13日目② エルサレム旧市街へ

前回の続き

旧市街へは、新市街からアクセスの良いヤッフォ門から入る。門の前ではパンを売っている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地があるエルサレムとは一体どんなところなのだろうか。国際紛争の種になり、テロや事件が跋扈するエルサレムとは、果たして。そのような思いを胸に抱きながらヤッフォ門をくぐり、足を踏み入れる。そこには、そこには多くの観光客と物売りで賑わう観光地があった。レストラン、ジュース販売、おみやげ屋、ツーリストインフォメーション、写真を撮る観光客、子連れ、カップル、高齢者、「エルサレムは世界中から巡礼者が集まるから安全」という話を聞いたことがある。しかしこれはどちらかというと、観光地として安全が確保されているように見える。嘆きの壁を目指そうと真っ直ぐ進む。両脇にみやげ物屋、これはモロッコにあったスークに近い。店主もアラブ人だ。売り物は銀や真鍮の装飾品、イスラエルの国旗やマークが入ったみやげ物、ユダヤ教のシンボルであるメノラーと呼ばれる燭台から邪眼除けのお守り、キリストの十字架等なんでもありだ。節操が無い。これではまるでディズニーランドではないか。僕にはこのエルサレム旧市街が宗教テーマパークにしか見えなかった。もしかすると、僕は行ったことないけれど伊勢神宮なども同じなのだろうか。出店や屋台がたくさんあり、神にあやかるグッズやお守りが売っているあたりは同じなのかもしれない。聖地とは本来的にそうなるものなのだろう。

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真っ直ぐ進んでいると、前に銃を構えたイスラエル兵が道を塞いでいた。

「ここは地元の人しか通れない」

このあたりは伊勢神宮と違うところなのかもしれない。紛争は事実としてそこにある。それは面影ではなく、まさに今その渦中であることが伺える銃を提げた兵士たち。兵士はイスラエルへ来てからありとあらゆる場所でかなりたくさんの数を見ている。聖地であり宗教テーマパークと見紛うここエルサレムではさらに多い。

地図上ではここを通らないと嘆きの壁にたどりつけない。後でわかったのが、嘆きの壁まで行くには荷物検査のある検問所のようなところを通って行くことになる。それは壁へと続く道数カ所に設置されており、そこはだいたいいつでも通れる。この時はそれを知らず、今日は行けないものだと思って通り過ぎた(事実ここは通れず検問所は近くにあった)。僕らは嘆きの壁を諦め、そのまま北に進んで聖墳墓教会へ向かうことにした。エルサレム旧市街は区画によって住む人が分かれている。アラブ人地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒の地区など人々も店も雰囲気も全く異なる。聖墳墓教会へと続くヴィア・ドロローサはキリスト教徒の区画となっているのか、神にあやかってか十字架やキリストの絵などキリスト教徒向けのグッズばかり売っている。僕らはヴィア・ドロローサの標識を見つけ、それを辿りながら聖墳墓教会への道のりを歩み進める。ちなみに入国審査の時などこちらで「ヴィア・ドロローサ」と言っても通じなかった。

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聖墳墓教会 - Wikipedia

ヴィア・ドロローサ - Wikipedia

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イエス・キリストがかつて十字架を担いで歩いた道だとはとても思えない

エルサレムの旧市街は、マラケシュほどではないが細い道がいくつもあるため少しわかりづらい。多くの人が出入りしており、「人がたくさんいるからこっちだろう」というのは全然あてにならない。地球の歩き方にあった地図を見ながら進んでいくと、聖墳墓教会があった。 

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教会の前には多くの巡礼者や観光客がいて写真を撮っている。ここから聖遺物が見つかりゴルゴタの丘だったと定められ、イエス・キリストが十字架にかけられて死んだ場所ということになっている。クリスチャンにとってこの場所に来ることは、他のどの教会にも優る聖地巡礼だろう。女性はスカーフを被り、教会で泣く人、真剣に祈る人が絶えない。エルサレムはやはり聖地であり、巡礼の地であることを実感する。教会の中で写真を撮る人もかなりいるが、それでも彼らのほとんどはクリスチャンだろう。僕のようなただの観光客が面白半分で来ては気が引ける場所だった。そういう意味で、この聖墳墓教会の中にあるイエスの墓には並ぶ気が起きなかった。真剣な人に対して申し訳ない気がしたからだった。

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イエス・キリストの墓に並ぶ巡礼者たち

聖墳墓教会を出ると、ヴィア・ドロローサを逆に歩いてゲッセマネの園へと向かう。標識を辿りながら歩いていると、多くの巡礼者たちとすれ違う。東側のアラブ人地区に近づくと人や車が多く危なかった。ヴィア・ドロローサはいつの間にか終わっており、城壁の外へ出てゲッセマネの園まで歩いた。ここは跡地という感じでさらっと見て終わる。旧市街に戻り、来た道を帰っていると検問所のようなところがあった。そこでは観光客らしき人が荷物検査を受けて中に入っていった。ここは通れるんじゃないか。僕らも荷物を通してゲートをくぐったら、その先には嘆きの壁があった。

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夕刻ではあるが、大勢の人がその場にいた。僕らのような観光客も多い。それ以上に熱心に祈るユダヤ教徒、外国から聖地巡礼に来たユダヤ教徒、ダビデの星の国旗を掲げて写真を撮るユダヤ教徒の子供たち、ここは彼らにとって許された場所なのだろう。嘆きの壁は左右に分かれており、右が女性、左が男性の祈る場所となっている。ある程度の距離のところで柵があり、僕らが壁に近づいていいのかどうかわからず様子を見ていたら、どうやら問題なく壁に近づけるそうだ。ただし男性はキッパか帽子をかぶらなければいけないと地球の歩き方に載っていた。キッパは柵の前で配布されている。僕はユダヤ教徒でもないのにキッパを被ることにどうしても抵抗があり、帽子も持っていなかったためチェコ好きさんに帽子を借りて壁へと近づいた。壁の前にいるユダヤ教徒、壁に額を着けブツブツ祈っている、イスに座って本を読んでいる、だいたいがこの二種類だ。彼らはずっとそうしている。観光客は壁に近づいても数分ほどでその場を離れる。彼らはいつまでそうしているのだろう。僕は何枚かの写真を撮る。あまり近づいては撮れなかった。

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今回の旅行はここに来るための旅行であったと言える。5年前、ヨルダン側の死海を訪れた時には対岸にあるイスラエルの地に思いを馳せていた。いつかそこに足を踏み入れ、それがどういう場所なのか体感してこようと。それがまさに今となる。ここで彼らユダヤ教徒は、大手を振って祈ることができる。周辺の住民に変な目で見られ、街で迫害を受けることもない。我々からすればこの異様な光景も、彼らがずっと、自然に求め続けてきたことなのだろう。ここで彼らはやっと自由を得たのではないだろうか。聖地を手にした彼らからは、活き活きとした信仰の自由を感じた。これからはどうするのだろうか。ユダヤ教徒についてイスラエルにいる間ずっと考え続けることになる。

嘆きの壁 - Wikipedia

嘆きの壁をあとにして、ユダヤ人地区で食事をした。肉団子を揚げたようなものを挟んだサンドウィッチ、チェコ好きさんはピザを食べる。その後は元来た道を戻ってホステルへと帰った。エルサレムは一瞬テーマパークに見間違えたが、紛れもない聖地だった。遊びと祈りと争い、それら全てが共存している。

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ユダヤ人地区

ペンブックス19 ユダヤとは何か。聖地エルサレムへ (Pen BOOKS)

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次回、14日目 エルサレム新市街を歩く