動物に対する根源的な恐怖心

アフリカ、ケニアのサバンナの映像などを見ていると、野生動物が跋扈している。そこは人間が意図的に保護地区として制定した地域かも知れないが、そういう大自然の中だと人間がただの動物の一種だということを感じる。ブラジル、アマゾンの密林地帯でも同じかもしれない。野生動物の中の人間という存在は、普段人間社会に暮らしていると意識することがない。いつからこのようになったのだろう。現代において、おそらく人間は数やその支配地域で見ても動物界のマジョリティに属する。しかし過去においてはそうでなかったはずだ。最近野生の熊のニュースが流れていたが、かつて人類がまだ野生動物の一部だった頃は、熊に限らず野生動物がそのへんを大手を振って歩いており、人間はその脅威に脅えながら隅に隠れて暮らしていたに違いない。人間が餌になる被害も今の比じゃなかったと考えられる。ウィキペディアの世界人口によれば紀元前1万年前、世界の人口は既に400万人に達していた説がある。紀元前1万年前というと、氷河期が終わって間氷期に入り、日本は縄文時代の真っ最中、イラク北東部では農耕・牧畜が始まっていた。400万人という数字が多いのか少ないのか、陸上に占める動物の中でどの程度の割合を占めていたのか謎だけど、現在アフリカのサバンナにいるヌーの大群は150万頭を超えると言うから世界中の人類が400万人しかいなかったというのは決して多い数ではない。各地で各種動物とのテリトリー争いを繰り広げながら時には傘下に入れ、家畜化したり支配したり絶滅させたりしながら徐々に勢力を伸ばしていったのが人類と自然界の歴史だろう。

世界人口 - Wikipedia

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人間社会に埋没して暮らしていると、人類がかつて野生動物の一種だったということが想像しにくい。この地球という星はありとあらゆる動植物で満ち溢れており、人間もあくまでその一部であっていわゆる人類の惑星ではなかった。現代ニッポンでは野良犬さえあまり見かけないが、1万年前となると人間よりも野生動物の数が多かったと想像できる。彼らはもちろん言葉が通じず、知性なんてものもない。人間を捕食の対象とする肉食獣も多くいただろうし、危険度で言っても現代の比ではなく、人類はテリトリーや群れを離れて活動すること自体が困難だっただろう。もし人類よりも知性のある動物がいたとしたら、人類も継続的な狩りの対象になっており、研究対象になり、絶滅しかけた人類は保護され動物園に入って見世物になっていたことも考えられる。

人間が支配する地域を離れる恐怖というのは、ことのほか大きく感じる。冒頭に挙げたようなサバンナで単独生活をするなんて、恐怖で身がもたないだろう。僕はまだ行ったことないが。

African Buffalos at sunset - Lake Nakuru (Kenya)

Wildlife - Crescent Island, Lake Naivasha, Kenya

海の世界でもときどき同じようなことを思う。人類は水中生活をするようにできていないため海で暮らすということは考えにくいが、通常の海水浴ではあまり海の生き物を意識することはない。海水浴で海中生物と接触するのはせいぜいクラゲに刺される程度だ。しかし沖合に出て、シュノーケリングなりダイビングをしたことがあるなら、海中における生き物の恐怖というのを感じたことがないだろうか。そこは人間の管理下になく、支配が行き届いていない。海中生物がうようよしており、大型小型問わず魚類や哺乳類があちこち行き来している。体に触れることもあれば襲い掛かってくることもあり、彼らの進行をこちらが邪魔してしまうこともある。海はつながっており、あちこちに海中生物がいるかもしれない恐怖というのを幼い時から感じていた。

underwater

Whale Shark - Maldives

この星にもまだまだ人間ではなく自然界が支配する地域というのは存在し、そこに文明の利器を持ち込まなければ人類がいかに非力であるか実感するはずだ。ずっと人間社会に属しているとその恐怖を忘れがちになるが、我々人類単体ではこの陸上世界、海中世界においてあまりにも無防備であり、無力だということをときどき思い出してふとそういう場放り出される恐怖に駆られる。