週刊日記

よくないことが続いている。本当だろうか。もしかすると、よくないことだけが記憶に残っているのかもしれない。よいことは認識していないのかもしれない。実はよいこともおこっていて、という事実がどこかにあるのかもしれない。よいこととはなんだろうか、うまくいったことだ。よくないこととは、うまくいかなかったことだ。もしくは偶然もたらされた幸運だったり不運のことを指す。

マイノリティ

マイノリティということについてときどき考える。マイノリティであることの困難は僕には推し量れないが、なぜかその心情に同調してしまうようなところがあるのは、自分が名前のないマイノリティだからじゃないかと思っていた。しかし実際はマイノリティというよりもただの個体だった。何かの枠でくくることもないひとつの個体。それは誰しもがそうであり、個体の中から共通項という枠を見いだしてできあがった集団が少数派であればマイノリティになるんだけど、もしその枠さえも見いだせなかったら、それはただの個体のままだ。もちろんある程度の大枠においてはマジョリティに含まれている。僕は人間だし、男性だし、ストレートで日本人だ。信仰もない。標準的と呼べる範囲の家庭に生まれ育ち、標準的と呼べる範囲の日本人らしい生活を送ってきただろう。それでも自分の中には何か、大枠でくくれない範囲で標準的でない部分、マジョリティの人たちと相容れない部分があるように思ってきた。そこには名前がない。だから集団として集える寄る辺もない、誰とも分かち合うことができない一個体の要素が残されている。だから僕は、たとえマイノリティであっても何かを分かち合える集団に属せることを羨んでいたのかもしれない。そこには困難に比例した強い結束や固い絆があるような気がして。問題は自分の要素にポジティブ点がないというところか。おそらく、これっぽっちも。

最近読んだ本:1Q84

ようやく1Q84を読んでいる。1Q84は長い。文庫本で6冊になる。それらが揃って100円で売られているところは見たことがない。だから今までずっと手を出さなかったけれど、このままじゃいつまでたっても読めないと思い、1巻目が売っているのを目にしてから少しずつ買い集めた。全部揃えば読み始めようと思い、ときどきブックオフに立ち寄っていたら1ヶ月もしないうちに全部揃った。これは幸運と呼べるだろうか。あるいはそうかもしれない。しかし揃ってからも、しばらくは読み始める気になれなかった。その前に買っておきながら読んでいない本がたまっていて、その後に見た映画に打ちのめされていた。

読み始めたのはつい最近のことだった。1Q84についてはあまり良い評判を聞いていないから期待していなかった。今ブック2を読み終えたところだが、少なくともここまでは悪くない。いつもながら村上春樹の本は内容がわからずともすらすらと読ませる力がある。この本に関しては少なくともそれほど複雑なことは書かれていない。中には比喩が含まれているかもしれないが、そんなことは気にせず話の筋をたどってまっすぐ読み進めている。物語はそのように進んでいるが、これといった深いところを見いだせていないのもまた事実だ。

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

最近見た映画:ラ・ラ・ランド

ララランドについてはあれはから日記を読んでくれた人と話したり、他の人の感想を見たりしていた。再びネタバレになるが「夢と恋人の二択を迫られ、恋人ではなく夢を選んだ物語」みたいに認識している人もいたけれど、僕の意見は違う。

この映画は男性役が主人公であり、監督も男性で思いっきり男性目線で書かれた話なんだけど、男性の後悔の物語だった。男性は、この話だとセブは、自分の夢のためにミアとの関係をあきらめたわけじゃない。それがはっきり現れているのがラストシーンで、別の人生を歩んだ場合のセブはパリで自分の店を持っている。彼は別にLAにとどまらなくたって夢を追いかけることができた。ではなぜそうしなかったかというと、その時点では夢を失っていたからだ。音楽性の違うバンド活動に精を出し、やれることをやるだけ、と言っていた。

ミアをパリへ送り出したのはセブだったが、彼女との関係は実質その前に切れていた。セブが再び夢を実現に向かわせたのは、もっと後のことだった。そこに時間のギャップがある。それはもしかするとミアがパリで成功したことに奮い立たされ、再び自分の夢を取り戻したのかもしれない。つまり、彼らはお互いの関係よりもそれぞれの夢を選んだのではなく、セブはミアを自身の夢に送り出し、それが実現したことによって再び、身の回りにあった現実から自分の夢を取り戻したことになる。

そして彼が最後の曲で語った「こうすればよかった」という時間は、自分の夢をあきらめてミアについていった場合ではなく、まさに逆で、彼が現実に打ち負けず夢を失わなかった場合の時間だった。それは彼が、初めにミアをつけ離さず受け止めていることによって得られていたかもしれない時間だった。結果的にセブは再び自分の夢を取り戻したが、それはミアの成功によるところが大きかっただろう。行動を間違ったために肝心のミアを失ってしまった。最初から彼女を受け止めていれば、一緒に夢に向かえていたんじゃないか、という後悔の曲がラストシーンの曲だったと僕は認識している。

ただ映画としては、ラストシーンの話を最初から最後までそのままやられてもクソつまんなかったと思う。

他の人の感想で、「秒速5センチメートルと同じ」みたいな意見があった。確かに秒速に似ているが、あれには夢云々の話は全くなかったし、歌も踊りもなかったから部分的に似ているだけ。