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「ブンミおじさんの森」を見た

2010年に公開されたタイの映画。エンターテインメントではなくアート要素が強かったように思う。ストーリーやメッセージなどはよくわからない抽象的なものとなっている。映画評では「驚きがある」と言われていたが、本当に驚いた。前フリがあるんだけど「あれはなんだろう?」と見ていくうちに、ゆっくり静かに驚かせる、その自然な持っていきかたがすごかった。

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タイ国郊外の風景があり、全体的にゆるやかな時間が流れている。特に暗闇のシーンが多く、暗闇の中で話し合う姿や、浮かびあがる光など、暗闇を身近に感じるように用いられていた。郊外ともなると、一日の半分近くは暗闇の中で過ごすことになる。家の中などの生活圏内には明かりが灯っているけれど、外は闇に覆われている。この暗さというものが、遠い古来から人間の生活にとって身近であったことを思い出す。そして闇に潜む者たち。

実に奇妙な映画だった。この映画には幽霊や精霊といったものが出てくる。それがファンタジーでもホラーでもなく、現実の身近な存在として登場する。怖いものやオカルトめいたもの、何か特別な異形の者ではなく、人と同等の扱いを受けている。この幽霊や精霊との独特な距離感は、もしかするとこの映画だけではなく、タイ国内において当たり前にあるものなのかもしれない。我々日本人とはとらえ方が違う。

日本だけでなく、科学技術や文明が発達した現代社会を生きる人々にとって、幽霊や精霊が遠い存在であることは同じだろう。では過去はどうか。文明や科学技術が発達する以前、日本においても似たような状況があった。古い絵巻に出てくる、魑魅魍魎というやつ。自然と暗闇が世界の半分を占めていた時代、幽霊や精霊、日本で言えば妖怪のような存在は、人間の生活と距離が近く、共存関係にあった。人間の生活圏は今よりもずっと狭く、異界との境目は曖昧であり、お互いが行ったり来たりしていた。

実際に異界の存在がいたとかいなくなったとかそういう話ではない。過去には日本でも、自然や暗闇に伴う異界の存在という概念が身近だったという話だ。日本とタイとで異界の存在のとらえかたが違うのは、日本においては自然が脅威だったからだろう。タイは年中温暖で自然から得られる食べ物も豊富だから、恐れる存在ではないのかもしれない。

現代のタイにおいて、異界の存在という概念がどれぐらい残っているのかはわからない。ただこの映画には、ファンタジーやオカルトではない実生活の中における、異界の存在との関わり合いが記録されている。だから現代を生きる我々から見れば、その距離感をすごく奇妙に感じる。西洋人なんかはこれを見てどう思っただろう。過去の伝承を思い出しただろうか。

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