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利害関係を越えた関係

人間関係に序列はあるのか。ある、というのが一般的だろうし、無いと答える人も中にはいるだろう。正義、ということを考えると、無いのが望ましいのかもしれない。しかし現実には、人と人との関わりには序列が存在する。優先順位というのがある。親よりも、子が大事。他人よりも、友人が大事。見知らぬ人よりも、顔見知りが大事。他種族よりも、同族が大事。犬よりも、人が大事。基準はいろいろあるだろうが、序列なんて存在しないとはなかなか言い難い。優先的な関係というのはどうやれば築けるのだろうか。親類、種族といったものは自ら決めることができない。それでは他人とは、他人とどうやって優先的な関係を築くことができるか。

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話は変わり、「これからの正義の話をしよう」という本がある。流行っていた当時、5年か6年ほど前に読んだ。これは初心者向けの政治哲学?の本だったように思う。そこに出てきた問答で電車の運転手の話があった。「線路の上に倒れている人がいる。急ブレーキをかければ脱線事故が起こるかもしれない、車内の何人かがケガしたり死ぬかもしれない。そのまま通り過ぎるか、もしくはゆっくり止まれば脱線事故にはならないだろう。しかし線路上の人は確実に死ぬ。あなたは急ブレーキをかけるか、否か」みたいなそういう話だった。具体的には覚えていない。こういう議論について、急ブレーキをかける、かけない、どちらが正しいかということを考えるのがこの本の最初の方にあるテーマだった。どちらが正解かというよりは、こういう考えは何派で、こういう考え方は何主義でという風に。

イマニュエル・カントの考え方としてあったのが、「誰かを助けるために誰かを犠牲にするという決断は正義ではない」というものだった。先ほどの問答であれば「例え乗客を助けるためであっても、急ブレーキをかけずに線路上の人を見殺しにするという選択は正義ではない」になる。それは、理由はどうあれ明確な「人を殺す意思」であり、そこに正義はない、と。逆に、電車を止めようとすることにリスクはあれど、そこには線路上の人を「助ける意思」しかなく、正義である、と。正義か否かは「結果の問題ではなく、意思の問題である」とかそんな内容だった気がする。どちらかしか選べないときにどちらを選ぶか、どちらを選ぶのが正しいのか、ということを考えているときに、この正義の話を思い出した。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

また違う話になるが、今現在長く付き合っているカップルがいるとする。彼らはお互い容姿も身体能力も知的水準も文化水準もアベレージであるとする。そんなカップルの男性に対して、別の女性が言い寄ってきます。別の女性はカップルの女性よりも水準が高いとします。例えばモデルだとか、アイドルだとか、財閥の令嬢だとか、何でもいいいけれど彼女よりも魅力的だとします。何故女が男に言い寄ってきたかはわからないけれどその疑問は今回置いといて、男は今付き合っている彼女と別れて女についていくだろうか。この場合、

  1. セックスするだけならどうか?
  2. 結婚までするかどうか?

という風に別けて考えることも出来る。そうすると回答例は3パターンある。

①セックスはするけど、結婚はしない
②セックスも結婚もする(彼女を捨てて女を選ぶ)
③セックスも結婚もしない(女を振って彼女を選ぶ)

さて、これらの選択ではどれが正しいだろうか、どれが正義だろうか。そういう答えはない。性的魅力のあふれた女であっても、彼女がいるから断る③という回答をする人もいるだろう。全てにおいて彼女を上回っている女を選ばない道理なんてない②という回答をする人だって普通にいると思う。僕が個人的に予想するのは①が回答例としては一番多く一般的なのではないだろうか。性交渉はリスクが小さい。結婚はリスク(責任)が大きい。手軽なことなら乗っかるけどめんどくさいことには関わりたくない、いいとこ取りをしたいというのが一般心理ではないだろうか。

彼女の視点ではどうだろう。中には①を許容できる、という人もいるかもしれない。②が許容できる人は稀だろう。それは許容ではなくて諦めに近い。基本的には③を望むと考えられる。仮に彼氏が①、彼女が③を望んだ場合、そこにはギャップが存在する。お互い①はOKというなら問題ないが、③を望む彼女が①を望む彼氏に③を選択させるにはどうすればいいだろうか。そこに序列、つまり優先関係がある。魅力の水準を超えた優先関係。全てにおいて彼女を上回る女のセックスさえも断るような彼氏と彼女の関係。利害関係を超えた序列。そういったものが存在していれば、彼氏は構うことなく、彼氏の倫理観を抜きにしても③を選ぶ。そんな関係はどうやって築けばいいのだろうか。無理なのだろうか。彼女と彼氏との関係において、そこらへんの上級な女を上回るような利害関係や序列を築くしかないのだろうか。彼女が悲しむから、とか。

実は、男性同士の友情というものにおいてこういうメリット・デメリットといった打算のない利害関係を超えたものは結構存在する。自らにとって有利な方、優れている方を選ぶのではなく、友達を選ぶ。理由を問われれば「友人だから」「友達だから」それだけ。男性はあまり「親友」とは言わない。友達の中から友達を選ぶというような状況があまりない。付き合いの長さや日々の親密度は多少関わってくるかもしれないが、基本的には友達になってしまえばあまり関係ない。女性同士は僕は女性じゃないからよく知らない。

自分を差し置いて、相手のことを思うことが出来るか。これは一つの基準になるだろう。困っている友人に手を差し伸べるとき、彼が友人であれば、例え彼が自分に感謝しなくても助けるだろう。相手だけを見る心。見返りを求めない気持ち。この場合相手が助かっても自分は何も得るところがない。得しない。感謝もされない。それにもかかわらずここで得られる満足感や効用とは、自分が相手を助けたことで相手からもたらされる見返りではない。もしくは相手を助けるという自己満足に酔った満足感でもない。ただ相手の状況が改善されたことだけよにって得られる。それは純粋に相手のことだけを思っているからだろう。自分より他人を優先できるか。他人であるあなたを優先してくれる人はいるか。理由はどうあれ、そこが利害関係を越える一線に見える。