叔母の話

うちは祖父母も親戚もみんな京都で、歩いて行ける距離に住んでいる。だから子供の頃から親戚同士の交流が比較的多かった。盆には墓参りに一緒に行って、大文字を見たり、正月は毎年会ってお年玉をもらっていた。特に僕が幼いころは、叔父と父が一緒に仕事をしていたこともあり、毎月月末には叔父と祖父母の住む家で食事をしていた。その家は人がたくさん集う場所だった。僕は祖父母と同居していなかったけれど、そういう地方都市に特有のドメスティックな環境で育った。叔父の家に呼ばれると、僕はいつも5つ上のいとこの部屋に行ってマンガを読んだり話をしたり、おかしをもらっていたのを覚えている。誕生日にはよく、両親の代わりに叔母からプレゼントをもらっていた。うちの両親は「そういうのは持ち回りだから」と言って、叔母からもらった年には何もくれなかった。お年玉も両親からはもらったことがない。父親が叔父の会社から独立してからは、親戚とも会う機会が減った。それでも正月にはやはり、毎年会っていた。10年前に僕が京都を出てからも、正月に帰る年には会っていた。

叔母が僕と会ったときの口癖は

「あんたは私がおしめも替えてあげたし、風呂もいれてやったからずっと大事に思っている」

叔母は若くて美人で、昔喫茶店で働いていたときに叔父や父が客として通っていたらしい。いつも強気で底抜けに明るく、スポーツも得意。そして喜ぶときは喜ぶ、怒るときは怒る、ムードメーカーで感情豊かな人だ。僕は臆病で感情を表に出さず、幼い頃から何かと周りの人におびえていた。親戚との交流が盛んだと言っても、年の近いいとことしかまともに話せなくて、祖父母や叔父、叔母ともちゃんと話したことがなかった。人との距離のとり方がわからない。そういう可愛げのない僕を構うような人もいなかった。でも叔母は会うといつも喜んでくれて、僕はどう返していいかわからなかった。大人になってからやっと、叔母に対しても自分の言葉で話すようになった。

叔母はどうやら、人の好き嫌いが激しいようだ。はっきりとそういう話を聞いたことはないが、なんとなくそういう雰囲気がある。特に僕の母とは性格が合わないらしい。そういうことを子供ながらに感じていた。でも両親は親戚との関係がどうなっているかなんて子供に言わないし、僕自身も自分の内面のことだけをずっと抱えていて、周りのことを感知してこなかった。僕は叔母に嫌われるようなことや、怒られることを避けてきたし、叔母も僕を大事に思ってくれる面以外は僕に見せてこなかった。そこには一定の距離がある。僕は叔母のことを本当は何も知らないし、叔母も僕のことは何も知らない。例えそうだとしても、だからこそ、叔母に一方的によくしてもらった僕は、親しみを感じている。

いとこには子供がいて、叔母ももうお婆ちゃんになって何年も経つ。今は60代。痴呆が始まったらしい。人に何かが起こると、その人とこれまでどのように関わってきたか思い出す。そして決まって、ちゃんと関わってこれなかった事実に向き合うことになる。用事があったり何かのついでではなく、僕自身の意志で叔母を訪ねたり、僕自身の気持ちを告げたりすることはまずなかった。それは叔母だけではなく誰に対してもそうだったし、逆に誰かが僕に関わってくるようなこともなかった。よくあることだと思う。人がたくさんいる中で、優先して誰かとの関わりを大事にするようなことはあまりない。

何かあってからでは遅いと言いながらも、人はあまり人との関係を大事にしないように思う。気後れして、積極的に関わろうとしない。めんどくさいと思っているのかもしれない。行事や機会に頼り、流れに乗って行動するだけで、自分の意志で動こうとしない。相手の迷惑も考えるのだろう。でも本当は、もっとフランクでいい。重々しく考えすぎるから動けない。誰でも気軽に訪ねて、気軽に帰っていけばいいんだ。人から会いたいと言われると、鬱陶しく思って拒絶していることも多いんじゃないか。何をそんなに構えることがある。もっとフランクに会って話して、自分の思っていることを告げられないのか。できることなら、誰とでもそうありたい。少なくとも親しい人や、大事に思う人とはなるべく会う機会を多く持ちたい。会って話を聞きたい。自分の思うことを告げたい。人との繋がりを大事にしたい。何かあってから、機会を失ってから後悔するなんてことは、あまりに愚かだ。

大人になってからはなるべく意識して人と会い、知らない人や友人、親戚と会ってきた。叔母と会えばハグをして「叔母さんだけはいつまでも若くて美人だね」と、思っていることを口に出すようにしてきた。みんな忙しいから、会える機会を大事にしてきた。それでもまだ足りなかった。どんな顔をして会えばいいんだろうとか、つい考えてしまうが、そういうのはいらない。会えばいい。もっと会って話す時間を作りたい。