チェーホフの悲劇喜劇問題

100分 de 名著の感想。

チェーホフ「かもめ」

チェーホフの「かもめ」は戯曲で、僕が初めて読んだ戯曲もチェーホフの「桜の園」だったように思う。戯曲とは、演劇の台本みたいなやつ。チェーホフを読んだきっかけは太宰治が好きだったからで、そのルートで読んだ日本人は多いんじゃないか。チェーホフと言えば「桜の園」の方が一般的だと思ってたんだけど、上演されるのは「かもめ」の方が多いらしい。

番組は、同じ戯曲を扱う作家でシェイクスピアとチェーホフの違いみたいなところから始まった。シェイクスピアの作品は誰が主人公で、ヒロインで、といった役割やフォーカスされる対象がはっきりしている。チェーホフはそれが入り乱れている。

そして「かもめ」を読んだことがない人用に簡易の芝居が少しずつ始まり、間に解説が入る。解説するのは翻訳をした人。「かもめ」はいろんな登場人物が恋愛をしながらもあまりうまくいかず関係がこじれる、といった具合に。「かもめ」に登場する人物ではドールン医師が一番好きなんだけどまるっきり省略されていた。

チェーホフの理解を深めるため、ということで「いたずら」「中二階のある家」「かわいい」「ワーニカ」といった短編小説が紹介されていたのはおもしろかった。奉公先で虐待されている少年が、唯一の肉親であるおじいさんに助けを求めて手紙を書くものの、住所がわからないまま投函してしまうという「ワーニカ」、ソリで一緒に遊ぶ女の子に告白しつつも、そっぽを向き続けやがて別の道を歩む「いたずら」あたりは特に読んでみたいと思った。

もう一人の解説者として、今まで何度もチェーホフの戯曲を演じてきた柄本明がゲストに登場する。そこでチェーホフの喜劇悲劇問題が語られる。チェーホフの作品はやたらとバッドエンドが多く、チェーホフ在命当時の19世紀から「これって喜劇なのか?」という論争が絶えなかったそうだ。登場人物にとっては明らかに悲劇なんだけど、そこから一定の距離を置いて眺めてみると、どこか滑稽でおかしい。全ての悲劇は喜劇になり得るんじゃないか、みたいなことが語られていた。

このあたりってけっこう難しい問題で、当事者だったらとても笑えないことを、外野から見れば笑ってしまうことはよくある。そういう態度って不謹慎だとか言われて、すごく顰蹙を買う。相手の気持がわからないとか。でもなんだろう、たとえば当事者として苦しんだり悲しんだりしながらも、客観的に見ておかしいっていう視点を持つのはいいことのように思える。そういう喜劇的な視点って、ある意味で当事者にとっての救いにもなるんじゃないだろうか。ものごとを深刻にとらえすぎて抜け出せなくなってしまうよりも、どこか客観的に見たときのおもしろさを見出したほうが、明日を生きる上で前向きになれるかもしれない。