故郷で僕は、幽霊になった

生まれてから大学を卒業するまで、ひとつの街に住んでいた。20数年の月日をずっと同じ地域で過ごしてきたことになる。その間に戸建てからマンションへ、マンションから戸建てへと2度の引越があった。住む場所や近所の人、友人、付き合いのある人たちは変わってきたが、同じ市内での引越だったため、行動範囲も概ね同じだった。南北には一本の川が流れており、街の周囲は山に囲まれている。繁華街と言えば四条河原町、若者が買い物をするなら新京極、大学生なら藤井大丸、ちょっと大人になれば麩屋町から御幸町、飲むなら木屋町、映画館は二条駅か河原町三条、春には賀茂川沿いの桜が満開になり、夏は祇園祭の祭囃子が聞こえ、五山の送り火があり、地蔵盆がある。秋には取り囲む山々が赤く染まり、冬は毎年必ず雪が降る。初詣には決まって、北野天満宮にお参りする。20数年もの間、同じ街で同じ時間を過ごしていた。

大学を卒業後、隣の府に就職し、引っ越して一人暮らしをすることになった。それから転勤があり、また本社に戻り、仕事を辞めて外国へ渡り、合計すれば10年ほど故郷を離れていた。20年住んだ故郷を、10年離れた。そして今年の夏に、再び故郷へ戻ってきた。それまでもときどきは帰っていたが、時間に追われる日々の中たった1日か2日戻っていただけであり、ゆっくりと過ごす余裕はなかった。故郷を離れていた間の10年は、流れるように過ぎていった。

10年前まで暮らしていた故郷の記憶を取り戻すように、街の中を歩き回った。自宅の周り、小学校のある場所、近所の公園、河川敷、よく歩いた場所、よく過ごした場所、よく通った道、当時過ごしていた街の記憶を辿り、その道を辿った。そして気づいたのは、僕と故郷がこの10年の間にはっきりと分断されていたことだった。それは記憶と現実との分断に、ありありと見られた。街の風景は、自分の記憶にあったものからところどころ変わっていた。それ以上に僕は、この街にあった人との繋がりを全く失っていた。親族、地域の人、お店の人から友人との繋がりまで、何もかも失っていた。あの頃見知っていた人たちは、もうそこにはいなかった。もしくはすっかり変わり果てており、もはや僕の知る人たちではなかった。僕にとっての故郷は、10年前で止まっていた。今ここにいる僕は、10年前に死んだ幽霊も同然だった。幽霊がこの世に未練を残してさまようように、僕は故郷のいたるところをさまよった。10年前に失い、見つからないはずのものを探していた。

名残りはあった。かつて僕が、僕たちが過ごしていた故郷。10年前と変わらず、そのまま残っているところも多かった。そういった場所には、いたるところに記憶の残骸が散りばめられていた。横切るたびに、当時の記憶がいちいち頭の中で再生され、息苦しくなった。自分は10年前の幽霊であり、そこにはもう別の人たちが新しい時間を刻み、生活を営んでいる。あの頃そこにいた自分も、周りの人も、記憶の中にしか存在しなかった。そこには別の現実があり、記憶だけが頭の中で蘇った。

特に思い入れが強かった場所では、めまいがした。大学生の頃に付き合っていた人と、よく過ごした場所。なんでそんなところを訪れたのだろう。自然に足が向いていた。初めて二人で会った公園、よく一緒にいったカフェ、大学、コンサートホール、美術館、映画館、いつも並んで歩いた道。ここで僕たちは、こんなふうに会話をして、ときどき怒って、ときどき泣いて、それでもほとんどはいつも笑っていた。僕はその顔が見たくて、いつも笑わせようとしていた。そんな記憶は、今日ここを通るまでずっと忘れていた。あの表情も、声も、記憶の奥底にずっと眠っているはずだった。それが予期せぬ形で呼び起こされ、吐きそうになった。

大学を卒業してから僕は会社員になり、彼女とは別れた。その後にも何度か会うことはあったが、未練があったわけでもよりを戻すわけでもなく、かつて付き合ったことのある、ただの友達としてだった。僕と彼女との関係は、この場所で10年前に終わっていた。

もはやここに僕の知る者は無し。ここに僕を知る者は無し。故郷とはただの場所にあらず。そこに暮ら人々との繋がりにあり。今ここにいる僕は、10年前にこの場所で死んだ幽霊だった。