日記

頭の中は重いテーマがぐるぐるとかき混ざっていい感じに迷走している。もうリレーとかバトンとかたすきとか渡さずに二周三周かけまわっているようなそういう気持ち。では、日常生活をどのように過ごしているのかというと、本当に町内を走り回っているわけではなく、毎日その場にへたり込んで座っているだけ。「うぉー」と叫ぶのも心の中だけであって、周囲は至って穏やか。微動だにしない。今回の日記においても内面の荒波や迷走は寝かせておいて、落ち着いた言葉をつなげてみよう。

最近読んだネット記事

死ぬまでに一度は行ってみたい場所。

新しい旅行先として観光客が大挙して押し寄せない場所を勧めているんだけど、ここはなかなか網羅されていた。中には超メジャーで観光客だらけの場所もあるが(シャウエンとか)、そんなに有名じゃない場所や初めて聞いたところも載っているので、穴場を探すにはいいと思う。国や地域に偏りがあり、ヨーロッパが比較的多い。

待望のダニー・ボイル監督による『トレインスポッティング』続編のトレイラーが公開 | THE FASHION POST

トレインスポッティングの前作ではエイズになって死ぬ役がいたから今回は出てこないだろう。前作は僕が中学生の頃に流行ったんだっけ、かなり昔だ。その昔の年代のテンションでやるのか、同じ役者だからおっさんとしておっさんを演じるのだろうけど、現代的な要素って出てこなくなるのか、当時のおっさん的価値観で描くのか現代のおっさんを描くのか気になるところ。

もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて - WirelessWire News

長い間ネットを利用しており、もう15年以上になる。いろいろな盛衰や移り変わりを見てきた。

15年前の回想から始まりますが、当時インターネットにアクセスしていたのは世界の人口の7パーセントに過ぎず、ウェブサイトは2000万個ぐらいだったそうです。Google は上場しておらず、Twitter や Facebook は起業すらしていなかったその頃、ウェブは皆のものである自由な空間で、ユーザが見るものを支配する企業は存在しなかった

多様性に富み、自由だったはずのウェブは、ソーシャルネットワークの統一的なデザインが支配的になり、すっかりテレビのような中央集権的なものになってしまった

自由で多様だったwebが大規模サービスの台頭によりプラットフォーム化、クローズド化されて一様になってしまったというような話。Twitterやfacebook内といった閉じたweb内での話題、トレンド、盛り上がり、それに乗っかるためにはいかにそのフォーマットに適した仕様であるかが工夫される。facebook、Twitterでウケやすいコンテンツとして形式化され、必然的に一様化されてしまう。オープンウェブだと思われているネットも同じ。皆が皆Googleの方しか向いていない。SEOが至上の命題となり、いかにGoogleに見つけられるかを工夫することでwebは一様化してしまった。webはもはや、オープン・クローズに関わらずシリコンバレーの大企業に牛耳られた世界だ。

自由だったwebと言われているが、今でも自由にやることはできる。過去の自由だったwebと今とどう違うのか考えてみたところ、やはりその人口の違いによる影響が著しい。過去のwebは人口が少なかったため各地で行われていた自由な試みに、誰かしら気づく人がいた。リンクや人づてにより、各々の自由な試みにたどり着くことができた。アホなことやってるなーとか、過激なことやってるなーとか、面白いことやってるなーって、ホソボソとやっていたとしても誰かしらの目に止まり、その情報が巡り巡って外部からたどり着くことができた。そこで繋がりが生まれたりすることもあったが、多くはただ鑑賞するだけで、干渉する対象ではなかった。

現在のwebは、プラットフォームの枠から外れてしまうと埋もれてしまう。あまりにも人口が多く、その多くは見つけられやすい形式に則ってしまっており、そこから外れた見つけにくい対象は発掘できなくなっている。誰か一人が見つけたとしても、それが横に伝わらない。巡り巡ってくることはない。どこかで途切れてしまう。それはまるで、出来上がってしまったwebの形式にそぐわない対象は存在すら許されない、と言われているようだ。webが社会化したと言える。社会の外にはみ出たら見捨てられ、荒波に埋もれてしまい発掘されることもない。Google八分とはよく言ったものだ。

だから、そういった一様化されたwebを見ていても全然おもしろくないわけだ。そこにあるのはネット社会に望まれたwebだけであり、過去の多様な、誰でも自由に好きなことをやっていたwebの面白さを欠いてしまっている。今やウケることしかもてはやされず、一般的にウケないコンテンツにたどり着くことが非常に困難になった。

ほしいものリストの話

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欲しいものリストから本を続々と送っていただいておりまして、まだ1冊しか読んで感想書けていません。精進します。

バーマ・シャン族の店に行ってみた

ミャンマーのタイ系民族であるシャン族が経営している店にいってみた。これを知ったのも高野秀行関連であり、「謎のアジア納豆」という本が出ている。外国人に対してよく、日本の珍しい食べ物の代表みたいに納豆を食わせるシーンがあるけれど、実は納豆を食べるのは日本だけではない。それどころか世界各国で伝統的に食べられているというところから、この本の企画が始まったそうだ。シャン人に言わせると「日本の納豆はおいしいけれど、食べ方が一つしかなくて物足りない」ということだった。僕はこのノングインレイに置かれている煎餅状の納豆が気になり食べに行った。

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店は店員も客もシャン人ばかり、シャン語が飛び交いシャン文字のメニュー、一応日本語が併記されている。パソコンを触るシャン人の客、常連なのだろう。店員はあまり日本語がうまくないから、外国人向けにゆっくり話す。ここは日本だが日本ではない。この店の中では少なくとも自分がマイノリティだ。

そんな、日本にいながら外国にいるような、なおかつ日本人の客も受け入れてくれるような店に行きたい。簡易で安上がりな海外旅行気分を味わうことができる。日本人が経営しているような、日本人向けの外国の料理の店ではなく、現地の人が日本に来ている現地人向けに出しているような本場の雰囲気を味わいたい。ディープであればディープであるほどいい。

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

 
移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活 (講談社文庫)

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