7日目② マラケシュの迷路

前回の続き

お祭り騒ぎでは具体的にどのようなことが行われているかというと、猿回し、蛇使い、劇のような催し、楽器の演奏、ダンス、馬車の客引き、露店、店もなく商品を持ち歩きながらの物売り、地面に座り込んだ物売り、そういった人たちと観光客、地元の人たちで溢れている。売られているのはオレンジをまるごと絞ったジュース、ザクロもある、真鍮製の魔法のランプみたいなポットに入れた茶だったり、コーヒー、スークでも見かけたような革製品、ブレスレットやネックレスといったアクセサリー、スカーフなどの服飾品、挙げていてもきりがない。

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蛇使いと観光客

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広場を歩いていると、2階のテラスから多くの人が写真を撮っているのが見えた。やっぱりああいうのは行きたくなる。どこから上にあがるんだろうと思って真下の店に行くと違う、その隣にはカフェがあり、上に登る階段があった。観光客らしき人たちが登り降りしている。ここしかない。階段を上がるとカフェになっていた。ここから先はさすがに商売だ。注文をすると中に入れる仕組みになっている。ここでもまたミントティーを注文する。相場よりやや高い。中に入り、テラス席に座ろうとするが既に観光客でいっぱいだ。かなりの人が写真を撮っている。テラスから外を見渡すと、なるほど、この風景は多くのガイドブックや観光案内で使われている景色だ。わかりやすく様になる。ミントティーは砂糖が足りなかった。

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広場を一通り見回って次に何をしようかという話になった。チェコ好きさんは広場の南にあるユダヤ人地区、メッラハに行きたいということで向かうことにした。途中にモスクの前を通ったが、時間外なのかなんなのか中には入れなかった。モスクはどこでも基本的に中に入れないことが多い。「開いていない」と教えてくれたおっさんは街をガイドしてやろうか?としつこく言ってきた。いつものタカリなので断った。ユダヤ人地区がこのあたりにある、という記述が地球の歩き方にあるだけで、その近くまで向かってみたがどこかわからない。観光客なんて全くいない。地図を見て、おそらくこのあたりだろうということは間違いない。周辺を歩き回ったが、細い路地があるだけ。人が多いわけでもユダヤ教風の何かがあるわけでもなく(それがどんなものかも知らないが)、僕らはもうそこを離れることにした。

後で知ったがユダヤ人たちの多くはイスラエル建国と共にそちらへ移住してしまったそうだ。その理由はいろいろあるだろうけれど、一つは当時のアラブ諸国とイスラエルの対立が大きい。言うまでもなくモロッコはイスラム教国であり、アラビア半島にユダヤ人の国家であるイスラエルが建国されてしまうとモロッコにいるユダヤ人にまで対立の影響が及び、ユダヤ人がモロッコに住み続けるのは困難になる。当時モロッコから移住したのは26万人らしい。今モロッコ全体に残っているのは2,000から2,500人とか。

Moroccan Jews - Wikipedia, the free encyclopedia

モロッコ - Wikipedia

モロッコ旅のまよいかた>文化編>モロッコを構成する民族・ユダヤ人

夕方6時半頃、先ほどのジャマ・エル・フナ広場へと戻ってきた。屋台で食事をとろうということになり、いろいろ見て回ろうと思ったが最初に方に声をかけられたところに座ってしまった。もう疲れていた。僕は焼き鳥のような串にいろいろ刺さったもの、チェコ好きさんはクスクスを頼んだ。シャウエンと同じでこちらの夕食時というのはやはりもっと遅いらしく、ここでもまだ食事をしている人は少数だ。客は僕らとあと2,3人ぐらいだった。他の屋台を見てもカウンターのようなところで茶を飲む程度の場所には人がいる、スナック程度の屋台メシを食べるところにも人はいる、でもテーブルでしっかり食事をするような場所はまだガラガラだ。食事が出てきて食べた。串焼きは普通。クスクスは味がない。モロッコで食べる料理は基本的にあまり味がしないものが多い気がした。最後にミントティーが出てきた。店の人から「これはサービスだ」と言われた。

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早い時間

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食べ終わる頃には座る人も増えた

食事が終わってまだ夜7時半頃だったが、あたりはすっかり暗くなっている。昼間は27℃ぐらいまで気温が上がったのに日が沈むと寒い。たくさん歩いたり色々迷って疲れたこともあり、帰路につくことにした。さて、また脅威の迷路を歩かなければならない。帰りは行きに通った道をそのまま通って帰ればいいだけなんだが、その行きに通った道なんてもう覚えていない。それでも歩くしかない。マラケシュなどで道に迷いたくなければ、現地simを購入してGPSを利用したGoogleマップルート検索などを利用するのが最善だろう。僕のように紙の地図とコンパスで移動するなんていうアナログな手法は仮に上手くいったとしても消耗が大きすぎる。

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そしてやはり道に迷った。夜8時頃にもなると昼間に通ったスークは閉まっている店も多く、景色が異なっている。アーケード内はバイクが通るようになっており、身の回りの注意も増える。子供がやたらめったら話しかけてくる「どこへ行きたいんだ?」「Square is this way!(スクウェアはこっちだよ)」そのうち道を歩く人々が現地の人だけになり、観光客がいなくなる。またわけのわからないところへ来てしまった。それでも真っ直ぐ歩いていると、ついに門から出てしまい旧市街を抜けてしまった。ここがどこなのか、どこで道を間違えたのか、どこをどう行けば戻れるのか、何もかも検討がつかない。

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しかし僕には最強の武器があった。方位磁針である。まず門と城壁と通路の形状を確認して地図から現在地を割り出す。そしてホステルがある方向を見失わないようひたすら歩く。なるべく大通り、それもなるべく今まで通った通りや観光客が通りそうなわかりやすい道を目指す。マラケシュ・メディナにはランドマーク的なランドマークがあるといえばあるが無いといえば全然無い。道しるべになるようなものは本当に少ないから、自分で特徴を覚えて歩くしかない。それも夜になったら片付けられないような、別の方向からでも確認できるような、違う場所に同じ物が存在しないような、そういう道しるべを選んで頭ン中にマーキングする必要がある。暗く細い迷路のような道は、クーロンズゲートを思い起こさせる。

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ある程度元いた道に戻ってきたが、ここからがやはりわからない。子供に何度も話しかけられ、道がわからない僕は心が折れてしまった。

「どこへ行きたいんだ?連れてってやるよ」

しかしもう朝ようなことになるのは面倒だから少し躱した。

「この通りへ出たいんだが、どっちだ?」

「具体的にはどこへ行きたいんだ?連れていってやるから」

「この通りに出たいだけなんだ」

ホステルの前の通りにさえ出ることができれば自分たちで辿り着ける。

「それだったら、この道をまっすぐ進むだけで出るよ」

躱せた。子供に手間を掛けさせることもなくお礼だけ言ってその場をやり過ごすことが出来た。そして言われた通り真っ直ぐ進めばホステルの前の通りまで出られた。その後はもう簡単だ、帰るだけ。ホステルに着いたのは夜9時を過ぎていた。夕食をとってからホステルに戻るまでに費やした時間、1時間半(30分あれば帰れる距離だった)。

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ホステルの前の通り

次回、8日目 マラケシュの悪夢