やり終えた感と、やり足りない感

自分に限界がないというと嘘になる。やりたいかどうかは別として、今からF1レーサーにはなれないしUFCにも出れない。ノーベル賞も無理だろうし、アメリカ大統領にだってなれない。もっと言えば空は飛べないし海中でも呼吸できない。それは運や能力や環境や意欲や様々な要素が足りなかったということになる。「身の丈に合った」とはそういうことだ。では自分の身の丈の内側、生きる世界の範囲ではどうかというと、もうずっと前からやり終えた感があった。今後の可能性とかそういうことは考えず(可能性という言葉を信じていない)、自分の人生において何かやり残したことはあったかというと、まあないな、と思っていた。

ただ同時に、物足りないという感情もあった。満足という言葉からは程遠い。「こんなもんか」という諦めでしかない。物足りないからといって、特に望みや夢や目標があるわけではない。こんなのはどうしようもない。もう既に、一通りやり終えた感は持っている。ここからは「やり足りない感」をいかに無くしていくかが自分の中における最後の課題となるだろう。ためらいや抑制を振り払い、「やり足りない感」を消化していくことに身を委ねたい。赴くままに。赴かないことには脇目もふらず。もっと外して外して中心線からずれて突き抜けていきたい。恐怖や痛みに身を浸し、その先にあるものに躍りたい。目が醒めるような景色を前にして死んでいきたい。動物的自由の中で。