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「本気出していない」から傷つかない心理

先日100円で買った「絶望名人カフカの人生論」を読んでいて78ページに出てきた項目が気になった。

自分を信じて磨かない

幸福になるための完璧な方法が、ひとつだけある。それは、自己の中にある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしないことである。

ー罪、希望、苦悩、真実の道についての考察ー

この文について以下のような解説が書かれていた。

才能があると信じて、でもその才能を伸ばす努力をしなければ、失敗した場合にも「努力しなかったから」と言い訳が立つので、自尊心が傷つかずにすみます。また、もし成功すれば、「努力しなかったのにスゴイ」ということになります。どっちに転んでもトクなわけです。そのため約七割の人はこの心理を持っていると言われます。

こういう心理を、心理学のほうでは「セルフ・ハンディキャッピング」と呼んでいます。

名前あんの!?

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

いわゆる「本気出してなかった」「試験前だけど全然勉強しなかった」を地で行く人たちのことだ。もしくは小説家になりたいとかミュージシャンになりたいとか言いながら勉強したり学校に通ったり練習したり努力せずに「既に出来上がったスタイルを学ぶのは俺の感性を鈍らせる」とか「才能だけで成功しなければ偽物」とか言いながら己の才能だけを信じて結果を残さない人たちのことだ。評価されなくても自分なりの結果を出し続けて研ぎ澄ましている人は別だろうが、それさえもしないで「才能はある」とか「地頭はいい」という自信だけを頼りに手抜きで取り組んで何の成果物も作れていない人。こんなあるあるに名前がついていたなんて。検索してみたらいろいろな記事が出てきた。

セルフ・ハンディキャッピングの解説

これらの行動に能力の向上や生産的な価値はない。失敗や成功の原因が自己の能力や努力ではなく、外部から与えられた要因にあるとすり替えて思いこむ、行為だからである。

セルフ・ハンディキャッピング - Wikipedia

多かれ少なかれ評価や優劣を意識する人間にとって、「格好悪くあがいて少しでも成功に近づこうとする」ことよりも「手を尽くしてプライドを守る」ことがより重要だと判断した状況では、セルフ・ハンディキャッピングは誰の身にも起き得ることと思うべきだろう。

セルフ・ハンディキャッピングとは - ニコニコ大百科

『私バカだから』と言う人間は本当にバカなのです!

マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷 第63回「『私、バカだから』という人の正体」

上司たる自分が、部下である自分に、気づいた都度「それはセルフ・ハンディキャッピングだ。無駄だし、有害だから、止めておけ」と心の中で注意する。部下である自分は、指示の責任は上司にあると割り切って、素直に上司の指示に従えばいい。

「セルフ・ハンディキャッピング」と意識的に戦おう:経済評論家・山崎元の「エンジニアの生きる道」

出るわ出るわ。有名なんですねこの言葉。その割には今まで聞いたことがなかった。失敗したときに傷つかないための言い訳を自分で用意する、これを持っている人が七割だって。つまりこの心理を持つことは、結果を出したり前に進んだりするためには邪魔であったとしても、自分を守るために有効な手段ってことだろう。弱者のための武器、セルフ・ハンディキャッピング!!「自分に言い訳しない」とか、「弱音を吐く己に勝つ」とかっていうのは全てこのセルフ・ハンディキャッピングを取り払うっていうところから始まるのかな。

「それってセルフ・ハンディキャッピングだよね?」

それにしても誰かに「それ、セルフ・ハンディキャッピングだよね?」なんて指摘されたら身悶えするんじゃないだろうか。

「あ、そうやって自分の自尊心を守りたいんだ。わかるーだって自分が無能だって認めてしまったら傷つくもんね。だから結果を出す以前に勝負したくない気持ちわかるー勝負するにしたっていざ負けたときに自分を守る言い訳残しておきたいもんね。私はブスだから、とか、ブスでも勝ってる人いっぱいいるのにねーでも精一杯努力してそれでダメだったらもう立ち直れないもんねーブスが悪いって自分を納得させる余地残しておきたいよねー失敗しても心の余裕保てるもんねーそういうのを心理学用語でセルフ・ハンディキャッピングって言うんだよ」

一見手厳しい言葉だが、あまり刺さらないな。

自分を振り返ってみる

どうだろう、自分にもこのセルフ・ハンディキャッピングが当てはまるのだろうか。「置き石(電車ではなく囲碁の)」をすることは日常的によくある。「苦手でして」と前もって他人に表明するのは果たしてセルフ・ハンディキャッピングに当てはまるのだろうか。

僕の場合「置き石」は相手に期待させず、ハードルを下げる効果を狙っている。相手が期待してしまうとガッカリ感が大きいため、自己防衛というよりは他人に対する配慮のつもりだ。自分は自分の実力を知っているつもりだから、過度に下げたりはしない。なるべく正確に真正面の位置から見てもらおうとする。

できないことをできると言ったり、自分の実力以上に盛る人はやっぱりただの嘘つきだと思うし、それを見抜けないのは愚かだと思う。見抜いていながら嘘に乗っかる人は悪どいと思う。こういう場合の嘘はよく正当化されるんだけど、自分の気持ちとしては好ましくない。「後から事実にすればいいんだ」みたいなこともよく言われるが、その時点ではやはり嘘なのだ。嘘とはつまり騙しである。そういう詐欺ハッタリの嘘騙し商法に比べたら、過度な期待を冷静に正確な位置まで引き下げる置き石の方がよほど誠実でまともだと思う。

しかし、結果が出ないことに対して信条を言い訳にしてしまうとそれはセルフ・ハンディキャッピングに当てはまるのだろう。つまり、置き石そのものが問題ではない。その扱い方である。

熱意がないのは?

人はなんであんなに熱意を持って取り組めるのか不思議でしょうがない。精一杯取り組めない理由は、失敗したら傷つくとかそんなこと以前に、ただ冷めるからだ。これもセルフ・ハンディキャッピングなのか?違うような気がする。本気で取り組めないのは、気が乗らないからであって自尊心がどうこうとは関係ないんじゃないか?いやだーめんどくさーいやりたくなーいの精神である。もっとひどい。そう考えるとセルフ・ハンディキャッピングって一体何なのかよくわからなくなってきた。

(頑張らない言い訳←失敗を恐れて)これがセルフ・ハンディキャッピングだとしたら、確かにそれもある。精一杯取り組んで思うような結果が出なかったとき、打ちのめされてしまうだろう。だから心に余裕を持っておきたい、そのために必死で頑張らない。でも自分の場合やっぱりそれ以上に強いのが「めんどくさくて我慢ならない」ということだ。その先にある結果よりも、過程の大変さにくじけてしまう。だから頑張れないことのほうが圧倒的に大きい。それは結局、結果に対しても過程に対しても、苦難を上回るほどの熱意を持てなかったということだ。

そういう場合に有効なのは、理性でもって感情をコントロールすることだろう。自分を騙してモチベーションをコントロールすることもそうだし、感情をシャットダウンしてただひたすら理性的に行動するのもそうだ。熱意は作れる!