14日目 エルサレム新市街を歩く

前回の続き

昨日、エルサレムにある聖墳墓教会と嘆きの壁、2つの宗教の聖地を見た。残る聖地はイスラム教の岩のドームだけとなる。岩のドームが見られる時間は非常に限られているようで、朝7時から10時までの間と言われた。それ以降はお祈りが始まるのかなんなのか、異教徒は全員神殿の丘から追い出される。これは何も岩のドームの中に入れなくなるとかそういう話ではなく(中はいつでも入れない)、外から見える場所さえ立ち退きになる。岩のドームがある神殿の丘へ行くには、嘆きの壁のすぐ隣りにある歩道橋のようなものを通って行かなければならない。それ以外の道は出口専用で、入り口はそこ一つとなる。

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この右にある通路の先が神殿の丘

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ホステルには朝食がついており、食べたあと9時前には旧市街へ向かっていた。昨日と同じようにヤッフォ門から真っ直ぐ通りぬけ、階段を降りた場所にある荷物検査を通って嘆きの壁の広場まで出る。そこから右に曲がって歩道橋というかアーチの入り口に向かう。その橋を渡ると岩のドームがある神殿の丘へと辿り着く。神殿の丘とはその名の通り、その昔エルサレム神殿があった場所だ。嘆きの壁はローマによって神殿が破壊された時に唯一残った西側の壁の部分となる。今その神殿の丘にはイスラム教の聖地として岩のドームが建っている。そこはアラブ人の地域となっており、観光客以外はアラブ人しかいない。観光客は岩のドームの写真を撮ったりしているが、雰囲気は張り詰めている。警戒態勢というところだろう。僕らが着いたのは9時半頃、一部団体の観光客はいるが、あまり多くない。奥の方で何かを叫んでいるアラブ人がいる。ドームの近くを歩いていると「あと15分で出てもらうから早くしろ」みたいなことを言われ、急いで写真を撮る。このあたりはある種国境のような緊張状態が続いているのだろう。

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岩のドームについて軽く触れておくと、岩でできたドームという意味ではなく中に岩が収められている。この岩は旧約聖書においてアブラハムがイサクを神に捧げようとした台だそうだ。そしてイスラエル王国時代には契約の箱をこの岩の上に置き、この場所にはエルサレム神殿が建っていた。70年にエルサレム神殿は破壊され、ユダヤ教徒はエルサレムの地を追放された。692年にはウマイヤ朝によって岩を取り囲むように岩のドームが建設された。イスラム教徒にとっては、ムハンマドがこの岩から天に昇りアッラーの御前に至ったという伝承があるらしい。

岩のドーム - Wikipedia

岩のドームを取り壊してエルサレム神殿を再建するという支持者は多くないとWikipediaには載っている。エルサレム神殿は一度再建されており、次に建つとしたらそれは第三神殿になる。ユダヤ教徒にとって嘆きの壁が聖地となっているのは、それが第二神殿の壁の一部だからであり、第三神殿が建てられるとそこで祈る必要はなくなる。ユダヤ教とイスラム教の対立は何もこの神殿の丘だけではないが、今後エルサレム神殿はどうなるのだろう。

第二神殿 - Wikipedia

岩のドームを出てからそのまま旧市街も出る。次は北の方にあるメア・シェアリームを歩こうということになった。新市街の方から北東に坂を登っては降りて、メア・シェアリームを歩いた。このあたりは超正統派ユダヤ教徒が多いということだった。確かに黒ずくめの人は多かった。多かったがここに来るまでに既に見慣れていた。次にどこにいこうかという話になり、地図を広げてヤド・ヴァシェムのホロコースト記念館にしようかと言っていたらお爺さんに話しかけられた。黒いハットとコート、モミアゲを三つ編みにした白髪のお爺さんだった。道に迷っていると思ったらしく「どこへ行きたいんだ?」と聞いてきた。「ヤド・ヴァシェム」と答えると、「トラムに乗って終点のヘルツルの丘で降りたらいいよ」と教えてくれた。僕らはお礼を言ってヤッフォセンター駅まで歩き、そこからトラムに乗ってヘルツルの丘を目指した。トラムは2人で11.8シェケル。ヘルツルの丘からホロコースト記念館まではバスが出ているが、本当に短い距離で歩いて行ける。僕らがバスを待っていると、通りがかったタクシーに「乗ってけ」と言われ「何で?」って聞かれると「どうせ俺も行くから」と言われ乗せてもらった。近かったからというのもあるだろう。

ヤド・ヴァシェム - Wikipedia

ヤド・ヴァシェムは観光客もいたが、それ以上に社会見学か何かで来ている現地の学生だらけだった。小中学生か高校生か、そういう団体であらゆるコーナーが塞がっている。そして大人たちは熱心に子供に解説している。子供の中には軍服で銃を掲げた人も多い。ここはホロコースト記念館という名前になっているが、ユダヤ教徒の教育の場だった。彼らはここでユダヤ教徒が歩んできた歴史を学び、祖父か曽祖父の世代が各地で迫害されていたことを学び、毒ガスで大量殺戮されたことを学び、イスラエル建国までの道のりを学ぶ。かなりしっかりした作りでお金がかかっている。しかし入場は無料だ。撮影は禁止されている。映像の歴史で見たビデオもたくさんあり、知っている内容が多かった。

ここで学ぶ若き兵士たちは、イスラエルの今後をどう思うだろう。イスラエルにいる限り、彼らは自分たちがユダヤ人であるということをあまり意識しないだろう。外国へ出て、自分たちの扱いに驚くだろうか。そうやってまたさらにユダヤ人という意識を強めるだろうか。男性は兵士も若い人も誰でもキッパを被っている。僕が各国を旅行していてその姿を見かけたことはなかった。彼らの目に、イスラエル以外はどう映っているのだろう。ホロコースト記念館はそういった諸外国におけるユダヤ人の扱いの歴史と、外へ出るための予備知識を収める場のように思えた。ユダヤ人はイスラエルにいる限り自由だ。

ここにはおみやげ屋もあり、勧誘がない店だったのでゆっくり見て選び、いくつか買った。ヘルツルの丘から再びトラムに乗って新市街へ戻り、ホステルの方へと歩いていた。エルサレムの新市街ではやたらと靴屋を見かける。なぜこんなにも多いのだろう。途中のピザ屋でピザを食べ、帰ろうとしているとサイレンが鳴っていた。皆が道を除け、パトカーが猛スピードで通り過ぎてゆく。それが何台も続いた。パトカーはサイレンを鳴らしながら10台以上、100km/hを越えるようなスピードで走り抜けていった。これはどうも尋常ではない。ホステルへ着いてからニュースを調べた。どうもこれらしい。

ダマスカスゲート近くで警官が2人撃たれたとか。その日はテルアビブでもアメリカ人旅行者が刺殺されていた。明日はパレスチナ自治区にあるベツレヘムを訪れる。ベツレヘムは去年のクリスマスに旅行者が全然来なかったと言われていた。

少し心配になる。

次回、15日目 ベツレヘムへ