何か書こうと思った

最近ブログの更新が滞っている。書くことねーなーとか書くこと思いついてもいざ家に帰ってきたら忘れるなーとか思いながら、めんどくさくて全然何も手につけず放置していた。書くことは、多分ある。書かなければいけないとかそういう気持ちはないけれど、今のバイトも5時に終わり、せっかく書く時間があるんだから何か書こうと思った。

先日写真を撮った。郊外に引っ越してからあまり撮る場所がなく、同じような風景ばかり撮っていた。それに飽きて人を撮りたいと思い、電車に乗って街の方まで遠出してきた。遠出と言ってもバスと電車を乗り継いで1時間半。ただ写真を撮るためだけにしては遠いか。ついでに買い物でもしようかと思ったけれど、都合のいい店はなかったから2時間歩きまわって写真だけ撮って帰ってきた。そこは初めて行った場所であり、思った以上に観光地であったためあまり撮りたいような物はなかった。撮っている時はそれほど発見が無かったと言える。しかし、家に帰りデータを取り込んでトリミングやらRAW現像をしていると、撮っていた時よりも見えてくるものがあった。撮っていた時よりも、現像の最中に撮れていたことを感じた。

写真に関して目標のようなものはなく、いい写真を撮りたいとかとかたくさん撮ろうとか周期的に撮ろうとは思っていない。撮りたい時にただ意味もなく撮っている。写真を撮りにいったりRAW現像はめんどくさいから、ほったらかせばそのままになる。何もしなくなってしまう。だから撮りたければ、撮ろうと思えば撮るようにしている。現像してブログに載せたりもするようにしている。それはやはり、めんどくさいとは言え、行動したいと思った時に行動していたほうが、自分にとって有意義であったように思えるから。この有意義とは、ためになるとかお金になるとか楽しいとか幸せとかそういう一般的な、何か意味のあることではなく、自分が思った行動に時間を費やし頭と体を動かすことそのものが、自分の生を謳歌しているように思えるという意味になる。生きていることを実感すると言うとまた少し違うけれど、自分がやろうとしたことを行動に移せる時間は少なく限られており、いつ消えてなくなるかもわからない。自分の意志で動くということは、それは自我の発露であり、自分が自分であるということの証であり、自分個人が自分として在り続けるための使命のようにさえ思える。

だから、家に帰ってきてただまとめサイトをダラダラ見て時間を潰したりはてブ巡回して読みたいのがねえと嘆いたりスマートフォンを覗きながらいつの間にか寝る時間を迎えるよりは、何か思ったことを書いたり、写真を撮ったり、本を読んで考えたり、音楽を聞いて思いを馳せたり、勉強して新たな視点を持ったり、今ある時間で自分自身がやろうと思ったことを行動に移したほうが、今日明日死んでも浮かばれるんじゃないだろうか。そう感じて今これを書いている。書き終わったら別の何かを書こうと思う。それは公開するために書くというよりは、ただ書くために書く。今までどうも形にこだわり過ぎていたようで、形にならないうちは書き出さないでいたことも多かった。形にならなくても、公開することがなくても、頭に浮かぶ情景や言葉があればとりあえず書き出してみようと思う。思ったことをそのままにしておくよりは、形はどうあれ書くという行動に移してみたほうがいいのだろう。ついでにそこから見えてくるものだって、何かあるかもしれない。