映画「ライオン」を見て、子供について考える

この映画は幼い兄弟が列車から石炭を盗むところから始まる。インド郊外にある小さな町、兄弟は盗んだ石炭を店で牛乳と交換してもらい、家族へ持ち帰ってみんなで分けて飲む。父親はどうやらいないようだ。母親は石を運ぶ仕事場へ行き、兄弟は一番下の妹を寝かせ、兄は夜も仕事をするために町へ出る。幼い弟は兄についていきたいと言う。夜通し働くからお前には無理だと兄は言うが、どうしてもついていきたいと聞かず、兄弟で列車の駅へ向かう。ジャンルは感動系ホームドラマ。

主役である弟、サルーを演じるのは『スラムドッグミリオネア』やイギリスのドラマ『SKINSシーズン1.2』に出ていたデーヴ・パテール。兄グドゥを演じるはアビシェーク・バラトという無名の17歳だが、この映画では一番光っていた。他にニコール・キッドマンやルーニー・マーラが出ている。ルーニー・マーラはこの映画にいらないだろっていうような役だった。ネタバレ無しで見たい人はこのへんで本編を見ることをおすすめする。

ネタバレありのあらすじ

実話を元にした話、ということでノンフィクションの原作本がある。著者であるインド系オーストラリア人、サルー・ブライアリーの実体験をそのまま語った本だ。彼は幼いころ兄の仕事についていった際にはぐれ、乗り込んだ列車から出られなくなりそのまま1600km離れたコルカタへ行ってしまう。インドは多言語国家で、サルーはコルカタのベンガル語が話せない、幼くて故郷の正確な名前も知らない。

ホームレスとして1年生活するが、ヒンディーを話せる青年に警察に連れて行ってもらい、迷子として親元を捜索してもらう。その間サルーは児童養護施設のようなところで生活することになる。コルカタ一帯の新聞に写真が載り、親元からの連絡を待つが、故郷は長距離列車で2日離れた遠い地。親元からの連絡はなかった。

児童養護施設では養父母を募っており、オーストラリアの夫婦から養子縁組で迎えられることになる。サルーはインドから遠く離れた地、オーストラリアのタスマニアで新しい生活を始める。20年経ち、サルーはメルボルンの学校に通うためタスマニアを離れる。メルボルンには各国からの留学生も多く、インド系の友人ができる。

友人たちに自分の生い立ちを話し、故郷がわからないことを伝えると「Google Earthで調べられるかもしれない」と告げられる。Google Earthを見ているうちに、サルーは故郷のことを思い出し始める。兄グドゥが呼んでいる幻影を見る。母との思い出を夢に見る。幼いころに見た故郷の、ありとあらゆる記憶を少しずつ思い出す。

映画の最後には「インドでは毎年8万人の子供が迷子になっている」という文字が流れ、公式サイトでは迷子の子供を支援する寄付を募っていたりするみたいだ。

LION

インド人ではかなり幸運な例

サルーは映画の中で「自分だけが恵まれていることに悲しくなる」と言っている。インドで実の家族と貧乏生活を続けていても、それはそれで幸せだっただろう。しかしオーストラリアで迎えてくれた養父母も実にいい人たちで、サルー自身は結果的にラッキー人生を歩むことになった。

実親に会えなくなったりホームレス生活は苦しかったかもしれないが、結果的にはオーストラリアで暖かい家庭に恵まれ、貧困にあえぐこともなく、教育を受けることもできた。多くのインド人に比べて、西洋的な価値観において幸せな暮らしを享受できたのが非常にラッキーだったと言える。

この映画で深く突っ込んではいないが、サルーが故郷のことを思い出しながら、仕事も辞め半ば自暴自棄になるのは、自分の置かれた環境と故郷の現実とのギャップのせいもあるかもしれない。そして本を書いて出版したりチャリティーをしている背景には、自分だけ恵まれていることへの不公平感が強かったんじゃないかと思う。ただ単に「25年間離れ離れの家族が心配している」というだけではないだろう。ホームレス時代に多くの子供を見ている。

同じ俳優の映画としてどうしても比べてしまうのが『スラムドッグミリオネア』だ。あちらの状況はかなり悲惨で、インドの現実はもっと悲惨であることが想像つく。

国際養子縁組の実例

インドに限った話ではなく、アメリカや日本においても子供の悲惨な状況は数知れない。少年兵や麻薬中毒、児童買春、そういう話はこの映画に出てこないが、著者はおそらく子供のそういう現実にも通じているはずだ。自分だけがたまたま幸運だったのがやりきれないんじゃないだろうか。

この映画に出てきた、裕福な国の養父母が貧しい国から養子を受け入れる制度は、欺瞞もあるかもしれないが、運が良ければ子供の人生が切り開けるいい機会だと思った。国際養子縁組では、かなり前にアンジェリーナ・ジョリーがカンボジアから迎えたマドックスが話題になった。制度には問題あることも多いみたいだけど、子供にとっては、虐待、少年兵、児童買春に比べどれほど幸福か。日本でも悲惨な環境の元で暮らしている子供はたくさんいる。なんとかならないのだろうか。

国際養子になった日本の子供は今どこに? 「まるで誘拐」を黙認する日本政府の無責任ぶり | JBpress(日本ビジネスプレス)

子供の問題に向き合うということ

子供の問題にはどう向き合っていけばいいのだろう。映画ではサルーが養母に対して

「子供を産めないから養子を採って、お母さんにとって意味はあったの?実の子のようになれなかった、ダメな養子だったよね。困らせてばかりで、」と問いかける。それに対して養母は、

「妊娠はできた。それでもあなたをえらんだ」と答える。「人口はこれからも増えていく中で、子供を作ることが良い選択だと思えなかったの。養子を採って育てるのが自分たちの唯一の選択だと思った」という告白をする。

養子を採るということは、彼女が子供を産めないからではなく、ポリシーに従った上での選択だった。

子供を産み育てるのは、数字で見るとコストでしかない。時間がかかり、手間がかかり、お金がかかる。教育費の負担もかかる。余裕がなければできない。余裕がない家庭に生まれてきた子供は、幼くして働く。すると教育を受ける機会が失われる。それだけならまだましだが、口減らしに殺されたり捨てられたり売られることもある。そのような運命の元にある子供たちを、余裕のある家庭で育てるということは、貧しくて負担できないコストを裕福な人間が肩代わりする制度だと言える。

日本でも子供を持つことが負担になり、少子化になって久しいが、問題の本質がどこにあるのかよく考えないといけない。問題は少子化なのか。貧困なのか。社会保障費の担い手が本当に問題の本質なのか。制度問題なのか。それとも精神論なのか。

映画的な感想

この映画は故郷をGoogle Earthで探す過程と、その間に実の家族や兄を回想する部分に重点が置かれている。特に兄グドゥの描写については演出も演技も良かった。

そしてその分、他の部分は省略されていたようにも感じる。家庭の話では父親や弟についてもっと踏み込む内容もあっただろうし、ルーニー・マーラはこの映画で本当にいらなかったように感じるぐらい存在意義が見えてこなかった。映画で描ききれなかった部分は、もしかすると原作においてしっかり書かれているのかもしれない。

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