「ミャンマーの柳生一族」感想・書評

「ミャンマーの柳生一族」は、ノンフィクション作家である高野秀行が、探検部の先輩で作家の船戸与一に連れられ、「河畔に標なく」という小説の取材に付き添った話だ。高野さんは今までにも「アヘン王国潜入記」や「西南シルクロードは密林に消える」などでミャンマーを訪れており、現地の事情に通じていてビルマ語ができるということで今回の付き添いに抜擢された。

いつもは非合法な形で入国しているが今回は合法的に入国し、豪華なホテルに泊まり4WDの日本車に乗りガイドまで付くという一見普通の旅行記になっている。しかし、当時のミャンマーは北朝鮮のような軍事独裁国家であり、反政府民族との争いも絶えない。入国したところで観光できる地域も限られているような半鎖国状態だ。船戸与一は取材のためジャーナリストビザを取得、高野さんは観光ビザで入国し、軍情報部が付き添うという条件のもとで、取材の許可が降りた。

 

「柳生一族」とは

この本ではミャンマー軍事政権の内情を、徳川幕府に例えることでわかりやすく説明している。第二次大戦後、イギリスからミャンマーを独立に導いたアウン・サン(アウン・サン・スー・チーの父)を徳川家康に見立て、当時政権を握っていたタン・シュエは家光、首相のキン・ニュンを柳生宗矩、そして今回高野さんたちの旅に付き添う首相直属の軍情報部を「柳生一族」に見立てている。序章のタイトルは「ミャンマーは江戸時代」である。「ソマリランド」を読んだ人はお気づきかも知れないが、これはソマリア氏族をアイディード義経といった源平合戦に見立てたのと同じ手法だ。「ミャンマーの柳生一族」がオリジナルと言える。

日本史や時代劇に疎いと「柳生一族」こと軍情報部の立ち位置がわかりにくいかもしれない。これを知るには深作欣二監督の映画「柳生一族の陰謀」を見るのが一番手っ取り早いと思うが、簡単に言えばCIAやKBGのような組織になる。冷戦時代アメリカのフーバー率いるFBIだと思ってもいい。そんな「柳生一族」こと軍情報部が今回の旅のガイドとなった。さあ、どんな旅行記になるだろう。

ハードボイルド冒険ノンフィクション?

当時のミャンマーと言えば、何と言っても2008年にランボーの舞台になっている。

人権弾圧が続く隣国のミャンマーでは、軍事政権が少数民族カレン族を凌虐し、土地や天然資源を略奪していた。
ランボー/最後の戦場 -wikipedia

そんなこともお構いなしに船戸与一さんは「スー・チーのことをどう思っている?」と誰彼構わず聞き回り、横にいる高野さんは同行する柳生の動きに脅えながら、ミャンマー国内を飛行機で車で10箇所ほど巡る旅に出る。道中でのエピソードをかい摘みながら感想を述べてみよう。
※スー・チーは反軍政の民主化運動を行うリーダー

辺境のインテリ

ミャンマー第四の都市パテインに立ち寄った一行は、喫茶店で休憩していると流暢な英語を耳にする。地元の大学を卒業した若者が喫茶店で働いているのだ。

その茶店で、お茶を淹れているやはり若い男 は、メガネをかけ、訛りのない流暢な英語を当たり前の ように話す、いかにもインテリ然とした青年だった。

他にも地元の大学を卒業して警備員をやっている若者がいたりする。日本人の感覚だと、国立大学を出て英語も流暢に話せる人が喫茶店のバイトや警備員なんてもったいない、不憫過ぎると思うかもしれないがそういう人は普通にいる。かたや政府を仕切っている軍人は小学校しか出ていないような人も多い。これは国の情勢やコネ社会が影響している。

また、開発途上国の人は遅れているという偏見を持ちがちだが、一般的な日本人よりもよほど世相に通じていたり、学があったり英語ペラペラな人たちが当たり前にいる。もちろん植民地支配の影響が強いんだけど、進んだ人たちというのはミャンマーに限った話ではなく、世界各国の途上国において珍しくない。こういうのを見ていて思うのは、先進国を名乗りながら一般庶民にいたっては国外のことをまるで知らない、ろくに英語も話せない日本人のほうが遅れているんじゃないだろうか。

ミャンマー人の国際性

高野さんは、半鎖国状態のミャンマー人たちがあまりにも外国人慣れしており、フレンドリーで人懐っこいことに疑問を感じる。これは今回の旅に限ったことではなく、前々からうすうす感じていたことらしい。ミャンマー人は国際感覚が異常に発達していて、外国人との付き合いが上手い。何故だろうか?その一つの疑問がこの本の中で解き明かされる。

「タカノ、知ってる?シャン人はシャン州からマンダレーに来るとき、『ビルマ(ミャンマー)へ行く』って言うんだ。彼らは、シャン州が国だと思ってるんだ」

私も笑った。シャン人を話題にするときの定番ネタだからだ。たとえれば、仙台人が上京するとき、「日本へ行く」というようなものだ。まさに「国内に国がある」のである。
こうやって話しているうちに、 ちょっとした閃きに近いものを感じた。

高野さんはそこにかつての日本の姿を見出している。江戸時代から明治にかけての、幕藩体制における日本人は、互いに同国人であるという意識を果たしてどこまで持っていただろうか。明治以降、日本は国家体制を敷くことにより統一国家としての共通語、共通意識が育つようになった。今でも方言が何言ってるかわからない地域はたくさんあるものの、地域によって法律の違いはなく、テレビでは東言葉が流れ、日本人という共通意識が強い。それは同時に失ったものが大きいことも示唆している。

もう一つの失ったもの

ミャンマー人の人の良さというのは、外国人慣れしたフレンドリーさ以外にも見られた。

ヤンゴンでホテルのカードキーをタクシーの中に忘れたとき、タクシーの運転手がわざわざ届けてくれたことがある。それも、私たちが柳生トラベルのオフィスに行ったときで、彼は私たちが出てくるのを一時間も待っていたらしいのだが、私たちがオフィスから出るなりあっという間に別のタクシーを拾って宿に帰ったので、それをまた追いかけてきたという。

とてつもなく親切なのだ。見返りを求めるようなこともない。日本人もよく西欧人から親切だとか言われるが、さすがにここまでは徹底していない。しかしかつては、どこかにあったんじゃないかというような気がする。

この世に生を享けたかぎり、まっとうに生きるのがつとめであるという意識がかつての日本には存在したのだ。

日本に限らず、現代ではどこの国でもこのような親切を受けることはまずない。元々そんなものがなかった国もあるだろうけれど、人からこういった精神を奪うのは大抵マネーだ。今のミャンマーはどうなっているだろう。

柳生一族はどこへいったのか

肝心の柳生一族はどうなったのか。ずっと付き添っている。この本は旅を先導する船戸与一さんと旅のお供となる柳生一族を中心に、高野さんの視点からミャンマー国内のあちこちを描いた本で間違いない。ミャンマーは2016年に民主化が進み、今まで行くことが難しかった国ということで一時は旅行者の間でブームになった。現在も我々のような一般旅行者が多く訪れている。この本は10年以上前に、軍の付き添いのもとに行われたミャンマー紀行という貴重な内容になっている。ミャンマーを訪れたことがある人や、これから訪れる人は自分の旅と比較してみたら面白いだろう。ミャンマーはどれぐらい変わったのか、どれぐらい変わっていないのか。そしてガイドとなった「柳生一族」こと軍情報部の顛末についてもこの本には記されている。

【カラー版】ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)

【カラー版】ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)

 
河畔に標なく (集英社文庫)

河畔に標なく (集英社文庫)

 

おまけ。この本にはミャンマーで流行っている映画として、武田鉄矢主演の「ヨーロッパ特急」という映画が出てくる。 英語の題はPrincess & Photographerだそうだ。

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