「帰ってきたヒトラー」感想・書評

上下巻ある長い本なんだけど、昨日1日で読んでしまった。面白かった。2012年にドイツで出版され250万部のベストセラーになり、42カ国語に翻訳された「帰ってきたヒトラー」(原題は"Er ist wieder da"「彼が帰ってきた」)。内容はタイトルの通り、現代にヒトラーがタイムスリップしてきたという話。ヒトラーは地下壕で自殺した記憶をなくしており、2011年のベルリン、地下壕があった場所に現れる。この本は全てヒトラー視点で描かれたタイムトラベル物の小説だ。彼はまだ1945年の戦時下にあると思い込んでいるが、周りの様子がおかしいことに気づく。そしてキオスクの新聞にある「2011年」という年を確認するあたり、バック・トゥ・ザ・フューチャーなど往年の定番タイムスリップ物になぞらえている。

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忠実に再現されたヒトラー

この小説はコメディーなんだけど、テーマとしては「もし現代にヒトラーが現れたらどうするか?」。ヒトラー自身がこの現代をどうとらえ、何を考え、どのような行動を取るか、ヒトラー視点で彼の思考を忠実に再現し、シミュレーションをしたという画期的な小説だ。彼を再現するにあたって、彼の性格、政治観、国家に対する使命感、ゲルマン民族に対する思い、政治的な知識から食べ物の趣味嗜好、人間関係までを調べ上げた膨大な注釈があり、ドイツの歴史的事実や彼自身の過去の発言になぞらえて書かれているあたり、非常に大変な力作である。

新聞といえば、目の見えない人間が話したことを、耳の聞こえぬ人間が書きとめ、村一番の間抜けがそれを書き直し、さらにそれを、よその新聞社が丸写しにしているだけのものだ。

天才の輝きによって、自分の仲間の情けなさを容赦なく照らし出され、意気消沈したりイライラしたりすることに、小心な連中は耐えることができないのだ。

あるポルトガル人と、あるギリシャ人と、あるスペイン人が売春宿に行った。金を払うのは誰か?それはドイツ人だ。

そもそも一般市民が真面目に働いて税金をおさめてきたならば、政府はお返しに、国民のカネの心配を引き受けてやるべきではないか?それは政府にとって最低限のつとめだ。

蘇ったヒトラーは何をするのか?

60年後の未来に飛ばされたことを認識したヒトラーは、自身の境遇を考える。自分の人生は何だったのか。これまでどのような運命を辿ってきたのか。彼は過去を振り返る。1919年、第一次世界大戦に敗北したドイツは、ヴェルサイユ条約により多額の賠償金を課せられどん底に陥った。塹壕で戦う兵隊に過ぎなかった彼は、そこから運命に導かれるようにドイツ復活の指導者となった。100年か200年に一度現れるような天才だった。そんな彼が、今再びこの時代にいるのは何故か。この一見平和な現代のドイツは、もしかするとあの頃のように、深刻な問題を抱えているのかもしれない。自分は神に遣わされたのではないか?もう一度ドイツを導くために。彼は再び一人の政治家としての使命感に燃える。一兵卒から国家を率いる立場にまでのし上がったあの頃を思い出し、この2011年のドイツ国家と、そしてアーリア人を導くため再スタートを切る決心をする。

ヒトラーの姿かたちをした彼は、モノマネのコメディアンだと思われる。キオスクの主人はテレビ局の客と繋がりがあり、彼を紹介する。テレビの人間は、「何かやってみてよ」と言いながら例えば、という風にヒトラーの演説を真似る。ヒトラー自身はテレビのこともヒトラーに扮するコメディアンがいることも知らない。だから純粋に演説内容にある、ポーランド進軍に関する軍事政策について質問を受けていると勘違いする。彼は常に、至って真面目なのだ。

ヒトラーに扮するヒトラー

「君はポーランドの歴史について何を知っているのか?」と逆に問いかける。そこからポーランド進軍にあたる軍事戦略をとくと説明する。しかしテレビの人間はコメディアンのギャグとして品定めをする。モノマネ芸人としての彼が持つ、徹頭徹尾ヒトラーになりきるための膨大な知識量、アドリブですらすらと弁論が出てくる話の上手さ。そしてあまりにも真面目に戦略を説く彼と、現代人とのギャップから生じる笑い。「筋金入りだね」と賞され、バラエティー番組にスカウトされる。

オフィスでの会議や、ネタ見せとしての演説を披露しているうちに彼は、自分が政治家として政治番組に呼ばれたのではないことに気づく。1945年に死んだ人物としての自分、ヒトラーを演じるコメディアンとして起用されていることに。しかし彼は再び思い返す。1919年に何もない一兵卒から大政治家になったことを。獄中で「我が闘争」を執筆したことを。再スタートはまさにそういうった底辺から始まったことを。彼は今自分が、モノマネのコメディアンと間違われている立場を、好機ととらえる。現代に蘇ったヒトラーの新たなスタート地点として、モノマネコメディアンという立場を利用する。

彼は現代に蘇ったヒトラーとして、バラエティ番組で世情を切り込む。政党の政策、EUの問題や、移民の問題、テレビ、ゴシップ誌、ネオナチなど現代の問題に対して、「ヒトラーならどのように考え、どう問題解決に導くか」という論説を繰り広げる。それは笑いを呼び起こすと同時に、意見そのものが批評の的になる。YouTubeに転載され話題になり、「彼は一体何者だ?」「型破りなコメディアン」として新聞にも取り上げられ一躍有名になる。

ヒトラー自身はコメディアンの冗談としてではなく、本気で活動している。周りの人間たちは彼をコメディアンとして見ているが、彼の言葉、熱意、人間性、そして知性とそこから導き出される有効な解決策、話の上手さ、説得力に魅了される。ドイツ国民は次第に彼を、一介のコメディアンとしてではなく"何やらすごい人物"として受け入れていく。読んでいる人間はいつの間にか、これがあの悪名高いアドルフ・ヒトラーについて書かれた本であることを忘れるんじゃないか。

この本の難しさ

いろいろな意味で難しい小説だった。まず、この本を楽しむためには現在のドイツ事情、ヨーロッパ事情に通じていたい方がいい。そして世界史、特に第一次世界大戦からその後のヒトラーが実際に活躍していた現代史を、一般的なドイツ人が持っている常識程度には知っていたほうがいい。ブリッツ・クリーニングで笑えるかどうかはギャグセンス云々よりも、そういった前提知識があるかないかが重要になってくる。また、ヒトラーの人となりも知っていたほうがいい。そういったある程度簡単な予備知識もない人は、この本を読んでも何がおもしろいのか全然わからないだろう。僕は終始笑いっぱなしだった。

また、ナチスネタ、ヒトラーネタがドイツ及び欧米でどのように扱われているかも知っておいたほうがいい。このあたりはかなりシビアで、現在でもハーケンクロイツやヒトラー礼讃はご法度どころか、ドイツでは文字通り違法になっている。だからヒトラーをネタにするときはバラエティで笑い飛ばすといった「強烈な皮肉」「ブラックユーモア」としてしか扱えない。つまり「ヒトラーを笑う」=「ヒトラーを否定する」という図式が明確に存在して初めて、表現の自由としてヒトラーを公然とネタにすることが許される。特にユダヤ人に対する虐殺があったことから、日本の靖国問題や慰安婦問題なんかとは比較にならないほどシビアに扱われている。しかし、この本はどうだろうか?この本の内容は様々なとらえ方ができるため、発行されてから議論になったようだ。

この本に出てくるヒトラーという人物は、著者の努力によって忠実に再現されている。ユダヤ人を忌み嫌うヒトラー、子供好きで動物好きのヒトラー、ドイツ国家と民族を第一に考え、政治に真っ直ぐなヒトラー、そして過去には政治的な戦略と選挙によりその地位にのし上がったヒトラー、良くも悪くもヒトラーその人がそこにいる。現代ドイツの問題を論じるそのひたむきな姿は、テレビの向こう側にいるドイツ国民を魅了し、彼を受け入れていく姿が描かれている。この姿は読者に対する警鐘であると同時に、本に描かれた国民と同じくそのままヒトラーを受けれてしまう読者も出てきたはずだ。この本を読んで「ヒトラーが肯定的に描かれている」と思った人は実際にいるだろう。そういう意味で非常に危ういと感じる。

洒落にならない現実

当のヒトラー自身がそうやって国家元首にのぼりつめた人だ。あの時代に起きたことが、この現代には起きないと言えるだろうか。人々は過去から学んでいるだろうか。この本をコメディとして受け入れるだけにとどまれるだろうか。現にアメリカでは、トランプのような大統領が誕生した。トランプはヒトラーほどの器ではないが、その選出を許したアメリカ国民に冷静さはあったのだろうか。

トランプを肯定する人が、本当にヒトラーを否定できるのか?現代を生きる我々は、ヒトラーの諸行を「結果」として知っているから、彼を簡単に否定することができる。ではあの時代に、果たして彼を否定できただろうか。どの時点でストップをかけられただろうか。現代に蘇ったヒトラーを、もう一度否定できるだろうか?否定すべき局面を見定め、はっきりと「NO」を言えるだろうか。この「帰ってきたヒトラー」は小説だが、これがもし現実に起こったとしたら、その社会実験としてトランプ大統領に置き換えることができるんじゃないかと思う。

帰ってきたヒトラー 上下合本版 (河出文庫)

帰ってきたヒトラー 上下合本版 (河出文庫)

ちなみに映画版も見た。映画は普通というか、どうしてもヒトラーの本物感が欠けているため、小説ほどではなかった。一応小説とは違うストーリーで、違う結末が用意されている。