ネガティブは治らない

一般的な見地ではなく、私的な感想として、ネガティブは治らないよなーと思う。主に生まれつきネガティブな自分を対象とするから、他の人に当てはまるかどうかは知らない。

ネガティブは生まれつき

人と話しているときに自分の意見や考え方を述べると、必ずと言っていいほど「過去に何があったの?」と聞かれる。何もないです。特別なことは何もなかった。自分は初めからこうで、何らかの体験によってネガティブになったわけではない。もちろん何かに影響をされることはいくらでもあるが、影響を受けるのは元々その対象に惹かれる要素があったからであって、「惹かれる」こと自体が自分の内側から出てきた感情である。「変化」とは言い難い。言うならば元の自分の延長線上にある「付加」だろうか。

だからポジティブな環境に育ったって自分はきっと居心地悪かっただろうし、ポジティブな要素は取り込まなかっただろう。ネガティブな人や物に惹かれ続けたと思う。誰しもがポジティブな側面とネガティブな側面の両方を兼ね備えており、どちらがどれだけ引き出されるかバランスの違いによって、個性が形作られる。それはなにも環境だけではなく、本人の性格や嗜好、その大元になる遺伝なんかの影響が大きい。環境要因でネガティブになった人なら変われるかもしれない。でも生まれつきそうだった自分は変わらないし、あえて変わりたいとは思わない。

ポジティブ信仰について

僕自身はネガティブを肯定も否定もしないが、ネガティブが病気のように、治すべき対象として扱われるのはなかなかだるい。世界中に蔓延するポジティブ信仰に否定的だ。ただ、ビジネスや人と関わるにあたってある程度ポジティブを強いられることは、つらいことだけどわからんでもない。人付き合いにおいてポジティブな印象が大事、という意見には一部賛同する。

ネガティブな対応を受け入れてもらうよりも、嘘でもポジティブに振る舞ったほうが簡単で楽なことが多い。処世術というやつだ。人は他人の言うことなんて全然興味ないし、興味持ってもらうためには相手を心地よくする必要がある。そのためにポジティブな接し方をしなければいけない。その点においてネガティブなままでいると、ぐんとハードルが上がり、幅も狭まる。ピンポイントな対象にしか受け入れてもらえない。典型的なのが「愛想よく」だ。僕は愛想がいい人が苦手で、愛想が悪い方が受け入れやすいけれど、そんな対象はピンポイントだ。

ある目的を広く遂行するために嘘のポジティブを振り撒くというのは、手段として仕方のないことだと言える。ポジティブ信仰がそういった上辺だけのことを言っているなら、ネガティブな僕もある程度妥協できる。

ポジティブ志向に対する敬遠

ただやはり、自分が根っからのネガティブ人間であることに変わりはない。結局は根本にあるネガティブさを隠し通せない。自分よりネガティブな人に対してカッコイイと思うし、憧れさえ感じる。逆に全身全霊ポジティブマッチョ体育会系みたいな人は敬遠しがちだ。ただこの敬遠というのが、何が何でも嫌いというわけでもない。裏表がある。

一方ではポジティブ野郎に対して尊敬の念があり、羨ましいという思いがあり、妬みがある。人生楽そうだなーとか、なれるもんならなりたいとか一瞬思う。しかしもう一方では、恐れ多いという気持ちがあり、生理的拒絶があり、なるべく関わりたくないと思う。特に個人ではなく集団になったときに、その傾向は顕著だ。

相反する両面だが、どちらの気持ちも嘘ではない。だからポジティブな人とも友達になれる。個人として友達にはなれるが、賛同はできない。ポジティブな活動にも参加できない。合わない。乗れない。ポジティブ志向に対する敬遠とは、個に対する裏表両方の感情と、集団に対する忌避を指す。男女問題に似てるな。

治らなくていい

現代社会を生きる上で(いつの時代もそうだったかもしれないが)ネガティブであることは否定されがちで、ポジティブに比べるとやや生きづらいのではないかと思う。主に社会生活を営む上で、どうしてもポジティブ寄りに偽らなければやっていけないのは大変だ。まあそれも慣れると簡単だし、浅い付き合いにとどめておけばいいだけ。場所とやり方次第では、ネガティブなまま適応することもできる。

根っからのネガティブにとって、ネガティブ故の痛みや苦しみは仕方のないことで、否定されて傷つくこともある程度は甘んじて受け入れている。やられて嬉しいことではないし、そんなことにアイデンティティも何もないが、逆に楽しさや幸せなんかを根本的に望んでいないところがある。うまく生きていけなくたって、そんなもんだと思ってしまう。人生そんなもん。いつも死ぬことばかり考えていたって、具体的に実行することは考えていない。

環境要因でネガティブに陥った人はまた違うから、その人たちがポジティブを望むんだったらなんとかこう、上手くいけばいいなと思います。幸せになりたい人は心底幸せになってほしい。いくらネガティブでも他人の不幸までは望まないです。