「縞くんよ」

「はい」

「ちょっと頼みたいことがあんねんけど」

縞は自分のデスクから立ち上がり、藤井のデスクへと向かった。机を挟み、藤井が座っている向かい側に立つ。藤井は座りながらも目線はパソコンのモニターに向かい、右手でマウスを触りながら左手で頬杖をついている。

「なんでしょう」

「君、確か学生時代に旅行してたよな?」

「はあ、旅行は何度かしてますけど」

「パスポートの期限も残ってるよな」

「そうですね、まだ5年以上は」

「ほなちょっと頼まれてくれるか。君が学生んときに行ったことある場所やから土地勘有るやろ」

「なんですかそれ、どこですか」

「とりあえずな、今回は飛んでもらわなあかんねん」

この人は何故僕の学生時代のことを知っているのだろう。縞と藤井が初めて会ったのはつい半年ほど前だ。縞が前の仕事を退職した後、職業訓練が終わると同時に先生から紹介された。学生時代のことなど、藤井どころか仲介役となった職業訓練の先生にも話していない。履歴書に大学のことは書かれているとしても、旅行のことなんて。

「先日な、知人が亡くならはって、その遺品のひとつが私宛に送られてきてん。なんで私宛なんかようわからんけど、娘さんに渡してくれっちゅうことやったわ。亡くならはったんはびっくりしたけど、世話になってた人やから遺品のひとつ娘さんに渡すぐらいのことは全然構わへん思て、娘さんに連絡してな、会うてきてん」

「はあ…すみません何の話ですか」

「仕事の話や。まあええから聞いてえや」

「すみません」

「ほんでな、会うてきてん、先週の話や。娘さん大学生やて。ええ子やったけど気の毒やわー思いながら挨拶して線香あげて、預かった遺品渡してん」

「その遺品ってなんですか」

「知らんわ、なんか箱や、そんなもん勝手に開けれへんやろ。とにかくそれ渡してん。ほんでや、こっからが一応話の本題や」

「一応ってなんですか」

藤井はパソコンのモニターから目線を縞に移した。縞は合間合間に口を挟みすぎてしくじったような気になり、たじろいだ。

「そうやねん、一応やねん。その娘さんな、冴子さんっちゅうねんけど、私が遺品渡してすぐに現地飛んでしもてん」

「現地って」

「ああ、現地っちゅうのはその、知人が亡くならはった場所や。日本ちゃうねん」

日本ではない場所で亡くなった藤井の知人、その方の遺品が藤井宛に送られ、遺品を遺族である娘に引き継ぐと、娘は両親が亡くなった場所へ飛び立ってしまった。縞は上司である藤井の都合で、また何かややこしい話に巻き込まれようとしている不安を感じた。

「ええと、それで」

「そんでな、まあ娘さんがどこ行こうが別にええんやけど、その娘さん、冴子さんから連絡あってな」

「はあ」

「お願いしたいことがある言うて」

「なんで僕なんですか」

縞は間を置かず藤井に問いかけた。

「それ、藤井さんが頼まれてるんじゃないんですか」

「嫌なんか?」

「嫌、とかじゃなくて」

縞の不安は顔や物腰に現れていた。それに対して、藤井は落ち着いていた。

「あんた、私が忙しいことぐらい知っとるよな?まあそれでも嫌なんやったら、ええんやで?断っとくわ。あんたが今月どれだけ利益出してるんか知らんけど、えらい余裕やなあ、なんの成果も上げてへん思てたからせっかく仕事紹介したろう思たけど、食い扶持稼ぐアテあったんやなー知らんかったわーほんま立派になったもんやで」

藤井の落ち着いた口調から冷たく言い放たれる言葉に京都人特有の厭味ったらしさも相まって、縞は恐怖を感じた。

「ちょっと待ってください、そもそも何をするんですか。お願いされている内容はわかっているんですよね」

「それ言おう思たら『なんで僕なんですかー』とか聞いてきたんお前やろが」

言葉こそ荒々しいものの、藤井の口調は淡々としていた。

「すみません」

「まあええわ。内容やな、現地での人探しや」

「それ、僕が行って意味あるんですか」

藤井は縞の目を見た。

「すみません、あの、僕は人探しとかやったことがなくて、お役に立てるのかなと思いまして」

「ええねん、あんたはただのナビやから。あんたが行ったことある場所やから、少なくとも私とか冴子さんよりは土地勘あるし、行ったことない人間よりかは現地のこともわかるやろ。探すんは冴子さんが手掛かり持ってるそうやから一緒に探したげたらええねん。別に人探しの専門家がいるわけちゃうんや。それよりあんたみたいに現地のこと多少でも分かる人が行ったほうが向こうのためになるからなあ。冴子さんも大学生の女の子やし、一人で可哀想やと思わんか?」

藤井は再びモニターへと目線を戻した。この時点でおそらく、藤井の中で縞が行くことは決定してしまったのだろう。縞としても嫌だとは言い出せない雰囲気になっていた。

「誰を探すんですか」

「誰って、亡くなった両親やんか」

人探し、人探しと聞いて亡くなった両親を探す。縞はまだ話が掴めないでいた。

「冴子さんが現地に行ったんはな、両親が死んでへん思たらしいねん。そもそも急な報せやったし、その後遺体が上がってきたわけでもないし、それで私宛に送られてきた遺品や。遺品言うても死ぬ前に現地の本人から直接送られてきてんねん。せやからおかしい思たんとちゃう?」

「ちゃう?って、それ藤井さんあてに送られてきたんですよね。何か心当たり無いんですか」

「娘さんに渡すようにって書かれてただけやから詳しいことは知らんねん。ただの遺品や思てたから、まさかそれ渡して冴子さんが向こう行ってまうとは思わんかったで。とりあえず詳しい話は冴子さんに直接聞いてえや、私は全然知らんねん。本題っちゅうのはそういうこっちゃ。死なはった人を探すっちゅうようわからん話や、だから一応やねん」

藤井の知人ともその娘とも面識のない、たかが旅行したことがあるというだけの部下にそんな話を振ってくるとは。縞は藤井に対して、怒りでもない残念でもない、何かこう、言いようのない気持ちになった。扱いが悪いというか荒いというか丸投げというか。縞の不安はますます大きくなった。しかしもう話の流れ上、断るという選択肢は残されていないように思う。旅行した場所、そう言えばまだ場所を聞いていなかった。

「それで、どこへ向かえばいいんですか」

縞は半ばあきらめたように尋ねた。藤井はモニターを眺めたままずっと同じ、感情の乗らない調子で答えた。

「イスラエル」

縞の顔はやや青ざめた。そして片目を覆うように左手を額に当てた。イスラエル。縞はもう二度とその地に足を踏み入れることがないと思っていた。そして、もう二度と行きたくない場所でもあった。イスラエル。確かに学生時代、縞はイスラエルを訪れた。ただそのうちの、数日間の記憶が縞にはなかった。