物欲がなくなってから

昨日個人投資家の人たちと話していたことを書いたが、お金のことを考え始めるのは物欲がなくなってからの方がいいんじゃないかと思った。あれがほしい、これがほしいと思っているうちは、お金を使わないでおくことに我慢が必要で、難しい。かっこいい服が着たいとか、バイクが欲しい、車がほしい、家を買いたいなんて思っているうちから30年後先を見据えて投資するなんて不可能だろう。今を楽しむためにはどうしても消費が必要だと思ってしまう。それはある意味正しい。若いうちに金を使わずに人生楽しまないで、年取ってから金持ってたってどうする?なんてどうしても考えてしまう。

僕自身はそういう段階は終わった。決してたくさん散財してきた方ではないし、今まで遊んできた方でもないけれど、元々願望が薄いからある程度満足してしまっている。消費することで得られる楽しみは、もうあまり思いつかない。あとはてきとうに暮らしててきとうに死んでしまえばいいやってぐらい。環境のこともあるだろう。ストレスが多い環境だと、消費せずにはやってられないことが多い。たとえそれがあまり意味のないことで、散財して後悔するだけであっても、その場のストレスを解消するためだけについ無駄遣いをしてしまう。気持ちの負担が大きい環境を避けることも重要かもしれない。

今積極的にお金を使う対象と言えば、本か映画ぐらいだから金額はたかが知れている。年間で1万ぐらい。旅行についても、僕の旅行は格安航空券と無料の宿泊、露店やスーパーの食材で用意した食事がメインでそんなにお金をかけない。写真はレンズ沼に嵌まらなければお金はかからない。個人投資家の人たちも、積極的に働いていた頃は羽振りが良かったみたいだが、今は落ち着いた格好で質素に暮らし、無駄にお金を使っていない。資産1000万が1億になったところで暮らしは変わらないし、興味もないと言っている。消費にはもう満足してしまっているのだ。そうなってくると、投資にお金を回すことはそう難しくない。手元にある中から生活に必要な分を除いて、全て投資に回してしまっても生活に不満はない。

おそらく、一番お金がかかるのは人付き合いだ。食事をしてお酒を飲んで、数時間過ごせば後は何も残らない。吹っ飛んでしまう。かと言って人付き合いなしに暮らすのは退屈だろう。人付き合いだって、浪費せずに済ますことは簡単だ。外食しなければいいだけ。浪費が必要となる場所に出向かなければいいだけ。外国にいたときはホームパーティーが主流だったし、クラブなんかも飲んでから行けばそんなにかからない。映画は元々好きだから一石二鳥だし、安く見る手段もある。そういうのを「貧乏くさい」と言って見栄を張りたがる人とは付き合わなければいいだけ。もしくは消費欲求を抑えられない人と付き合わなければいい。そういうのが楽しかった時期はもう終わったんだから、浪費の先には無駄と後悔しか残らない。

それでもあきらめきれない、まだまだ消費したいという人が、消費を楽しみながら投資するのは簡単だ。もっと稼げばいい。仕事が好きな人は本業で稼ぐことにより、平日も休日も忙しい日々を満喫することができる。年収が多ければ年間100万円ぐらい投資に回したところで、残ったお金を十分消費できる。どちらを選んでも良し悪しはなく、生き方の違いで性格の違いだ。自分の好きな方を選べばいい。消費が好きで働くのが好きな人は忙しく生きる。僕自身は何よりも働くことを苦痛に感じるから、可能な限り労働時間を減らそうとする。その苦痛を消費は打ち消してくれない。

だったらなぜ投資に手を付けようとしているのか。お金のことを考えているのは、やっぱりお金を使いたいからなんじゃないかというと、そうでもない。ただの遊び。手を付けたことがない領域で、もともと高校生の頃から興味はあったし、おもしろそうだから。ただ当時は今より物欲があり、知識もなく手段もなかった。物欲がなくなった今なら、この遊びに参加できるかもしれない。株式投資だったら元本を割ることはあってもゼロにはならないし、レバをかけたり空売りしなければ借金を背負うこともない。一興です。