやけた口元から見える歯はところどころ欠けている。元々はカーキ色だったような生地の分厚い半袖のシャツも同じく白い汚れが目立ち、ところどころ破けたりほつれている。そこから伸びる腕は細く筋張っており地図記号のようなタトゥーが彫られている。肩にある手は固く、骨で直接掴まれているようだ。男は縞の肩を掴んだまま何かボソボソと呟きながら歩こうとしたため縞は思わず振り払おうとしたが手は引っかかったように離れず男は歩く方向を向いたまま抵抗する縞を振り向こうともせず足を進める。縞はバランスを崩して倒れ込みそうになりその拍子で肩から手が外れると縞は地面を強く踏み込み男から離れ逆方向に再び駈け出した。男は縞を追ってこなかった。