絶望的に意欲がないという話

バケットリスト100というものがある。「死ぬまでにやりたい100のこと」という意味。なぜバケット(バケツ)なのかというと、ロープに首を引っ掛けるときに台にするバケツから来ている。首吊り自殺は準備が終わって、足元のバケツを蹴っ飛ばすことで完了する。

実はこのバケットリストを年初に書く機会があって、紙を渡された。しかし何一つ書けなかった。書くことがなかった。なぜなら自分はもうこの段階は終わっているから。つまりバケツをキックする段階にいる。いつキックするか、あとはそれだけ。じゃあ今の段階に来るまでにリストは書いていたのかというと書いていないが、ToDoにチェック入れるようなことはやってきたと思う。全て完了したわけではないけれど、やりたいことはそんなに残っていない。例えば木星に行きたいとか言ったって、あまり意味がない。そのための努力を惜しまないかといえば当然惜しむ。そんなに行きたいわけじゃない。中には木星に行くために本気で頑張る人だっているだろうけれど、僕はそうじゃない。絶望的に意欲がない。

もっと身近な例にしたって同じことになる。木星より身近、となれば月あたりか。月には行きたくないが、世の中には宇宙開発や宇宙飛行士になるため本気で取り組んでいる人がたくさんいる。僕はそうじゃない。もっと身近に、億万長者でもいい。金持ちになるため、必死で頑張っている人はたくさんいる。お金はあっても困らないけれど、努力してまでいらない。絶望的に意欲がない。もっと身近に、いい暮らしがしたいとか美味しいものが食べたいとかそういうのもない。社会的ステイタスがほしいとか結婚したいとか子供がほしいとか友達がほしいとか、それもない。いつでもバケツを蹴っ飛ばせる。

読みたい本や見たい映画はある。それだって、どうしてもというほどじゃない。手元にあったってなかなか消化できていないぐらい。その程度だ。やりたいことねーなー。バケットリストとまではいかなくとも、やりたいことリストを書いている人を見ると、よくまあそんなぽんぽんとやりたいことが浮かぶなーと思う。中には僕の「木星行きたい」程度のことや「映画みたい」ぐらいのことも含まれているかもしれないが、それだけで何十個も埋まらないだろう。

人のリストを見たところで、自分がやりたいと思うかというと全然。既にやっていることや、知らないこともたくさん書かれている。所詮人のリストだから自分とは関係ない。やりたいことねーなー。

同じようなことは既に何度も書いていた。