「手が綺麗」と言われても

人の外見にはあまりこだわらないほうだと思う。以前にある人と映画の話をしていて、好きな女優はいないと言ったら

「好きな女性のタイプとかないんですか?」

と聞かれた。「それって見た目の話ですか」と聞いたらそうだと言われ、「外見なんてセックスできるかどうかの基準にしかならないからどうでもいい」と答えたら笑われた。

今まで付き合った人は、見た目もタイプもばらばらだった。顔、身長、体型、服装の系統など、見た目の好みがない。似合っていればいいと思う。胸の大きい人が好きとかそういうのに強いこだわりもない。外見は全部表層でしかない。内面が表に出ていることもあるけれど、それだったらやっぱり内面を直接ぶつけ合うことのほうが多かった。

なんでそんなに外見を重視しないのか考えてみたら、自分の外見が良くないからかもしれない。外見に対してコンプレックスを持っているとかそういうことはないけれど、自分の外見(雰囲気や言葉遣いや態度も含めた第一印象)を悪く言われたことしかなかった。人を見るときに外見をあまり見ていなかったから、自分の外見にもこだわらないのか。どっちが先というわけでもなく両方なのだろう。ただ僕自身は外見よりも中身がもっとひどくて、結果的にとった行動は「コミュニケーションを取らない」という方向だったが。

それはともかく、僕が今までに唯一褒められたことのある外見は、「手」だった。「手…?」という感じだ。手なんか褒められてもしょうがない。しかしこの「手がきれい」と言われるのは小学生の頃からずっと続いていて、男性から冗談で「手だけ貸してほしい」と言われたこともある。「手」にこだわるなんて、吉良吉影か。

実際「手フェチ」という言葉はあるが、「手さえ良ければいい」なんていう人には会ったことがない。「顔がタイプならいい」「背が高ければいい」「胸が大きければいい」という人はいるが、「手に欲情する」なんて話は聞いたことがない。いくら手を褒められたって、手がくっついている外見全体が重視され、手は所詮付属物でしかない。だから「手がきれい」なんて言われても「無理して褒めなくていいんですよ」としか思えない。なんで俺は「手」なんだ!

ここまで言っておきながら手を見せないのはどうかと思い、手の写真を探していたら以前にダニに噛まれたときのがあった。

あと髪が伸びた写真を撮ったときも手が写っている。

僕は人の手なんか見ないから、自分の手が人と比べてどうかなんて知らない。手を褒める人から言わせると、手がきれいかどうかの基準は指の長さだったり、毛の量だったり、爪の色や形らしい。写真ではよくわからないと思うが、毛はそんなに生えておらず、爪は先ではなく付け根の方向に長い。色はピンクでたまに「何か塗っているの?」と言われるがそんなわけない。

女の人だったら手がキレイって褒められると嬉しいのかもしれないが、男の自分からすれば超絶微妙で、つくづく意味がないとしか思えない。