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飽きっぽさの象徴

同じ靴を買わない

世の中には同じ靴を何年も履き続ける人がいるということを、ここ最近まで知らなかった。同じ靴というのは穴が空いても破れても同じ靴を履き続けるという意味ではなく、履けなくなったらまた同じ靴を買って履くという意味だ。それは選ぶのが面倒だからという理由ではなくー中にはそういう人もいるかもしれないがーその靴が気に入って次に新しく買う時も同じものを選ぶという意味になる。スニーカーや革靴、ブーツなど種類は問わない。革靴であればソールを換えて履き続けることもできる。会社員の時に5,6足の革靴を回して履いていたが、手入れをする余裕がなかったためソールを換えるまでもなく全てボロボロになった。それらの革靴は色も形もブランドもばらばらであり統一性はなかった。

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今までに同じのを買ったことがある靴はオールスターとスーパースターだけ。これらについても本当に同じものを買う人は色形まで同じものを買う。僕が今まで買ったのは白だったりアイボリーだったり黒だったり星条旗だったり青のコーデュロイだったり、レザーだったりキャンバス地だったりばらばら、ほとんどはローカットだったが。今持っているのはヒモのないアイボリーのローカットオールスターと真っ白のスーパースター。唯一同じものを買ったことがあるスニーカーでさえこれだけのバリエーションがある。色形モデルが全く同じというのは一つもない。同じ靴を再び買うよりも、今まで履いたことのない全く新しい靴を試してみたい、という気持ちが強い。それは飽きっぽいからだと思う。

同じタバコを吸わない

喫煙者と会話するとき「タバコ何吸うの?」という会話が時々ある。そんなことを聞いてどうするんだと思うが、僕自身も話すことがないときたまに言う。昔はよく「決まっていない」と答えていたため「え、なにそれどういうこと?」と不思議がられて色々聞かれたりしたから、その後めんどくさくなって特定の銘柄を答えるようになった。「でも今違うの吸ってる」と言われたら「売ってなかった」と答える。そのやりとりいらんやろ。

お酒やタバコなど、嗜好品についてこだわらないようにしている。好みや相性というのはどうしても出てくるけれど、あまり気にしない、なるべくこだわらない、呑めればいいという気持ちが強い。タバコに関して、周りに喫煙者がいる人は知っていると思うが皆決まって同じものばかり買い続ける。ときどき変えることはあってもまた同じものをずっと買い続ける。普段買っているタバコが売っていないと何も買わずに出て行く人が多い。あれが理解できない。僕は基本的にタバコなんてタバコであればなんでもいい。お酒だって酔えればなんだって一緒だ。しかし彼らにとってはどうやらそうじゃないらしい。彼らにとってタバコは、タバコである以上の何かなのだろうか。それがよくわからない。

喫煙量は多い方ではないが、持っている銘柄がいつも異なっている。選ぶ基準もあまりない。同じものに飽きて違うものを買ったり、気分で変えることもある。新しい商品が出ていたら試すことも多かった。種類が多いため選ぶのがめんどくさくて同じものを買うことはあるが、同じものをずっと買い続けることはない。会う人にはお決まりのように「また銘柄変えてる」と言われる。よく「タバコを変える人は浮気症」なんて言われる。僕自身は全くそんなことはない。タバコに関しては「飽きっぽさの象徴」に当てはまらないかもしれない。何でもいい精神。

浮気症で思い出したが、女の人のことを「女」と呼ぶ層の人たちがいた。「彼女欲しい」とは言わずに「女がいる」と言う人たちだ。彼らは僕のタバコに対する気持ちと同じで「女であれば誰でもいい」と思っているフシが見受けられる。そういう人たちは決まって口説くのが上手く、よくモテる。彼らは総じて女の人を、自分の欲求を満たすための物か道具のようにしか見ていない。相手を対等に見ておらず、同じ人間としてとらえておらず、自分とは全く違った別の何か、男同士とも違った、自分の周りに属する物の一つとして女をとらえている。酒、タバコ、車、女、ギャンブルといった感じで同列に語られる。実にわかりやすい。男の人を「男」と呼ぶタイプの人も同じだろう。僕はそういうの苦手だ。

余談だけど、喫煙者は日本から出た方が多く感じる。日本以外だと路上喫煙は普通であり、先進国では一般的に屋内が禁煙になっている。このパブリックスペースとプライベートスペースの意識の違いは宗教観の違いから来るのか、むしろ日本だけが独特のように感じる。日本のような村社会ではパブリックスペースが重視され、屋内では喫煙してもいいが屋外で禁止される。僕がいたカナダやオーストラリア、旅行したアメリカやヨーロッパの先進国では、レストラン居酒屋に限らず個人住宅まで屋内喫煙ができる場所はほぼなかった。その代わり外はどこでも喫煙可で吸い殻も道端に捨てまくっている。そういった慣習の違いは現場に滞在していると実感し、最初は戸惑う。中にはシンガポールみたいなところもある。

同じ場所へ旅行しない

ハワイや南の島といったリゾートに限らず、気に入った旅先を何度も訪れるタイプの旅行をする人は意外と多い。海外でも一度訪れた場所は勝手がわかり、安心感があり、知り合いがいたり前回訪れた時からの変化を楽しめたりといった同じ旅先を訪れるからこその楽しみも少なくない。ただ僕はそういうことはしない。ルートの関係で同じ旅先に立ち寄ることは出てくるが、意図的に同じ場所を訪れたりはしない。もう一度行きたいという気持ちがないわけではない。今まで訪れたところは、機会があればだいたいどこでももう一度訪れてみたいとは思う。しかし実際に行くことはほとんどない。同じ場所へもう一度行くぐらいなら、今まで行ったことがないような全然違う場所へ行きたいと思う。

2013年の末から1年半カナダにいて、そこで知り合った日本人の何人かが日本に帰国してから再びカナダを訪れていたのをfacebookで見かけた。僕にはちょっと考えられない。カナダにはおそらく二度と行かない。それはカナダが遠すぎるという理由もある。カナダぐらい遠い場所へ行くには長い時間の飛行機に乗らなくてはいけないため、同じ苦労をするなら今まで行ったことがある場所ではなくもっと新鮮な旅行がしたいと思う。同じ場所を何度も訪れる人と二度と行かない人とでは、旅行に求めるものが違う。重要視するポイントが違う。僕はどこかへ行っても、そこにずっと居たいとか住みたいとか思わない。たまに行くのがいいとも思わない。それはやはり飽きるからだ。初めて訪れる新鮮な感覚を味わいたくて旅行する。だからヨーロッパや東南アジアの国々を旅行して、国や言語が変わっても建物や文化の雰囲気が同じであればやはり飽きる。似たり寄ったりの場所はもういいかなと思う。

同じことができない、知っているから

知っていることはつまらない。今まで見たことがあるもの、やったことがあること、行ったことがある場所、続けることで今まで見えてこなかったことが見えてくることも確かにあるだろう。予想できることから予想できなかったことまで、新しい発見というのは見いだせるかもしれない。しかしそれは所詮同じ枠組みの中にある変化や違いでしかないと感じてしまう。全体を見渡せば大差ない。そういった些細なことでは物足りない。全く違うものを見たい、知りたい、感じたいと思う。飽きっぽいからだ。