「サイゴンのいちばん長い日」感想・書評

サイゴンというのは旧南ベトナムの首都であり、現ホーチミン市のことを指す。ベトナム戦争にて、北ベトナムことベトナム民主共和国が南北ベトナムを統一したあかつきに、サイゴンからホーチミンシティへと改名された。名前の由来は北ベトナムの指導者であり、ベトナムを統一へ導いたホー・チ・ミン。ちなみに統一後のホーチミンシティはベトナムの首都ではない。首都は北ベトナム時代から変わらずハノイのまま。あと改名はされたが、地名としてのサイゴンは今でも通じる。サイゴンビールという銘柄もある。

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ホー・チ・ミン - Wikipedia

そんなサイゴンの一番長い日とは、戦争が終わったサイゴン陥落の日を指す。戦争中、北ベトナムと南ベトナム、そしてアメリカはパリ協定という北ベトナムも南ベトナムも残す形の終戦協定を結び、米軍はベトナムから撤退していった。しかし北ベトナムはその協定を守るわけではなく、米軍撤退後に勢いは加速した。パリ協定は米軍が撤退するための口実であり、その後アメリカが再び介入することもなかった。北ベトナムはそのまま南ベトナムへ進軍し、首都サイゴンを陥落させてしまう。

サイゴンの陥落は北ベトナムの勝利を意味し、20年続いたベトナム戦争は北による南北統一という形で終結した。フランスを追い返した第一次インドシナ戦争も含めると、ベトナムにおける約30年の戦争状態が1975年4月30日に終わった。その日、今から40年前のサイゴン陥落の日が「サイゴンのいちばん長い日」としてこの本のタイトルになった。

この本は日本人のジャーナリストが、現地サイゴンで陥落を見届けた日々の日記を元に書かれている。というかほとんど日記そのままだ。陥落前から、その後20日間の滞在、合計2ヶ月間がこの本の舞台となる。記述は40年前のこととは思えない色褪せない文体で、つい最近あった話のように読むことができる。

南側のベトナム

ハリウッド映画やアメリカの小説で描かれるベトナム戦争は、基本的にアメリカの戦争として描かれる。アメリカ兵が主人公であり、アメリカ兵の視点から、当時戦争の背景となっているアメリカ社会、米軍とベトコンゲリラ(南ベトナム民族解放戦線)の対決を主軸に描かれていることが多い。そこには本来この戦争の根本にある北ベトナムと南ベトナムの対立が欠けている。ベトナム戦争をアメリカの戦争として見てしまうと、ベトナムが何のために誰と戦っているのかわからなくなる。

この本は米軍撤退後の南ベトナムが舞台であり、そこにはアメリカの傀儡と言われた南ベトナムではなく、自らの意思で活動する南ベトナムの姿がある。南ベトナムの軍人は、政治家は何を考えていたのか。どういう層の人々がどのような思惑で南ベトナムの実権を握っていたのか。北ベトナムと南ベトナムの気質の違いは、南北に分かれる前から、フランス統治下の時代から、もっと前から存在したものであり、決してアメリカの介入によって生まれたものではなかった。

この本に見られる生きた南ベトナムの姿は、おそらく今の統一されたベトナム、ホーチミンシティを訪れても見ることができる。同時にハノイを訪れると、いまだに南北の違いを実感することができるだろう。同じ国であれど風土の違い、歴史の違い、民族の違いがあり、それによって生まれた意識の違いがある。ベトナムは現在でもハノイが首都だが、経済はホーチミンシティが中心になっている。

陥落のサイゴン

陥落前のサイゴンはどのような様相を呈していたか、陥落時のサイゴンでは何が起こっていたか、そして陥落後のサイゴンは。それらが現地にいる日本人の目で、そのまま描かれている貴重な体験談となっている。ベトナム戦争はアメリカの介入があったものの、元々は一つの国だったベトナムが南北に別れた後に統一を果たすというベトナム人同士の内戦であり、外国が外国を攻めるいわゆる侵略戦争とは異なる。サイゴン陥落の4月30日は南部解放記念日と呼ばれ、現在ベトナムの祝日となっている。この本でも北ベトナム側はザイフォン(解放さん)と呼ばれている。

その北ベトナムによる南ベトナムの解放が、現地で実に淡々と行われていたことをこの本で知ることができる。解放前夜は、北ベトナムが攻めてくると虐殺があるのではないかと恐れおののく人々が、サイゴンを脱出しようと必死になる。特に北から南に寝返った人や、政治家、軍事責任者などは躍起になって亡命しようとする。一方そこで生活する民衆はと言うと、いつもと変わらない日常を過ごす。戦争が終わろうが北ベトナムが進軍してこようが、今そこにある生活を営む。

そして陥落の日、北ベトナムがサイゴン市内に進軍してきた日、通常の戦争終結ではなかなかあり得ない事態がサイゴンで起こっていた。外国同士の侵略戦争であれば、終戦直後その現場がいかに悲惨なことになるかは戦争を勉強したことがある人ならご存知だろう。それが例え内戦であっても、戦争という憎しみを経験した兵士たちが現場でどのように振る舞うか、陰惨な例が数多くある。ベトナム戦争終結の日、陥落のサイゴンにおいてはどうだったかが、この本で記されている。条約を結んだ終戦ではなく、領土を完全に支配された終戦がこんな形になる例はそうそうないだろう。

南ベトナムでの生活

この本ではそういった戦争絡みの話以外にも、南ベトナムに溶け込んでいた著者の生活が描かれている。著者はこの本の題材となった2ヶ月より以前に、記者としてベトナムを訪れ3年間暮らしていた。それはもちろんベトナム戦争中のことだったが、当時のサイゴンは砲撃や爆撃があるような戦時下ではなく、著者はサイゴンから従軍し、戦地や会談を取材する仕事をしていた。

そしてジャーナリストが集まるホテルやアパート暮らしではなく、ベトナム人の民家で暮らし、そこの家長であった女性と結婚している。奥さんはベトナム人であり、戦争が終わると出国できなくなるため終戦前に日本に逃している。それ以外の家族や近所の人、仕事で関わるベトナム人など、著者の知人であるベトナム人が数多く登場し、生活を共にした密なベトナム人の暮らしが描かれている。

著者はベトナム人の生活習慣、考え方、人との付き合い方、根底に根付く思想に触れ、ベトナム人に歩み寄っている。北ベトナムが来てからは北ベトナム人との違いが浮き彫りになり、なぜこの戦争が北による統一という形に終わり、南が勝つ結果にならなかったのか、なんとなく見えてくる。

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ホーチミンへ行こうよ

僕はサイゴンを訪れたことがあるから、この本に出てくる通りも風景も頭の中に思い描くことができた。あの街であの日、こんなことが起こっていたんだなあという実感が強い。終戦を描いてはいるものの、サイゴン陥落は日本の敗戦みたいに重苦しいものではなかった。都市の破壊や人民に対する蹂躙があるわけでもなく「こんな形の終戦があるの?」と思うような淡々としたものだった。一部では殺された人もいて、また戦後あまりよくない状況もあったみたいだが、著者が見聞きしたことだけを書いたこの本には記されていない。他の本も読みたい。

そして再びホーチミンを訪れたくなった。南部ベトナムと趣が違う中部、北部もいつか訪れてみたい。ベトナムへ行く前、ベトナムへ行った後、どちらでも楽しめる本だと思います。戦争に全然関心がない人も、あの日あの街がこんな状態だったっていうことはそれなりの衝撃ではないかと思う。

この本は欲しいものリストから送っていただきました。ありがとう!また新しく何か頂けたら書評・感想・レビューを書きます。 www.amazon.co.jp お題「読書感想文」