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短編小説の集い「のべらっくす」第22回に参加

お題「短編小説の集い「海」」

あぐらたらし

 

「ノッキンオン・ヘブンズドアって映画知ってる?」

「ガンズアンドローゼスの?」

「曲はボブディランがオリジナル」

「そうなの?」

「うん、でも映画のほう。知ってる?」

「知らん」

「海を見たことがない男二人が、海を目指す話」

「はあ、地味だな」

「映画は、地味なぐらいがちょうどいい」

「それは、今の俺らみたいにか?」

「映画にもならない」

既に日は沈んだあとで、これから本格的に夜になろうという空は星も、月さえも見えず薄曇っている。砂浜は人がいた痕跡こそ残すものの、もはや影もなく、昼にはみゃあみゃあとわめきたてるウミネコですら一羽も残っていない。ゴミのような海藻が、海と陸の境界を線引くように黒い曲線を描いている。水は空よりも黒い。波の音は、暗くても明るくても同じ。砂浜の手前に建てられたコンクリートの堤防に、二人は座っていた。先に居たほうは足を垂らし、あとから来ていたほうはあぐらをかいている。

「見る?映画」

「ああ、そうだなあ。たまになら」

「そうじゃなくて、ノッキンオン・ヘブンズドア」

「推すねえ、持ってんの?」

「うちにある」

「じゃあ駄目だろ」

「うち近いから、貸すよ」

「わざわざ持ってくるのか?いいよ、それに持ってこられてもプレーヤーがない」

「じゃあ、うちで見る?」

先に居た、足を垂らしたほうからそう言われ、あとから来たあぐらのほうは答えた。

「いや、めんどくさい」

「そう、まだここにいる?」

「ああ、そうだね。もう少し」

初めから並んで座っていたわけではなかった。あとから来たほうが海に着いたとき、日がほとんど沈みかかっていた。光は弱く、輪郭は雲に隠れてよく見えない。車へ向かう帰り支度の人とすれ違いながら、海岸へ向かって歩いた。砂浜のほうには動く影があるけれど、海に入っている人はもういない。堤防に座る人が一人、離れており、姿ははっきりしない。あとから来たほうも堤防に腰掛け、あぐらをかいた。肩から提げているポーチからたばことライターを取り出し、火をつけようとした。潮風があり、ライターはなかなか火がつかなかった。左手を右手で覆い隠し、何度か火花を散らすと手元はぼんやり明るくなった。その中にくわえたたばこを差し込み、吸い込んでは吹かして火をつけた。手の中の明かりは消え、たばこの先の、弱く小さな明かりだけが残った。口から吐き出される煙は、薄暗い空間に目立つこともなく消えていった。

たばこを吸い終えるまでの間に、浜辺に居た人影は引き返し、堤防を越えていった。後方の駐車場あたりにある街灯が、かろうじて砂浜に届く程度の光をうっすらと照らしている。海は日が沈んでしまうと、急激に暗くなる。

「一本もらっていい?」

あとから来たほうは声に振り向いた。堤防沿いには、先ほどまで座っていた影がなくなっていた。先に居たほうはあとから来たほうの後ろに立ち、声が届くように背をかかがめていた。

「どうぞ」

あとから来たほうはポーチを開け、たばこを一本とライターを取り出し手渡そうとした。先に居たほうは、たばこだけを受け取り、口にくわえ右手に持ったライターで火をつけた。その瞬間だけ風が止んだかのように、すぐ火がついた。

「ありがとう」

くわえたたばこを手に持つと、先に居たほうはあとから来たほうの近くに腰掛け、堤防から足を垂らした。たばこをはさんだ指を持ち上げ、再び唇につけた。

あとから来たほうは、もうたばこを吸い終えていた。前方にある暗い海と、音だけの波をながめながら、となりの気配を感じていた。

「ああっと、何やってるの?何っていうのは職業とかじゃなくて、ほら、今この時間にこんなところで何やってるのっていう意味で、ほら、もうみんな帰ってるからさ、きみ、さっきからここに居ただろ?もうそろそろ真っ暗になるけど、帰んないの?きみ一人だろ?一体こんなところでなにやってんの?地元の人?」

波の音は鳴り続いていたが、それほど大きくはない。あとから来たほうの声は聞こえていただろう。先に居たほうは前方を見続けていた。唇につけていた手を離し、音もなく息を吐いた。あとから来たほうも再び海に向き直り、あぐらの足を組み替えた。

「先を読む能力って信じる?」

あとから来たほうは、先に居たほうの顔を見た。先に居たほうは前方を見続けていた。右手を堤防に添え、その先にはたばこの火があった。足は堤防から垂れている。

「なに?」とあとから来たほうは聞き返した。

「先を読む能力。予知みたいなもの」

「なんだそれ、できるの?」

「できないけど、信じる?」

先に居たほうは海に視線を向けたままだった。あとから来たほうは目線をそらし、首をかたむけた。

「信じるも何も、見たことがない。そういう人はどこかにいるかもしれないけど、だったら、大災害のときなんか早めに教えてくれたらいいのにって思うな」とあとから来たほうが答えた。

「うん、結構いるんじゃないかって思う」

「はあ、なんでそう思うの?」

「急に有名になる人いるでしょ、それまで普通の人だったのに、いきなり時代の寵児みたいにもてはやされる人」

「いるね」

「あれって先読みの能力だと思うんだけど」

「ん、つまり、どういうこと?」

「世の中には便利な発明や画期的なアイデアが生まれても、理解を得られなかったり時代に合わなかったりして埋もれていくことってあるよね、それが何年か後に見直されたり、それって多分先が見えてなかったからだと思う。時代を先取りなんて言うけれど、先取りし過ぎてもその時代に合わないと、そういった発明やアイデアって受け入れられずに消えていってしまうから、それを上手く合わせられる人ってどの時代に何が合うか、あらかじめ知っている人なんだと思う」

「それが、先読み?」

「そう思わない?」

「さあ、どうだろう。知っているというより、時代の流れが読めるとか、勘が鋭いとかじゃないのか?」

「それはあるけど、でもそっちじゃなくて、うまくタイミングを合わせるほう」

「どういうこと?」とあとから来たほうは聞いた。

「先見の明があっても、ちょうど求められるタイミングに合わせないと、早すぎても遅すぎてもそういうのってうまくいかないから、そっちを合わせる能力ってこと。偶然の人もいるだろうし、かず撃って当てる人もいると思うけど、明らかに知っていたようなタイミングで当ててくる人は、きっと先読みだと思う」

「うーん、そうか、で、おまえは先読みなのか?」

「違う」

先に居たほうは、それから何も言わなかった。あとから来たほうは再び海に向き直った。潮風が昼の太陽熱を少しずつ逃し、服の内側を通りぬけ、汗ばんでいた身体はいつの間にか乾いていた。

「そっちは」

「そっちは何してるの、こんな時間に」と先に居たほうが言った。

「何って、海に来たけど、時間が遅くて。それに曇っていて。ただ座っているだけ、かな」

あとから来たほうは、考えながら間を空け、答えた。

「それで?」

「それで、おわり」

「それから?」

「それからは、ない。そっちこそ、これからどうする、というか、いつから居るんだ?なにやってるのここで」

先に居たほうのたばこの火は消えていた。堤防の二人の間には、二つの吸い殻が置かれている。

「3時ぐらい」

「ああ、昼の?それからずっと?何やってたの?一人で?」

「そっちも一人」

「ああ。でも、俺はいま来たばかりだから」

「誰か来るの?」

「誰も、こないけど」

夜に差し掛かり、あたりは暗さを増してきている。波の音は昼間と同じ。昼間と違うのは、それ以外の音が、ときどき遠くを走る車の音ぐらいしか聞こえないことだった。

「医療技術って、どんどん進歩してるんだよ」

「はあ、おまえ医学生なのか?」

「違うけど、病気の新しい治療法って、つぎつぎに編み出されている」

「そうなのか」

「そう、例えば、白血病はかつて不治の病と言われていたけれど、分化誘導療法の発見や分子標的薬グリベックの登場で、現代では発見が早ければ治る病気とされている。テクノロジーの発展に伴い、外科手術においてはプロジェクションマッピングを応用した手術が実用化されたり、高性能小型カメラを用いた内視鏡手術の精度が上がることで、従来のメスで切り開く手術が減り、患者の肉体への負担が軽減されるようになった。再生医療はまだ発展途上だけど、組織幹細胞の移植や心不全の治療に培養された自分の細胞が使うことで、ドナーがいらなくなり拒絶反応の心配もなくなったり、医療技術の進化は目覚ましい。iPS細胞が実用されれば臓器移植はなくなるだろうし、その前に自家組織幹細胞の、移植の確立が望まれている」

「よくわからないけど、新薬ができたり新技術が使われたりってことか」

「臨床を重ねて医療現場が追いつけば、大病も将来的には大病でなくなるかもしれない」

「もしかして、病気なのか」

「そうじゃない」

二人は間を空けながら、少しずつ話した。先に居たほうは脈略のない質問を投げかけ、それに対してあとから来たほうは、ただ思ったことを口にした。あとから来たほうはそれに合わせるわけでもなく、当り障りのないごく普通のことを聞いた。先に居たほうはときどき答えなかったが、あとから来たほうも追いかけはしなかった。会話と会話の間は、波の音が埋めた。

そして映画の話が出た。海を見たことがない男二人が、海を目指す話。

先に居たほうは何も言わず、その場を立ち去った。あとから来たほうはその後ろ姿を目で追った。街灯に近づくに連れ、その姿は映しだされた。街灯の位置を通り過ぎ、遠ざかるに連れて闇にまぎれた。あとから来たほうは、また海の方へ向き直った。海はもう、先に居たほうが消えていった闇と同じぐらい黒く、空との境界をなくしていた。砂浜だけが、遠い街灯の光をうっすらと浴びている。ポーチからたばことライターを取り出し、火をつけようとした。火花が散るだけで火はつかず、左手を右手で覆った。手元の明るさは暗闇の中にぼんやり浮かび、火が移されると、弱く小さなあかりだけが残った。あとから来たほうはあぐらを組み替え、その海とも空ともつかない黒い向こう側を眺めながら、煙を吸いこんだ。止まっては移動する、赤い光。あたりからは波の音しか聞こえない。その音はゆっくりと、一定の調子を保った。眠りを誘うように。時間の感覚を奪うように。

「これ」

振り向くと、そこには遠い街灯の光を隠すように、先に居たほうが立っていた。

「映画」

先に居たほうは手に持ったものを、あとから来たほうへ差し出した。

「おまえ、取りにいったのか」

「見ない?」

「わかった、わかった」

あとから来たほうは立ち上がった。

映画は末期ガンに侵された男と脳腫瘍の男が、死ぬ前に海を見たいと言って、銀行強盗をしたりマフィアに追われたりしながら、なんとか海にたどり着くストーリーだった。海を前にたたずんでいると、脳腫瘍の男は発作が起こり、末期ガンの男へもたれかかって映画は終わった。

「これのどこが地味なんだ」