8日目 マラケシュの悪夢

前回の続き

マラケシュの悪夢というのは、先日書いたとおり道に迷う悪夢を指している。どちらへ行けばいいのかわからない、どちらから来たのかもわからない、どちらを見ても同じに見える、時間はどんどん過ぎてゆく、道行く人に、子供にしつこく付きまとわれる、まるで樹海を歩いているようだ。マラケシュのメディナが樹海だとしたら、付きまとう子供たちは、言い方は悪いが群がる虫のようだ。鬱陶しくて相手にしてられない。この地では彼らに分があり、現実として彼らの助けを借りておきながら偉そうなことは言えず、実際に悪い人ばかりではないんだけどそれはこちらの対応次第というところもあるだろう。それにしてもめんどくさくて構ってらいれない。僕に余裕がなかったせいもある。

 

宿のおっさんに

「キッズにはどう対応したらいいのかわからない」

という質問を投げた。彼は

「声をかけてくるような子供はまともな教育も受けていないから相手にしなくていい。もし道を聞きたければ警官に聞くか若い女性にしたほうがいい、とにかく子供は無視したほうがいいよ」

そんな風に言った。子供たちにしてみればなかなかきつい意見だね。僕が初日に金をたかられたのは年配のおっさんで、それ以降キッズたちにも警戒してまともに相手してこなかったが、今のところ彼らから実害はない。騙されたとか財布を取られたとか恐喝や暴力を受けたとか、そういったことは一切なかった。それは運が良かったのか、相手が良かったのか、対応が良かったのか、僕以外の観光客はそういった被害も受けているのか、よくわからない。

それにしても彼らがやたらめったらしつこく声をかけてくる理由がわからない。そうまでするだけの何か、明確な目的がなければおかしい。その目的というのがやはり金なのか、ただの親切にしては度が過ぎており、実際に金をタカってくるのだろう。多少の親切を受けて見返りに小銭を渡すというのは、モロッコに限らず途上国の観光地においてよく見られる光景であり、それがある種の商売、経済ルールのように成り立っている。そういった習慣が良いとか悪いとかは別として、彼らがそうやって金をタカろうと必死になってくるのはやはり邪魔であり、めんどくさくて、不快で、人によっては恐怖でもある。その街で宿を経営するおっさんからすれば、客が街にそういう印象を持つのはマイナスだろうし、彼とキッズたちの間にどれほど貧富の差があるかはわからないが、自分の街の子供たちを良く思わないのは理に適っている。誰が正しくて、何が正しくて、どうするのが正解なのか、どういう状況が正常なのかというのは答えのない問答のように思える。

マラケシュ2日目、パンとコーヒーの朝食を終えて宿のロビー兼テラスでくつろいでいた。日が照る場所では暑く、日陰に入るだけで寒いがここは落ち着く。しかし壁の外を思うと憂鬱になった。今日もまたマラケシュの迷路を、悪夢を歩かなければならない。バイクや車、人混みをかき分けて、声をかけてくる人々を無視して歩かなければならない。そして確実に道に迷わなければならない。それを考えただけでこのままロビーに居続けようかと思った。いや、それほどでもない。それほど悪くもない。僕は旅行に来ており、それは日常において体験できないココにある物事であり、憂鬱でありながらも喜びである。さて、今日はどんなことが待っているだろうなどというような期待はない。おそらく昨日と同じ、歩き続けては道に迷い、冬だというのに(マラケシュでも列記とした冬だ)きつい日差しを浴びて日に焼けながら街の子供に声をかけられ続けて疲労を重ねていくのだろう。案の定、チェコ好きさんはめげていた。

めげていたといっても、今日はラハバ・カディーマ広場へ行ってみたいと言われてそこへ向かうことにした。1912年まで奴隷市場があったということだが(地球の歩き方にそう書かれておりネットで調べてみたが詳しい情報は見つからなかった)、今はスークの先のみやげ物市場となっているらしい。

地図ではこのあたりになるが、ここへどうやってたどり着こうかと思い、一度昨日行ったジャマ・エル・フナ広場へ出てから北に上がって向かおうということになった。その方がまだかろうじて道に迷わないだろう。そして僕らは再びジャマ・エル・フナ広場へ向かった。行く道を確かめながら、方角を確かめながら、道にある標識、目印になりそうな物、そういったものを脳の片隅にとどめながら歩いた。あれ、昨日より少し慣れた?そんな風にさえ考えていた。それは間違いではなかっただろう。確かに初めて歩いた昨日よりも、このメディナを歩くのには慣れている。これは昨日も見た、ここは昨日も通った、ほら、ここを曲がればあのレストランがある、今のところ順調に進めているね、なんて。だからといって、それが十分かと言えば全くそんなことはなく、さらなる悪夢が待ち受けているなんて僕らはその時思いもよらなかった。

スークを通りぬけ、ジャマ・エル・フナ広場へはたどり着いた。そして広場には目もくれずそのまま北上し、ラハバ・カディーマ広場を目指す。距離が近いから簡単なはずだ。スレイマン門を抜けて地図に書かれていたとおりの道(それは商店街の中にあるような本当に細い道だった)を確認しながら歩き、その先にあったのは間違いなくラハバ・カディーマ広場だ。途中少し迷ったが初めてすんなりと目的地に辿りつけた。マラケシュ・メディナにおける経験値も地図の読み方も確実に上達している、万々歳。そのようなことで上機嫌だった我々は、ここで何か土産物を買うことにした。土産物と言っても大したことない、自分への土産物である。市場をぐるぐると歩き回り、チェコ好きさんは化粧品のオイルか何かを、僕は綿でできた水色のご当地帽子のようなものを買った(70dhと観光地価格だった)。

広場をあとにして、この近くで何か見るものがあるか探していた。ベン・ユーセフ・モスクがあった。そこまで歩き、ついでだから中に入ってみようと思ったらやはり入れなかった。近くにあるベン・ユーセフ・マラドサなら入れそうということでそこに入ることにした。詳しくは調べていないが、イスラム教の学校、寄宿舎だったらしい。今は使われていないと思われる。というのは中に入っても空き部屋しかない。中庭はあんなに大きくて荘厳なのに各部屋は非常に小さく、ここで寝泊まりは大変だ。

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近くのレストランで昼食をとった。僕はサンドウィッチ、チェコ好きさんはタジン鍋、そして再びミントティーを頼む。マラケシュは実質今日で終わりだ。明日は急ぎこそしないものの、電車で3時間かけてカサブランカへと向かう。マラケシュでやり残したことというのも特に無い。今からどうしようか。ガイドブックなんかを読んで、名前を覚えていたのはマジョレル庭園。時間があったら見ておこうというぐらいに思っていた。マジョレル庭園は旧市街の外にあり、外は駅からホステルへ来た時と、間違って門の外へ出てしまった時以外全く出ていなかったこともあって行ってみることにした。

壁の外は道が広く何車線もあり、車が多くて信号もついている。こんなことはマラケシュに着いた日、駅からホステルへ向かう間に知っていたことだ。ずっとメディナにいるとそんなことも忘れてしまう。メディナの出口近くには、僕らがタンジェで利用したようなバスターミナルがあり、人が行き交う。またここから遠くへ行く人、遠くから来た人。明日は飛行機に乗るためカサブランカに移動して終わりだから、モロッコ観光も実質今日が最後であり、まだ旅行が続く人のことをバスターミナルにて思う。物悲しい。門の近くでは果物が並べて売られている。露店だ。冬だから幸い虫は少ない。

旧市街を出た僕らは実に簡単にマジョレル庭園までたどり着く。入場料は70dh。このマジョレル庭園ってのはなんなのか。名前の通り造園家のマジョレルさんが作った庭園だ。後にイブ・サンローランが買い取り、少し手を入れた。所有してからもイブ・サンローランがよく訪れていたということで中にはブティックがあったりデザインギャラリーがあったり、彼の遺灰を撒いた上に石碑が建っていたりする。マジョレルさんはフランス人、有名な家具デザイナーの息子で、といった詳しい話は全て公式サイトに載っているから興味があれば読んでみてください。

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Jardin Majorelle

ここはもう休憩所だった。竹やサボテンが強い日差しを遮り、青い塗装も相まって涼しい時間を過ごすことが出来る。庭園には各所ベンチがあり、僕らはそこで老人のごとく腰を下ろしていた。目の前には本当に老人が座っており、本を読んでいた。

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マジョレル庭園には1時間近くいただろうか。帰りにモロッコに来てから初のスーパーマーケットに寄り(日本や外国のスーパーと変わらない作りで客が2,3人しかいなかった)、そのまま一旦宿へ戻った。宿で洗濯をしたり明日出て行く準備をしたり、だらだらしたりしていた。お腹は空いていなかったが、広場にある屋台で食事をしようということになった。地球の歩き方には14番の屋台にある揚げ物がおいしいとか書かれていたからそこを目指すことにした。

時間は夜8時半、外は既に真っ暗だがジャマ・エル・フナ広場へはもう2度たどり着いている。余裕だろうと思ってどんどん進んでいった。もうどこをどう進んだのかさえ覚えていない。あっという間に観光客がいなくなった。周囲を見渡せば現地の人ばかり、ああこれは迷っているな。結局そうなった。いわゆる、そう、タカをくくっていた。さすがにもう大丈夫だろう、僕もチェコ好きさんもそう思っていた。通りすがりのキッズが寄ってくる。「そっちじゃないよ!」「どこ行きたいんだ!」「Square is this way!」もうそのスクウェアってなんなんだよ、スクウェアがどうとか言うけれどそもそもどこがスクウェアなのかさえ知らないから言われたところでわからないんだよなどと内心思いながら聞いてないふりをして通り過ぎる。地図も方位磁針も使っているが、曲がる道が見当たらない。「ジャマ・エル・フナ広場はこっち」という標識はいつの間にかなくなっている。見渡せど見渡せど現地の人、観光客である我々が紛れ込んでいると明らかに異質に感じる。よくわからないモスクなんかも通り過ぎ、そうこうしているうちにまた城壁の外に出てしまった。今回は城門もなかった。地図を見てもどこにいるか検討がつかない。降参だ。とにかく来た道を戻った。目印としては、昼に見たモスクをなんとか目指そう。そのあたりはモスクが閉まると人通りがなくなり、レストランやみやげ物屋も閉まっている。薄暗かった。スークの店も閉まっているどころか、シャッターが降りてスーク自体閉まっているところもある。そう、昼間はここを通って来たんだ。ここが通れないなんて誤算でしかなかった。時間は夜10時、ここからだったら帰る道もわかる。今からよくわからない道を歩いて広場を目指すよりは、ホステルへ帰ることを選んだ。

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ホステルへの帰り道、一軒の路面店に人が群がっている。店の前にはプラスチックの簡易テーブルとイスが置かれ、そこで食べている人もいる。そこには観光客が一人もおらず、現地の人ばかりだったがそこで食事をすることにした。ファストフードと書かれており、よくわからないモロッコのハンバーガーやサンドウィッチみたいなのとフライドポテトがセットで出てくるようだ。値段は13dh(約150円)。格安だ。店の前に来て注文しようとするが、英語は通じない。パネルを指差したりしていると横にいた若い兄ちゃんが代わりに注文してくれる。お礼を言って出てくるのを待つ。「座って待っててくれよ」と言っているのだろう、周りの若い客も店のおっさんもイスを勧める。中には英語を話す若者もいて「どこから来たんだ?日本か、日本人は何カ国後話すんだ?たった一つなのか?」そんな会話をした。ここでも観光客、現地の人という構図に変わりはない。しかし、ここで彼らは決して金をタカったりしない。通訳をしたり店員でもないのに出来上がった料理をテーブルまで運んできたり汚れたテーブルを拭いたり、そういった親切をただの親切としてやってくれる。僕らはただひたすらお礼を言うのみだった。もっといろいろ話せばよかったが、なにぶんその前に迷って疲れすぎていた。店のおっさんも言葉は通じなかったが気さくないい人で、遅い時間にファストフードを食っていく若者や買ってバイクに乗って帰る若者で賑わう店だった。彼らの本質はこういうところにあるのだろう。悪夢は最後、悪夢ではない形で幕を閉じた。

マラケシュの宿題 14番の屋台

E07 地球の歩き方 モロッコ 2014~2015

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TRANSIT(トランジット)9号?永久保存 美しきモロッコという迷宮? (講談社 Mook)

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次回、9・10日目 モロッコからヨルダンへ