「京都ぎらい」という本があるらしい

今年の2月頃、東京へ行ったときに同じテーブルになった人と話していたら、僕が訛っているため「どこから来たの?」と聞かれた。僕が「京都」と答えると

「京都って何がいいの?」

という質問をされた。

僕は「何もよくないよ」と答えた。しかし相手はまた

「京都の良さがわからないんだけど、京都のいいところって何?」

と聞いてきた。だからまた「何もないよ」と答えたら、向こうは黙ってしまった。僕は??という感じだった。そこで同じテーブルにいた別の女の子が

「去年東京で『京都ぎらい』っていう本が流行ったんですよ」

と言っていた。「京都って何がいいの?」と聞いてきた子は、僕が京都の良さを挙げていくと思ったのだろう。でも僕は京都の良さなんてよくわからないから何も答えられなかった。その後も何か話していたが、内容はあまり覚えていない。

今日ふと、そんな話をしていたことを思い出した。『京都ぎらい』なんていう本があるらしい。一体何が書かれているのだろう。Amazonで検索してみたら出てきた。

あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言するのは、 京都育ちで、ずっと京都に住んでいる著者だ。 千年積もった洛中人の毒や、 坊さんと舞子さんとのコラボレーションなど、 「こんなん書いてええのんか?」という衝撃の新京都論。

あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。

【目次】 一. 洛外を生きる ・京都市か、京都府か ・さまざまな肥やし ・京都弁の「桃太朗」 ・山科もきらわれて ・宇治もまた、ゆるされず ・首都のメディア、におだてられ ・山の彼方の空遠く ・ハゲとデブ ・京へいく老人たち ・KYOTOがしめすもの ・ブラジルの日本像

二. お坊さんと舞子さん ・芸者か、芸子か ・呉服と映画の時代は、すぎさって ・姫・坊主・姫・坊主 ・ミニスカートにそそられる ・男を忘れた僧侶たち ・女色に食傷する、その日まで ・檜舞台の舞子たち

三. 仏教のある側面 ・北山の大伽藍 ・写真とイラスト ・ライトアップでカップルは ・「古都税」闘争 ・庭園秘話 ・「おもてなし」をさかのぼる

四. 歴史のなかから、見えること ・皇居という名の行在所 ・京都で維新を考える ・落日の鞍馬山、そして嵐山 ・京都をささえた江戸幕府 ・江戸と京都の建設事情 ・「五山の送り火」と言いなさい ・銀座のさきがけ

五. 平安京の副都心 ・嵯峨、亀山、小倉山 ・南朝の夢の跡 ・南北朝と嵯峨室町 ・鎮魂の寺 ・天龍寺と法隆寺 ・オカルトからは、ときはなたれて ・儒学者と講釈師 ・日の丸、君が代そして靖国

長いな。要するに洛中の人が洛外の人を差別するっていう話?こんなローカルなネタを東京の人が読んでおもしろいのか?京都好きの人がこれを読んでおもしろいとは思えないし、京都嫌いの人がわざわざ「いかに京都が嫌いか」なんてことを書かれた本を読むのもよくわからない。そもそも京都に住む人以外には全然関係ないどうでもいい話だ。ゴシップ的な興味?

とにかくまあこの本が売れたらしい。Amazonのレビューは137件あるが、これが多いのか少ないかもよくわからない。ネットのレビューを見てみよう。

うーん、なんかとにかく嫌われてるんだな。ちなみに僕は洛外出身だけど、洛外だからどうだなんて話は冗談でしか言われたことがない。世代の違いかな?ただ京都市以外の人が自分の出身地を京都って言うことはあまりないような気もする。それは八王子の人が「東京です」って言わないのと同じで、いわゆる京都のイメージと違いすぎるからじゃないだろうか。

多分ここに書かれているのはだいぶ上の世代の人の話だろう。僕と話していたのは僕より若い子だったから、この本を読んで京都人である僕のことを大いに誤解したかもしれない。いずれにせよ京都人がケチだとか性格悪いって話はよく言われることで、僕はそれをコミュニケーションのスタイルの違いから生まれる齟齬だと思っている。「京都人が性格悪い」って話はあまりにもステレオタイプに広まっているから、他府県の人と話すときはよくネタにもしている。性格がどうかなんて遺伝の影響の方が強いし、同じ京都人であっても個人個人で見ていけば当然大きく違う。手っ取り早く人を誤解しようとする姿勢としては正しいかもしれないが、人を理解したいならこのような偏見は弊害でしかない。

心情としては「韓国人嫌い」って言うネトウヨの人たちと同じようなものかな。文化が嫌いって言われたら、そりゃあイスラム文化が嫌いな人だっているんだからしかたがい。そんなものは所詮ただの好き嫌いの話で、あれこれ言ったところでどうしようもない。それでも嫌いと言われて喜ぶはずはなく、ただ残念なだけ。嫌いなことを話題にするのは不毛だと思います。