鈴木あかめさんに会った

会ったといっても道ですれ違ったとかそういう話ではなく、京都に来る機会があるということで、ついでに会ってもらった。もともとお互いのブログを知っている程度で、なぜ会うことになったかというと、ブログに書かれていた内容について僕が質問をしたのがきっかけだったと思う。省略されていた部分を聞きたくて質問したら、京都に行く機会があるから会って話そうということになった。

鈴木あかめさん

この人がどういう人かというと、ブログを見てもらえればわかる通りお医者さんだ。一つのテーマについて、長い文章をすごく丁寧に書かれている。医療をテーマにすることもあれば、普通の日記だったり日々の発見だったり、友人の話だったり、特に最初の方がよく書けてるなあと思って本人に聞いてみたら、最初の3つぐらいは何日もかけて考えて書き直して完成させたとか。最近は日常に変化がなくて書けないらしい。ブログはときどきしか更新されていないが、僕はよく見ていてコメントしたりしていた。 最初の方のやつ

人物の印象としては、多分善人なんだろうなとか、頭がクリアな人なんだろうなとか、物事を公平に見て人の気持ちを尊重しつつ、他人の気持ちは理解できないという前提も忘れない明晰な人なんだろうと感じていた。医者だし頭いいし、それでいて他人に対してフェアで人の気持ちを尊重する人格者、わりとスーパーマンなイメージだった。現物を目の前にしてどうだったかというと、もうね、本人には非常に申し訳ないけど、すごくおもしろい人だった。えっ、この人??という感じ。

見た目の印象

人物がおもしろすぎて、あまり外見をちゃんと見ていなかったけれど、僕がいつも通りすごくいろいろ質問をして相手の目を見ていたから、目が印象的だった。お疲れなのか、でかい目が血走っていた。もしかしてアカメって名前そこからとったのか?お母さんが美人だという話をブログに書かれていたから、多分この目はお母さん譲りなんだろう、まつげもすごかった。ほうきみたいだった。 あとは、痩せていたと思う。並んで歩いたから背は160ちょっと?そんなことはどうでもいいか。外見についてはそれぐらい。ファッション?はキレイ目だったと思う。靴は、見ていない。まあなんだろう、控えめに言ってもきれいな人だった。ただ僕が、きれいな人を前にしても怖気づいたり動揺することがないから残念だ。

話してみた印象

文章と人物の印象がここまで違うものかと思った。会ってさらっと話してみただけだと、ブログとイメージが一致しません。同一人物だとわからないと思う。「話すのは得意じゃない」ということを事前に聞いていたが、得意不得意というよりも文章はもっと上手く、わかりやすくまとまっている感じ。対面しているその人は、そういった粗をきれいに削ぎ落とした文章ではなく、人物そのもののおもしろさが全身から出ていた。え、こんな人なの??と何度も思う。

会話中、ところどころ相手のペースについていけなかった。相手の中では首尾一貫している話が、こちらからは飛んでいるように聞こえる。そして最後に話がつながると「あ、今の話全て繋がっていたんだ」ということになって驚く。なんだこいつすげえ。そういうのって、文章であれば目で文脈を追ったり戻って読み返したりできるが、会話はそうもいかない。あかめさんはときどき思考をチャージするように、言葉が止まる。そして流れ出す。脈略がないように聞こえることも、最後まで聞き終えたりこちらから質問してみれば全て要素としてつながっていることがわかる。こういうのって多分、日常会話からそうなんだろうな。詰将棋みたいだ。僕はそういう人とあまりお目にかかったことがないから、わりと感動した。

ブログとは違う本人

ただそういうのも、僕自身が質問したことに対して注意して聞いていたからわかったことであり、普段の会話ではおそらく見逃す人も多いんじゃないかと思う。見た目や話し方はすごく大人しく、こちらとはあまり目が合わない。こちらが何か言えばしつこいぐらい何度も頷くし、ときどき身体が揺れている。雰囲気が本人の中身と不釣り合いなのだ。それが良いとか悪いとかそういう話ではない。ただその雰囲気に惑わされて、超理性的な中身にまで到達しなかった人は、この人のことを誤解するだろうなと思った。

そして、おそらく感情表現が苦手だ。向かい合うあかめさんの気持ちを、表情やしぐさから読み取ろうとするが、全然できない。すごく混乱しているように見えたり、戸惑っているように見えることもあれば、泣きそうになっているように見えることもある。実際はどうなのか見当がつかない。声や表情で自分の感情を表現するパフォーマンスの技法を、普段の会話では用いる習慣がないのか、それとも僕が単純に嫌がられていたのか。麻雀の話をしているときだけわかりやすく嬉しそうだった。

あかめさんの感情表現は、ブログ上の文章においていかんなく発揮されている。だから、ブログ上のあかめさんと眼の前にいる人物を重ねて、その言葉から感情を補完してみようとするが、うまくいかない。むしろ、文章における感情のほうが擬態でないかとさえ思えてきた。ただ、この人とは初対面だし、友達とは普通に話すと言っているから、単純に距離が遠いだけなのだろう。中身は同じ人だ。

普段のあかめさん

僕がずっと質問を続けるような形式で、会話というよりは質疑応答だけのやりとりを4時間ぐらいしていた。

「えっと、この質問に答えるには、身の上話をしてもいいですか?」

という具合に何でもかんでも話してくれて、答えてくれる。僕があまりにも不躾なせいで、興味本位でいろいろ聞きすぎましたね。本当にごめんなさい。今だからそう言えるが、話している最中はおもしろくて制御できなかった。悪い癖だ。

話を聞いていて興味深かったのは、普段のあかめさんの話だった。ブログには正の部分しか書いておらず、普段の自分には同じだけ負の部分が存在すると言われた。例えば、自己評価が著しく低かったり、すごく打たれ弱かったり、落ち込みやすかったり。普段のあかめさんはブログに現れているようなスーパーマンだけではなく、クラーク・ケントの姿が存在した。麻雀は今でもときどきフリーで雀荘に打ちに行くとか、子供の頃は数学がすごく好きだったとか、今まで彼氏欲しいと思ったことがないとか、こういう言い方をすると語弊があるけれど、日常の姿はなかなかブッ飛んでいる。このブッ飛びようはブログからはなかなか伺えない。

「思ったことを実行しないと気がすまなくて」と言って中庭から校舎の3階へ風船で糸電話を飛ばしたり、バレンタインにメイドの格好でチョコレートを配ったり、

「えっ、それ一人で?」と思わず僕は聞いてしまったが

「そんなこと一緒にやってくれる人いなかったから」だそうだ。わけがわからない。

結局どういう人なのか

この人は、なんだろう、時代の流行や世の中にありふれた感性を持ち合わせていないわけではない。この人が他の人と違うのは、そのアプローチのしかたではないだろうか。そこにある物、見ている物は同じだが、そこに至るまでの道程が違う。途中を飛び越えてしまったり、瞬間移動してしまったりする。毎回そう、というわけではないだろうが。

もちろん培ってきた見識や、専門的な知識から見える特別な世界はある。その圧倒的な知性から導き出される疑問とそれに対する冷静な回答もある。そうかと思えば、感情的な側面も強い。好きになるもの、嫌いになるもの、喜んだり落ち込んだり悲しんだり、人の望みを叶えてあげたいと思ったり、なにかこう、世の中からものすごくズレた人というわけではない。全然ない。文章には中身が詰まっており、多くの人から共感を呼ぶ。小ネタも効いていて何よりわかりやすく親しみやすい。

なんなんだろう一体。一つわかったのは、本人は文章ほど洗練されていてクリアな人ではなかった。その粗が魅力的でおもしろかった。でもそういう部分まで表に出してしまうのは、おそらく生き方として向いていないと思うから、そのあたりは慎重なままでいいと思います。そんな感じで、感想としてはあまりまとまらなかったですが、結局僕には計り知れない人でした。

「ブログに書くんですか?」と訊かれたから「書いてほしいですか」と答えると「どっちでもいいです」と言われたので書きました。話した内容よりは僕の感想を中心に書いたけど、訂正が必要な箇所があればおしえてください。