空腹に耐えるだけのダイエット方式

外国で生活していた頃、食事をするのがめんどくさくてあまり食べなかった。しかし腹が減らないのかと言えばそんなわけはなく、いつも腹の減り具合と食事を用意するめんどくささを天秤にかけていた。僕がいたカナダやオーストラリアは外食が極端に高く、昼飯で2,000円超えは結構当たり前で、日本のファストフードみたいな500円ワンコインで食事が済むようなことはなかなかありえなかった。だから大体は自炊していた。

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自炊で激ヤセ

自炊と言っても僕は料理ができないから、パンを焼いて食べたりパスタを茹でてトマトソースぶっかけるだけだったり野菜を炒めたり、調理も後片付けもほとんどいらない簡易な食事だった。そういうの食生活を2年以上続けていた(ときどき外食したりはしたが)。それでも食事のめんどくささと腹の減り具合を常に天秤にかけていたため、食事の回数や量は少なく、みるみるうちに痩せてガイコツのようになった。食べていないわけではなく、毎日一食は欠かさなかった。単純にカロリー不足だったのだろう。よく風邪ひいたりはしていたが(カナダは寒かったから半年で3回風邪ひいた)、大変な病気にかかったりはしなかった。かと言って、決して健康的ではないので真似しないように。

常に空腹を感じていた

日本で暮らしていたときは、今もそうだが、空腹になっては食べるということを繰り返していた。空腹を感じることにあまり慣れていない。下手すると空腹を感じる前にすぐ次の食事に移ってしまう。そして太る。ご飯の時間だからって、腹が減っていないのに無理して食べる必要はない。どうしても腹が減ったタイミングで、5分や10分で済む簡易な食事をとる時間を見つけるのは、軍隊でもない限り難しくないだろう。食事は付き合いでもあるから、なかなか食べる量やタイミングをコントロール出来ないかもしれない。常に人と食事をしている人は、自分ひとりで食べる時間を増やせば全体的な食事量を結構簡単に減らすことができる。人と食事をすると、どうしても量や回数が増えてしまう。

思い返せば、外国で暮らしていたときはいつも自分で食事を用意していたし、常に空腹感を伴っていた。腹一杯の状態は食った直後のみで、それ以外はずっと空腹だった。空腹っていうのは意外と慣れるもんで、空腹の状態が続いていても動けなかったり倒れたりすることは滅多にない。さすがに3日間何も食べないとかは推奨しないが、一日一食ぐらいなら割となんとかなるもんだ。去年僕は、半年ほど農場で働いていた。その頃は昼と夜食べていたが、昼は食パン一切れのみということが多かった。過酷な肉体労働で、風邪をひいたり熱中症になることもあったが、一日も休むことはなかった。

空腹に慣れると自然に痩せる

食べる量を減らすと胃が小さくなると言うが、当時はそれを体感していた。普段からあまり食べないと、一回の食事でたくさんの量を受け付けなくなる。人と食事をするときにはお決まりのように「それだけしか食べないの?」と訊かれていたが、お決まりのように「これ以上食べると吐くから」と答えていた。空腹に耐える習慣がついてくると、食べられる量も自然に減っていき、勝手に痩せていってしまうというわけだ。

注意すべき点としては、体を壊さないように最低限は食べること。それもある程度栄養バランスを考慮しながら、病気にならないように注意すること。体調管理が下手であったり、自分の身体との対話が下手な人が感覚でこれをやってしまい、調整がうまくいかず病気になったりする。体の調子を感じ取るのが下手な人は、適切な本を読むか専門家に相談するか何かして、食べる文量の基準を決めてしまったほうがいい。

食べながら痩せようと思うな

よく、食べながら痩せたいなんて都合のいい言葉を目にするが、それはセックスしたいけど子供は欲しくないみたいな話で、喉にコンドーム突っ込んで咀嚼した食べ物を受ければいいんじゃないだろうか。昔のヨーロッパの貴族で、食事を娯楽として楽しむために食った後吐いてまた別の食べ物を食うことを繰り返していた人たちがいたそうだ。我慢できないならそういうことをやればいいのではないか。ただ、それを本当にやってしまう過食症の人がいたりするから、やはりおすすめはしない。まだ太ることを甘んじて受け入れている方がましだろう。

我慢すればいいじゃないか。食欲を我慢するだけ。そのために「食べるのめんどくさい」という対立軸を立ててもいい。現代人はありとあらゆることを我慢している。いや、古来からそうだ、人間はありとあらゆることを我慢している。そして、食事量を我慢した人は総じてダイエットに成功している。いいとこ取りしようとした人は失敗している。楽してダイエットなんていうものは商業広告にすぎない。腹一杯になることに固執するよりは、空腹に慣れてしまったほうが早くて簡単じゃないだろうか。空腹なんて怖くない。

我慢は最初だけ

そして、そんな我慢も最初だけです。先程も述べたように、我慢し続けてくうちに次第に慣れ、大量の食事を受け付けなくなる。喉元過ぎれば熱さ忘れるではないが、あとは自然に痩せていく。人間だから食欲があるのは当然だ。我慢すると言ってもそれをただ抑えつけるだけでは反動が来てうまくいかない。ぼんやり痩せたいと思って、ぼんやり我慢しても失敗するのはそのためだろう。同時に、人間は理性の生き物である。理性でもって、計画的に欲求をコントロールしよう。自分でできなければ、自分に合った食事制限や運動のプランを他人に考えてもらうのもいいだろう。むしろ専門家によって与えられたスケジュールをこなすほうが効果的と言える。一流のアスリートや入院患者には専門の栄養士がついて必要な栄養バランスをコントロールしている。理性で欲求を支配した人間にこそ、勝利が訪れるのであります。

理性と感情

ダイエットについて同じようなことを書くのはもう3回目になる。もうこれぐらいでいいだろうと思いつつも、また同じようなことを書くかもしれない。ここではダイエットをテーマにしているけれども、話の本質はダイエット云々ではなくやはり理性と感情という部分になる。感情は脳の無意識な作用であり、理性は人間が意識的に統率できる機能になる。感情そのものをコントロールすると言ったって、それは無意識に湧いてくるものだからなかなかうまくいかない。怒りたいときに怒りたいと思って怒っていることには変わりないが、そこに自意識は介在していない。怒った後に理性が認識することはできる。腹が減るのもまた無意識であり、それに対して食べるという行動は意識的に行う(よほど衝動に駆られない限りは)。

感情、欲求と言ってもいいが、それは常に正しいわけではない。理性による抑制が必要な場合もある。感情的に行動した結果、後悔することが多々あるだろう。それは、感情というものがその場限りの行動しか求めないからである。感情は、今その瞬間の状態でしかない。その瞬間さえよければそれでいいのが、感情に由来する行動となる。だから、その場を離れると後悔を生む。しかし理性はそれだけではない。今その瞬間だけでなく、明日やその後の未来、何千年に渡る過去やこれからのことまで視野にいれることができる。経験則や理論というものは理性によって成せる業と言える。闘争本能などはDNAの経験則といえるかもしれないが、すごく大雑把なものでしかない。そういったものでさえも、体系的な研究結果に基づいて理性に組み込むことで行動をコントロールすることが望ましい。

天国へ行く手段

ジョジョの奇妙な冒険にメイド・イン・ヘブンという能力があった。人間は予測することにより幸福に至るというような話だった。

一巡した間に全生物は未来にいつ何が起こるかを体験しており、それを変えられない運命として事前に何が起きるかを知ることができる。全人類があらゆる悲劇や絶望にも事前に「覚悟」ができる世界こそが、「覚悟こそが幸福」という価値観を持つエンリコの求めた「天国」であった。

エンリコ・プッチ - Wikipedia

人間の感情は、ある程度予測ができる。特に自分の感情についてはこれまでの経験を振り返っても、泣きポイントであったり怒りポイントであったり、喜びや不安、嫌いなことなど感情の発動ポイントを掴むことができる。アスリートがモチベーションを上げるために特定の行動をとったりするのは、経験則に基づいた、理性による感情のコントロールと言える。より幸福な人生を送るためには、その場における感情の発露よりもっと先にある、幸福な結末にたどり着くために、あらかじめ自らの感情を予測し、理性において統率することが必要なのではないだろうか。