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日常日記

日記

コミュニケーション型

コミュニケーション、コミュニケーション能力、コミュニケーション型、自分はコミュニケーション型ではない。コミュニケーションについては過去からずっと、未来永劫悩みの種だ。コミュニケーションがうまくいけば大抵のことはうまくいく。少なくとも自分からはそう見える。それがどう悩みの種かというと、コミュニケーションがうまくいかないことはもちろんだけど、自分はそれを望まず、コミュニケーションを省いてなんとかしようとするから余計にうまくいかない。コミュニケーション抜きでなんとかするなんて人と関わる限り無理だとわかってはいるが、そこをなんとかしたい。ディスコミュニケーションというのは和製英語らしい。miscommunicationの方が適切だとか。webにおいて、コミュニケーションはかなり回避することができるものの、やはりそこでもコミュニケーションの比重というのは大きく、用いたほうがいろいろな面で有効だ。コミュニケーションを用いないということは、つまり一方的であるということになる。一方的であって成り立つことというのは非常に稀か。しかし自分は一方的でありたい。発信も一方的で、受信も一方的。言いたいことだけを言う、聞きたいことだけを聞く。自分にとって、受信の原型は読書だったりするから一方的だ。コミュニケーションではない。発信といえばブログぐらいだけど、これもやはり一方的である。応答はない。対話することもあるがそれは一つのテーマについてであり、コミュニケーション的ではない。コミュニケーションとは、もともと一方的なものをすり合わせる作業にある。言うならば勘違いか、もしくは妥協の産物である。交わりは幻想である。その幻想に堪えられない。人に好かれる人が好きじゃないというのは、何も妬みから来ているわけではない。ただその人に好かれるという一点について魅力を感じない。人に嫌われる人が魅力的だという意味でもない。

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奇跡の生存

昨日の「人生でやりたくないリスト」をなぞるような形になるが、コミュニケーションと同様お金も苦手分野だ。こちらも過去から未来永劫悩みの種である。コミュニケーションが苦手でお金を稼げないとなると、それはもう敗北の人生が約束されたのと同義であり、いつ訪れるかわからない死の運命を待ち受けるばかりである。能力も人望もないとなると「足りないだらけの人生でした」と書き残して潔く天寿をまっとうするのが無難な引き際であるように思えるが、なかなかそううまくいかないのも生きるということの本質を現している。「なぜこんなにも」とか「何が足りないのか」とか「どうすれば」なんて同じことばかりをずっと頭のなかで巡らしては答えが出ないでいる。それは自分事だが、同時にある種の定型を示そうともしている。ユートピアは選ばれた者のためにある。それは自分ではなかった。勝ち上がった者のためにある。勝負したいと思う気持ちが理解できない。生存欲求はどこから、瀕死の状態から立ち上がれるのは強者である。自分は怖気づく。先日、50代の引きこもりが餓死しているニュースがあった。自分の運命もああいう形になると予想できる。誰も彼もが立ち上がれない、誰も彼もに救いはない。多くの人が事故や事件、天災で死ぬように、そういうのが紛れもない現実だ。直視するべきはそちらであり、根拠の無い未来や希望、楽観ではない。あれもできない、これもできないまま死を迎える。ホームレスまっしぐら。ホームレスという現実を直視する。

短歌

薄雲る空のむこうにある彼の地、砂にまみれた波を感じる

職探しについて

先日、外国での職探しについて経験が大事っていう話を書いた。あれは嘘ではないが、同居人のドイツ人と会話していたとき

「経験なんか必要ないよ。俺の友人はみな未経験で職を得ている、なんでこんなところでじっとしているんだ?もっと積極的に仕事探しに行けよ!」

そう言われた。これはこれで真実であり、これをやらないのは逃げと言われても同じ。この点については僕の日記に書いた「裏ワザ」の項目にある粘り強く一件一件周る手法に該当する。めんどくさくてやりたくないんだよなー、でもそれはやはり目の前の現実と向き合っていないことと同義である。雇われやすい場所というのは忙しくて人手が足りない場所であり、そういう場所だからこそ経験や技術を要求されると言える。簡単な仕事の見極めというのが難しい。外からどう見えるかはあてにならず、一見簡単でもそうでなかったり、簡単な仕事だけをやっているわけではないということが多い。実際に一度現場に足を踏み込まないとわからない。簡単で誰にでもできてそれなりのお金がもらえる楽な仕事というのは一体どこにあるのだろうか。それが何故表に出ないかというと、やはり需要と供給の関係だろうか。寡占というのもあるだろう。そういう内側に入り込むには一体どうすればいいのか。入り口が見つからない。楽じゃなくてもいいけれど、何かこう、精神を摩耗しないような、そういう場がないだろうか。これもやはり、コミュニケーションで切り開くしかないのだろう。めんどくさい。適性に恵まれた人が実に幸運に思える。適職診断をやってみたらすげえ結果が出た。

図書館

外国に滞在するとき(旅行などではなく中長期いるとき)はよく図書館を利用する。図書館と言っても日本語の本はないため、そこにある本を読むことはほとんどない。写真集を見たり、旅行のガイドブックを読んだりすることはときどきある。図書館で主に何をするかというと、ただパソコンを使う。無料のwi-fiが飛んでおり、電源が有り、イスや机があり、何も買わなくてよくて静かで誰にも気を遣わなくていい環境としては図書館ぐらいしか思いつかない。トロントにいた時はカフェでパソコンを使っている人も多かったため、カフェで利用することもあったけれどまず注文しなければいけないのと、長時間利用は気が引けたり、周りで人が話していたり出入りも多くて気が散る。それほど広くもなければ席がいっぱい空いているわけでもない。やはり図書館が最適だ。パソコンを使うと言ってもネットを見たりブログを書いたりする程度で、何か生産的なことをしているわけではない。ときどき履歴書を印刷したりする。プリンタが置いてある場所としてはやはり図書館ぐらいしか思いつかない。日本みたいにコンビニには置いていないけれど、街で探せばプリンタを貸し出しているサービスぐらいはあるだろう。トロントでは主にヤングブロアーにあるでっかい図書館に通っていた。

https://www.instagram.com/p/jD7KvVBvJV/

あそこは場所によってネットが弱く、ネット環境としてはあまり良くなかった。パースの州立図書館は、自分のパソコンではネットが使えなかった。市営図書館というのがあり、そこはワンフロアしかない小さな図書館でネットも使えたが、なくなってしまった。バイロンベイでも図書館を利用した。シドニーの図書館は古い感じのかっこいい図書館だった。

https://www.instagram.com/p/BEBMjLLBvEk/

メルボルンの州立図書館もそんな感じ。このあたりは建物が大きいからか、利用者数が多いからかやはりネットが弱い。今はメルボルンのLibrary at the Dockというところでこの日記を書いている。

日本の図書館だと、大阪の北堀江にある大阪市立図書館が快適だった。大阪に住んでいた当時はここに通うためだけに近くに住みたいと思っていた。でもこのあたりは人気がある土地で家賃も高い。

最近食べているもの

ほとんどがパン。colesというスーパーで買えるパンは一袋¢85であり、3日ぐらい持つ。これにハムとチーズを挟んで焼いて食べる。ハムは$3で同じく3日分ぐらい、チーズも$3ぐらいだけどこちらは一週間以上持つ。他にインスタントラーメンや、野菜ジュースなど。不健康極まりないが、カナダに住んでいたときもパースに住んでいたときもずっとこういう食事をしていた。みるみる痩せていく。ときどきスナックを買って食べる。$2.5のクッキーとか$1.8のポテトチップスとか。夏はよくアイスを買っていたけれどこっちに来てからはときどきハンガリージャックスの¢50ソフトクリームを食べるぐらい。