旅行の原体験を振り返る

今年の旅行として、本当はベトナムに行こうと思っていた。初めて一人で旅行したのがベトナムのホーチミンで、8年ほど前。右も左もわからなかったし、英語もわからなかった。あれからベトナムはどう変わったのか気になっていた。途上国はあっという間に様変わりするから。

90年代に「バックパッカー」というサブカルチャーが流行った。「電波少年」というテレビで猿岩石(有吉の当時組んでいたコンビ)がヒッチハイクでユーラシア大陸を横断する企画が話題になり、バックパッカースタイルは有名になった。そういえば「バックパッカー」という言葉を知らない人がいた。誰でも知っている言葉だと思っていた。

猿岩石日記〈Part1〉極限のアジア編―ユーラシア大陸横断ヒッチハイク (角川文庫)

猿岩石日記〈Part1〉極限のアジア編―ユーラシア大陸横断ヒッチハイク (角川文庫)

バックパッカーとはでっかいバックパック(リュック)を背負って世界中を放浪の旅みたいな形で旅行する人。旅行のスタイルの一つだ。バスや電車を乗り継ぎ、寝るのはホステルやテント、野宿といった貧乏旅行が多い。昔はそういう旅行に憧れた。前の会社の先輩にバックパッカー上がりの人がいて、いろんな話を聞かせてもらった。

「深夜特急」を読んでNHKのドラマも見た。「なんでも見てやろう」とか「アジアン・ジャパニーズ」とか、他に蔵前仁一の本をたくさん読んだ。ザ・ビーチとかが典型的なバックパッカー映画だったように思う。

ベトナム、ホーチミンシティーのファングラーオ通りは、バックパッカーの三大聖地の一つと言われていたそうだ。残り二つは言わずと知れたバンコクのカオサンロード、コルカタのサダルストリート。尚、高野秀行氏は「そこに南米を加えるなら匹敵する場所がある」ということでブラジル、マウナスのジョアキン・ナブコを挙げている。香港の重慶マンションを入れてもいいかもしれない。

その中で訪れたことがあるのは、ホーチミンとバンコク。バンコクのカオサンロードは2015年に再訪したが、バックパッカーの聖地というよりただの観光地と化していた。重慶マンションは去年訪れたが、普通の観光客の出入りが多く値段も高くて、利用する気になれなかった。そういうのはもう過ぎ去った文化だ。今ホーチミンのファングラーオ通りを訪れたとして、原体験を辿れるかどうか。いずれにせよ、今年の旅行はできなくなった。

当時のバックパック旅行で得られたものは二つあった。一つは「未知なる発見」で、もう一つは「日常からの解放」だった。しかし今となっては、その二つともが得られなくなった。理由は簡単で、電子デバイスが普及したからだ。インターネットとスマートフォン。

ガイドブック無しで情報が集まり、Googleマップが道案内してくれるなど、旅行は手軽になった反面、未知なる体験ではなくなった。行く前からあらかじめ知ることができる。どこへ行くにしても先に訪れた人の写真を見てから行くことになる。同時に、どこにいても連絡がつき、仕事ができ、日常が追いかけてくる。電子デバイス無しでは何もできない。

「未知なる発見」と「日常からの解放」が得られなくなった理由として、電子デバイス以外にもう一つあった。「旅行慣れ」だ。いまさら心躍らない。初期の旅行には、不慣れであることから来る新鮮な気持ちと恐怖心があった。今それらを得ようと思えば、今まで踏み込んだことがない領域へ足を伸ばさないといけないだろう。旅行者の常識が通じないような向こう側へ。新天地を目指す人はみんなそうやって、危険なところへ行って死んでいくのだろうか。