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7日目 マラケシュの迷路

前回の続き

マラケシュの駅を出ると、またもや「タクシー!タクシー!」と声をかけられる。駅からマラケシュの宿泊先までは徒歩で40分ぐらいかかるため、タクシーに乗ってもいいかと思っていた矢先「30dh(約350円)!」と声をかけてきたドライバーがいたためそれに乗ることにした。

「どこに行きたい?」

「ここのホステルなんだけど、知ってる?」

「ああ、大体わかる」

こういう時の大体わかる、はほとんど信用ならない。場所によるとは思うが外国でタクシーに乗ると日本のタクシードライバーよりも道を知らない人が多く、地図を読めない人が多い気がする。だからタクシーに乗る時は現地の人なら誰でも知っているようなわかりやすいランドマークを行き先に伝えて、そこから歩いたほうが手っ取り早い。しかし今回はそれもうまくいかなかった。

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「このあたりだよ」

「ここどこ?」

「この通りだよ」

地図に書いてある文字の部分を指さされる。この通りのどこか聞いてもだいたいこのあたりということだ。これ以上タクシードライバーに何を聞いてもわからない。僕らは30dhだけ渡してその場を歩き始めた。マラケシュのメディナをなめていた。どちらを見ても同じに見える。今ここがどこなのか、どちらへ進めばどこに向かうのか、もう全く検討もつかず、ホステルを探すどころの話ではない。道に迷っているとさっきから何度も話しかけてくるやつらがいる。代わり代わりにたくさんいる。「どうした?道わかるか?」こいつらは確実タカリだ。もうそれはわかりきっている。しかしもう、こうなったら頼らざるをえない。多少金をたかられることは覚悟して聞いてみた。

「このホステルわかる?」

「ああ、わかる。こっちだ」

本当にわかっているのだろうか。しかしついていかざるをえない。おっさんは若い兄ちゃんに何かを伝え、そいつの後をついていけということだった。ますます危うい。兄ちゃんは「こっちだ」と言って細い路地をどんどん進んでいく。僕は不安になって「本当に知っているのか?」と聞くが「そのホステルだろ?知ってる」と言って進んでいく。付いて行けば引き返す道も今どこにいるのかも全くわからない。こういう状況で最悪の場合というのは、進んだ先に数人が待ち構えていて囲まれるケースだろう。それだけはなんとか避けたいと思い、兄ちゃんからも少し距離を取って周りを見渡しながらいつでも逃げられる姿勢を保つ。路地という路地、地元の人間以外は絶対に進まないような迷路を兄ちゃんはすいすいと歩いて行く、僕らはその後を追う。その先に何が待ち構えているのか不安になりながら。

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「ここだろ?」

細い路地の奥にあった扉にはプレートが掲げてある。確かに宿だ。迷路を迷わされながらも本当に連れて来てくれた。僕はお礼にと思って10dhほど渡した。これは例え要求されなかったとしても、途上国においては礼儀だろう。しかし彼は受け取らなかった。

「足りない」

どこからともなく最初に声をかけてきたおっさんが出てきた。

「お前らは困っていたんだろ?それを俺らが手助けしたんだ!最低でも200dhはもらわないとな!」

おっさんと若い兄ちゃんが二人一緒になってわめき散らしてくる。

「すまないが、それはできない」

そう言って僕らは手に持ったせいぜい20dhぐらいを相手に渡そうとした。しかし向こうは受け取らずに文句を言ってくる。大金の支払いを僕らは穏便に拒否して、飽くまで小銭を渡そうとした。そういうやりとりを何度か繰り返しているうちに若い兄ちゃんが小銭を受け取ってその場を去っていった。おっさんはその後をついていった。巻いた巻いた。どうなるかと思った。宿の前ということもあってあまり騒ぎたくなかったのか、事態は荒れずに済んだ。この程度で終わってよかった。

ホステルに入るが時間が早いためにまだチェックインはできない。いつもの通り荷物だけ置かせてもらう。受付のおっさんからは「どうやって来たんだ?連絡くれたら迎えに行ったんだが」と言われる。連絡と言ってもsimがないから連絡の取りようがない。事前にメールするとかか。どちらにしてももう遅かった。大事には至らなかったが。マラケシュやフェズでホテルやホステルが送迎や案内をしてくれるサービスがあれば絶対に利用した方がいい。わかりやすい場所にある宿泊先でなければ、自力ではまず到底辿りつけないから。

ホステルのロビーで少し休憩して、僕らはホステルの受付のおっさんに近隣の説明を受けた。この道を真っすぐ行けばどのモスクにたどり着いて、ここが広場で、などという観光地の場所まで教えてもらい、地図までもらった。しかしそれでもマラケシュのメディナを歩くのはまだ恐怖しかない。なんせあの迷路、迷路、どこをどう行けばいいかわかるだろうか、不安で仕方がない。10時頃、とりあえず表へ出てみる。写真美術館というのがあったので行ってみることにする。地図を取り出し、周りを見渡しながら歩く。が、やはり全く検討がつかない。おそらくこの道だろうという道を歩きながら進む。

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日差しがきつく、冬だというのに暑い。気温は25℃を超えている。人を避けながら歩き、バイクを避けながら歩く。多過ぎてとても苦労する。ときどき人にぶつかって謝る。バイクにはなんとかぶつからないようにする。地図の方向と道の形を検証しながら進む。その途中にも、現地の人にやたらめったら声をかけられる。「どこに行きたいんだ?」「タクシー乗るかい?」「日本人?見ていって」「Square is this way!(スクウェアはこっちだよ)」この「スクウェア イズ ディスウェイ」はその後トラウマのように何度も聞くことになった。そして案の定、道が全然わからなくなる。写真美術館はどこだ。もう観光客さえ全然見かけない、地元の人しかいないエリアになっている。そして仕方なくその辺の人に、今ここがどのなのか、地図を見せて聞く。

「ここだよ。どこに行きたいんだ?案内してやろう、モスクはこっちだ」

「いや、いい、ありがとう」と断って歩き出す。どうやら全然違う北の端の方に来ていたようで、写真美術館がある東の方へと向かう。そう言えば、僕は方位磁針を持ち歩いていたことに気づく。カバンから取り出し、地図と合わせて方向を確かめながら歩く。

ホステルを出てから1時間ぐらい経ってようやく写真美術館にたどり着いた。これは方位磁針と地図と勘のおかげだ。入場は40dhとやや高めだが、一度チケットを買えば何度でも入れる。展示されている写真は、ちょうど100年ぐらい前のマラケシュが写しだされている。顔つきも服装も今と全然違って、一層アフリカ色が強い。今はどちらかというとアラブの国になってしまっている。住む人々そのものが変わってしまったのだろうか。しかし日本も100年前の写真となると、人も服装も大きく違うだろうからそういうものかもしれない。写真美術館は屋上がテラスとなっており、そこでミントティーを飲んだ。添えられていた角砂糖3つを全て入れた。

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写真美術館の上から

チェックイン出来る時間になり、ホステルまで戻ろうということになった。方位磁針という武器が備わって、今度こそ道に迷わず行けるだろう。そんなわけなかった。結局戻るには戻れたが、距離で考えれば20分ぐらいで帰れるはずなのに1時間近くかかった。ホステルに戻ると服を洗濯し、休んでいた。暑い中道に迷い果てて疲れていた。どうもこの旅行は疲れてばかりいる。

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夕方4時から再び外へ出る決心をする。地球の歩き方などを読んでいると、マラケシュのメディナには目的地への案内板などがあり、それをたどれば着く場所もあるそうだ。これから向かうジャマ・エル・フナ広場へはその案内板をたどって行くことにした。スークという場所を通る。スークとは、食品以外も扱っている錦市場のような通りだ。いちいち京都で例えても京都人以外はピンと来ない上にモロッコ感もまるでない。スークで取り扱っているのは服、革製品、真鍮、スリッパ、石鹸、アクセサリー、帽子、絨毯、それぞれエリアが固まっていたりバラけていたり、つまりなんでも売っている。このスーク内においては日中であれば自転車やバイクが通れなくなっており、他の道より安全でもある。チェコ好きさんは歩く際にサザエさんのように手を広げるため、バイクや自転車に手の指が轢かれそうで気になっていたからここでは安心だ。ただし観光客が周りの商品を見ながら歩いているため進むのが著しく遅い。

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スークを抜けると広場に出た。最初は「これがジャマ・エル・フナ広場か?思ったより規模が小さい」と思っていたが、奥に進めば広場の規模を思い知らされた。なんて言いえばいいのだろう、大運動会だ。お祭り騒ぎである。しかも彼らはこれを毎日やっているんだ。気が狂っていると言われたって信じる。日本の繁華街やオフィス街なんかはただ人が多いだけで顔は死んでいる。こっちは本当にお祭り騒ぎだ。毎日が大晦日とか、毎日が初詣とか、そういう感じだろうか。

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次回、7日目② マラケシュの迷路