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関係ないこと

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その時は好奇心から尾行していて、中に入っていくのを見定めた上で後からついていこうとしたとき、向こうからこちらを見ているものがあった。好奇心とはいいつつも、それは半ば職業病のようなものであり、ついていかざるを得ない事情のようなものがあったと言っても嘘にはならない。事前に何ら正式な手続きがあったわけではない。しかし正式な手続きというのは形だけを装うものであり、その実態は現場と行動が先にあるものなのだ。それを型にはめ込む作業がいわゆる正式な手続きとなり、後からいつでも用意できるもので差し当たって重要ではなかった。それが差し当たって重要だったことなどいまだかつてない。時間を巻き戻して紙一枚にハンコを押せばそれで終いである。とにかく今この瞬間には書類もハンコもない、しかし職業行動のあるべき形はむしろこの形のない部分にこそ存在する。今この時こそが中身ある本物なのだ。

相手はこちらに気づいていなかった。そんなはずがない。現時点で向こうは追われる身ではなく、思い当たるフシも存在しないはずだ。しかしそれでも人間というのは、常日頃から警戒を怠らないものである。世の中に誰一人として、全く何事も後ろめたいことが存在しない人なんているだろうか。物を盗んだこと、姦淫を犯したこと、法に触れること、社会正義に則らないこと、人に迷惑をかける行為、誰もがそういったことをないがしろにして、自分の都合を優先するものだ。だから、現実には誰ひとりとして後ろめたいことがないなんていう人は存在しないはずである。あるとすれば、それはもう、ただの開き直りと言ってしまっていい。

そして人は、後ろめたい気持ちがあったとしても、自分の都合を優先するのだ。後ろめたい事実はなかったことにしたい。少なくとも、他人の目に触れない場所に、そっと隠しておきたい、そういう心理が尾行されている者の背中や尻に動きとなって現れるものである。その罪の大きさに寄らず、本人が抱える後ろめたさが大きければ大きいほど、尻の動きは活発になり、そこから漏れ出す、こっちを見るものの目つきも鋭さを増すのが通例であった。彼自身はそのことに自覚がない。しかし彼の背中と、その尻の動きは彼の罪ではなく罪の意識のを大きさを物語るように大きく動き、眼光で睨みを利かすのであった。我々はそこから逆行することにより、明るみに出ていなかった事実にたどり着くことが通常の定形コースなのである。その第一段階がこの尾行と言うわけだ。

尻から漏れ出す眼光は、大まかには二種類に分けられる。弱すぎてデカイものと、強すぎてデカイものだ。小さいものは仕事にならず、相手にしないためここでは対象外となる。よって眼光の奥にある大きさを見定めることが肝心になってくる。眼光には強いものも弱いものもあり、強いから、弱いからといってそれがいわゆる罪の大きさとは比例しない。強い眼力を追い続ければ、デカイ仕事に行き当たる確率が高いかというと、全くそのようなことはない。重大なできごとほど、日常の中で平然と行われるものである。トーストに塗るバターをカットするように、人の業をカットする人間は常日頃からそういうことに慣れきってしまっており、トイレへ入ってため息をつくかのように無意識に行われていることが多い。感覚が麻痺してしまっているか、元からそういう習性であり自覚がないのだ。その場合彼の尻は微動だに振れない。しかし、その奥から異様とも言える臭気が漂ってくる。ただ目の光だけに捕らわれることなく、同時に漏れだすにおいに敏感になることは、現場に入る鉄則として早い段階で身につけることではあるが、今日のそれは意識するまでもなく、揺れもしない尻から漏れだした眼光とそのハッカのような硬い臭気が何メートル先からでも伝わってきており、通りすがる者が思わず振り返るほどであった。