ベトナムに学ぶ、強大な敵との戦い方

貿易センタービルと国防総省に飛行機が突っ込んだ事件があって以来、テロとの戦争と言われるようになって久しい。それまでの国家対国家の戦争から、国家対組織の戦争へと様変わりしている。とは言え国家対国家の戦争がなくなったわけではなく、テロ組織との闘争なんて話は主に中東のことを指している。その中東におけるテロ組織の、対アメリカ、対西側諸国(冷戦構造がなくなって西側も東側もないか)への闘争を見ていると、自爆テロが多い気がする。これ、どっかで見たことあると思ったら、南ベトナム民族解放戦線と一緒だった。

 

強大な敵に正攻法では勝てない

強大な的に対しての抵抗運動というのは総じて同じ形式をとるのかもしれない。革命なんかもそうだろうし。南ベトナム民族解放戦線の戦闘として思い出すのは、ランボーに出てきたような戦い方だ。アメリカ兵が街で休憩をしていると、子供が食べ物か何かを買ってくれと近づいてくる。アメリカ兵は集まって、何を売りに来たのだろうと籠を開けたら爆弾が爆発する。もちろん子供は死ぬ。アメリカ兵も腕や足が吹っ飛んだり、たくさん死ぬ。いつどこで襲撃に遭うかわからない、誰が敵かわからない、どういう手段で襲われるかもわからない、そういった状況がずっと続いてノイローゼになる兵士が多かったという話をよく聞いた。

他にゲリラ戦法。解放戦線は密林に数々のブービートラップを仕掛けたり、森の地下に掘ったトンネル内を移動したりして戦った。戦場における通常の戦闘を想定し、訓練していたアメリカ兵からすれば困惑しただろう。戦闘においては自分の土壌で、自分のペースで戦うことが重要になってくる。南ベトナム民族解放戦線を支えたホーチミン・ルートという補給線は入り口から国境を越えてカンボジアを通るルートであり、正攻法で戦うアメリカはガンボジア国内に手出しができなかった。アメリカという強大な的に対して真正面から戦っても勝てるわけがない。今行われているテロ活動もアメリカに勝つための戦略を考えぬいた末の選択なのかもしれない。

スポンサー、力強い味方をつける

日本がアメリカと戦争して負けた理由の一つとしては、自らの資源や資金が足りないにもかかわらず支援者がいなかったことが挙がるだろう。そういう状況に追い込まれたからこその開戦というのもあっただろうけれど、満州周辺にあったターチン油田が見つかっていたら多少戦況は変わったかもしれないとかどうとか。資源はともかく、明治維新にも維新志士のバックに外国人がいた。日露戦争の背景には日英同盟などがあった。ベトナムにとっての力強い味方は言うまでもなくソビエト連邦だった。ソビエトから武器などの支援を受け、ソビエトがバックに控えていたからアメリカも北ベトナム国境を越えられなかった。空爆はしていたけれど。中東においてハマスやヒズボラといった組織もイランなどから支援を受けている。完全に信頼を置くわけでもなく、敵の敵は味方という形で支援者を募ることが外交上、戦略上かなり重要になってくる。特に直接手を下せないポジションにある人や国を支援者として頼り、利害を一致させて後ろ盾を立てれば戦闘を有利に運ぶことができるかもしれない。ただ、後ろ盾のはずだった味方に取り込まれたり、ただの手先になってしまう危険性があるため、支援者との関係性には注意が必要となる。

戦争やテロ行為だけではなく

こういった戦い方というのはベトナムが初めてではなく、古くからあるレジスタンス、抵抗運動などで一般的に用いられた闘争手段だろう。そしてそれは何も戦闘行為に限らない。日常生活にだって応用することができる。自分と比べて強大な敵に立ち向かう時、それは自分より優れた人だろうか、それとも権力を持った人だろうか、会社や組織という場合もある、そういう相手に向き合わないといけないことは生涯で何度かあるかもしれない。そんな時、あの世界を牛耳るアメリカが勝利をおさめることができなかった東南アジアの小国、ベトナムのやり方が参考になるんじゃないだろうか。勝てない相手に正攻法で立ち向かっても勝てない。勝てない相手に後ろ盾無しで立ち向かっても蹂躙される。他にももっと手段はある。勝利の先にあるものが大きければ、法を犯すことも命を賭すことも手段に含まれるだろう。