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現実世界で生きてられねぇ。ゲームするか

僕はゲームしない。しないけれど、この心理で生きている。現実世界で生きてらんねえ、やってらんねえ、そうやって現実世界から逃げてきた。全然逃げ切れていないけれど、会社を辞めてしまったりお先真っ暗でかなり逃げている方だ。ゲームに逃げているどころの話ではない。現実に追い越されそうだ。でも、僕はそういう生き方を肯定したいと思う。まじめに働いて、家庭を持って、貯金して、親の面倒を見て、そんなものはクソだ。肥溜めだ。肥溜めの中を這いずりまわる生活だ。あ、はい、そういう人を否定しているわけではありません。ただ僕にとってはそうというだけ。他の人がどうだか知らない。好きでやっていれば、楽しければ、幸せなら、それでもいいんじゃないですか。

その昔、売れないバンドマンやお笑い芸人を目指す人たち、夢を追いかける人たちを咎めるような風潮があったように思う。「いい年して、現実を見ろよ」といったような、10代や20代でブレイクできなかったら早く諦めて普通の仕事に就け、みたいなそういう空気があっただろう。今もあるのかどうかは知らない。大ブレイクするとか夢を叶えるとかそういうのはどうでもいいけれど、それらをやりたいんだったら売れなかろうがなんだろうが40代になろうと50代になろうと死ぬまで続けたらいいんじゃない?と思う。やりたくないんだったらいい。現実世界を選ぶんだったらそれでもいい。でも、無理していないか?どっちが無理だ?現実に目を背ける方か?それとも、自分に目を背ける方か?外人だったら年寄りでも路上ミュージシャンやってるぜ。それをホームレスと一緒だと笑うか?不幸だと思うか?それは自分次第だ。

海外ドラマの俳優などで、大役が決まるまでずっとバイトとオーディションと稽古を繰り返すだけの日々だったというような話を時々目にする。日本の俳優やミュージシャン、芸人などにもそういった人は多くいるだろう。スポーツ選手だったら選手生命が短いため早く諦めるかもしれない。死ぬまでに売れた絵がたった1枚だった画家とか、サラリーマンと兼業していたが死んでから世界中に名を轟かせた作家、そういう人たち以外にも、有名にならなかったけれど死ぬまで自分の世界を生き抜いた人たち、そういう人たちは今まで食べた米粒の数より多く存在したに違いない。芸能以外にもそういった分野はあるだろう。彼らの中には売れた人、売れなかった人、評価された人、されなかった人がいる。どっちが羨ましいだろう?そんなもんどっちだって同じだ。彼らにとって大事だったのは、死ぬまで自分に目を背けなかったことではないだろうか。もしくは現実と折り合いをつけつつも、貫き通したところだろうか。現実を選んだ人が間違いだなんて思わない。それはそれで、彼らの選択だ。どっちだっていい。

まあそれらの話がタイトルのゲームと繋がるかというと、微妙なところ。ゲームのプロになる人だっているけれどそういう話ではない。ゲーム好きなら課金してゲームやって引きこもっていてもいいんじゃないかい。世間に顔向けとか、胸を張って、とか、自信を持って、そんなのは不要だろう。金を稼げればそれが勝ちか?有名になれたら偉いのか?別にどうでもいい。とにかくこのだるい現実に向き合ってられない。だったらやれるだけやれることを好きなだけてきとうにやっていればいいじゃないか。人に迷惑とかどうでもいい。どの選択が自分にとって良かったか、なんて自分次第だ。他の人は関係ない。どんなアドバイスを得られたって、世話になったって、最終的に選ぶのは自分だ。人のせいにしたところで全部自分に返ってくる。そもそも選ぶことはできたか?現実は死神のように追いついてきて、そのうち自分を殺すだろう。ただそれだけ。現実ってのはそこで終了だ。同時に自分の世界も終わる。お疲れ様でした。悔いを残さない、良い人生を。