どこにでもいる誰でもない自分

あー日記です。いつも個人的なことを書こうと思っているんだけど、頭がぼやけていて何も思い浮かばない。これは春頃から続いている。もう時間が止まっていて、自分とか他人とか世の中とかなんもない感じ。だから仕方なく読んだ本のこととか見た映画のことを書いている。そこにはいわゆる私がなくて、どっかに消えてしまった。中身のある言葉が浮かばないし、考えつかない。これはなんていう症状なんだろうね。

道路交通法で、車が歩行者に対して絶対的に不利なら、人間同士も強弱を踏まえて強者が絶対的に不利な民法とか刑法になっていたほうがいいんじゃないかと思ったけれど、同じ人間同士の強弱なんて測定の基準が難しいな。身長?頭脳?社会的地位?どれも曖昧だ。

心が死んでいる。前はよく宗教とか社会問題についてあれこれ考えていたっけ。最近はそういうことにも目が向かない。正解が出たわけでもないんだけど。一体なにやってるんだろうなー、ときどき「物語書けばいいんじゃないですか」って言われるんだけど、それ書いてない人に言われてもなーっていつも思う。物語なんて全然書けないんですよ。続かなくて、忘れるし、思いつかない。考えたり想像することをもっと地道に長く訓練っぽくやらないとダメなんだろう。まあそんなことはいいや。

人と話すときにいつも同じことを言っていて、まるで決まり文句みたいで中身がない。あまりにも繰り返しているからだんだん嘘のように思えてきた。それ、果たして真実なのかいって。例えば自己紹介のような感じで、自分のことをよく理解しているとか、理性的に物事を考えるとか、いわゆるエゴグラム的な回答をするたびに、本当にそうか?そう思い込んでいるだけなんじゃないか?って、割り切れない。そのときどきにおいて、理屈っぽい人間の役を演じているとも言えるだろう。本当はエモーショナルで気難しいとか、そうそう割り切れたもんじゃない。かと言って、どっちの要素もあるとか、当たり前だろう。時と場合によるとか、そりゃそうだろう。パーセンテージで示すことさえできない。そんなものを、はい自分ですよって提示するのは嘘に見える。まあ嘘なんだけど。

話す相手によって態度は変わる。誰も彼も同じように接することができるほど、自分自身という枠が定まっていない。だからまあ、見る人によって自分の印象は違うだろうし、それが自分だって思ってもらっても支障ないんじゃないか。ただそれを自分の口から説明するのは野暮だっていうだけで。例えば俗っぽいとか浮世離れしているとか、両方の要素があって度合いもある。少なくともイノベーターではないな。自分の意識からしてそうなんだから、人から見てどうかなんて皆目検討付かない。見る人によっても違うだろうし、そんなことを言い出せばまた何もかも定まらないだけで話は終わってしまう。ここ半年で新たに知り合う人が多かったという話でした。薄い関係だけれども。

結局人から見た自分っていうのは何通りもあって、どれも自分ではなくその人の中にある自分の印象でしかない。その人にとってはそうなんじゃないの。かといって自分から見た自分というのも確かではない。自分の基準でしかないんだから普遍性はなく、見逃している部分も多い。意識して統合したところで、いろいろですよとしか言えない。だから、自分はこうですよっていう主張であったり、人からの印象っていうのは意味がない。語るに及ばず。もちろんそれは私に限ったことではない。あなたのこともそう。

そんなことを考えていると何が何だかわからなくなってくる。自分なんてものは存在しない。ただの物体の一つに過ぎなくて、水のように形は変わり、中身は入れ替わる。個なんてものは特定できない、ある人間の一つ。細胞の一つみたいなもんだ。趣味嗜好とか、個性とか、あってないようなもの。如何様にでも変わる。新しい意識を植え付けられれば、コロっと。

それまでは今ある手札を見せて、はい自分こんな感じですと表明していればいい。その時点では嘘ではない。後で嘘になったとしても、人間水なんだから中身はそっくり入れ替わるもんだよとでも言っておくしかない。変わらない自分っていうのも、思い込みだろう。意図的にそうしている部分があったとしても、「誰々がこういう人」っていう見方は一時的な印象を越えるものじゃない。人のことなんてどうでもいいんだから、目に映る薄っぺらい印象が相手の全てだと思ってしまって差し支えない。その程度だ。

抽象的な話ばかりしているな。新たな人との関わりっていうのはつまり、バイト先の話です。ここ最近書いている個人投資家だって、バイト先で出会った人たち。最近は銘柄をいろいろ選定していたりしたが、結局何買っていいかよくわからない。そんな金あんのかって、そんな金ないっすよ。世の中において今後成長が見込める分野と言えば、例えばドローンとか暗号通貨とかAIとか、そういうのは誰だってわかるんだけど、そういう分野はGoogleとかAlibabaみたいに既に世界ランキング上位の企業だったり、非上場だったりして投資対象にならないんだよな。

勧められた邱永漢の本を読んでみたりしたが、抽象的なことが書いてあって精神論みたいな話だった。相場の見極め方みたいなことも多く、買ってからは役に立つかもしれないが、現時点ではなんとも。数字の見方みたいなことは特に書かれていなかった。株の話っていうのは具体的なアドバイスはできないもんなんだなと痛感した。それぞれが保有したい年数も違い、目標とするパフォーマンスや売買頻度も違ってくる。極めて個人的な話になってくるから、本には書けない。誰が読んでも通用する本に書けることは、観念的になってしまう。アドバイスとか求めることに意味はなくて自分で考えるしかないんだ。

あー私がない私がない。私に固執し続けたツケだろう。経験とか遺伝子とかって自分には何も作用しなかった。ゴミクソのその他大勢だ。自分だけでなく、自分の感情、誰かをおもしろいと感じることも全て幻想だった。悲観しているわけでもない。ただまあ、これからどうするかなあ。