【今週のお題】ブログで「自己紹介」をしよう

今週のお題「自己紹介」

自己紹介のページは長々と書いたのがあるんだけど、現況・近況ということで改めて今週のお題

夢破れて山河あり、原文は「国敗れて」。大阪人が何よりも「笑い」を重視するとしたら、我々京都人が重視するのは「趣(おもむき)」ではないかと思う。江戸っ子で言うところの「粋」とはまた違う「風情」とか「雅」なんだけどなかなか伝わりにくくてただのいけ好かないヤローっていうことになってしまう。もののあはれ、とか。優雅であるということはゴージャスであるという意味合いではなく、むしろ対極にあるとさえ言える。

京都人いけ好かないジョークは置いといて、初対面の人には「あなた何してるの?」と聞くのが一般的だ。「何してるの?(What do you do?)」と聞かれれば当然仕事のことで、無職の自分としては「なにも(Nothing)」と答えるのが毎回めんどくさいやりとりでもある。いっそのこと「Anything(なんでも)」とでも答えればはぐらかせるのかもしれないが、それはそれで後のやり取りがめんどくさくて正直に何もしていないと答えるのが通例だ。

初対面で職業を尋ねるというのは、言語の壁を跨いでも同じ。職業はそれだけ重んじられているのが現代社会のあり方なのだろう。この習慣はむしろ西側諸国におけるプロテスタンティズムの倫理観からもたらされたものかもしれない。calling(使命)ってなんだ。「何も」なんて答えればその後に続くのは当然「何がしたいの?」だろう。話題は仕事観だ。僕は仕事と名の付くものがめっぽう苦手で、できることなら生まれてから死ぬまで関わりたくなかったがなかなかそうもいかない。だからなるべく必要最低限に抑えている。仕事、ビジネスと呼ばれる空気や関係性からはなるべく遠ざかりたい。すると「何が死体の?」の答えは「何もしたくない」となる。

ビジネスが苦手な理由は、ギスギスギラギラするからだ。情緒に欠ける、趣に欠ける。優雅や風情とは真逆の世界観だと言えるだろう。張り合いたくない。闘争なんて野蛮なことは武士に任せて、平安貴族は遊んで暮らしたいものだ。しかしまた、僕自身は遊びも苦手ときている。仕事ほどじゃないが、funなものはあまり受け付けない。joyも近寄りがたい。僕が好きなのはinterestingだろう。ただそういう感情を追っかけたい。平安貴族からは程遠い。興味惹かれるのはweirdなもので、これもなかなかなんて表現していいのかわからない。weird = interestingなんて言い方が合ってるのかさえ微妙だ。

つまり、現代社会にはなかなか馴染めないでいる。さて、どうだろう、現代社会とは?主流の価値観と言えばいいだろうか。家族が大切、恋人がほしい、お金がほしい、ご飯がおいしい、人に好かれたい、夢を持ちたい、夢を叶えたい、幸せになりたい、そういう価値観が遠い。全部反対!というわけではないが、若気の至りで距離を感じる。じゃあ何に興味があるんだろ。あまり興味あることがない。どれもこれもほどほど。おもしろがってはいるけれど詳しく知ろうとか真面目に突き進もうなんてとてもじゃないが思えない。好奇心、冷やかし程度。

自己紹介、「私こうです」なんてあまり言えるもんじゃないな。「こうじゃないです」の方が言いやすい。「こうじゃないです」と引き算を繰り返していったら何も残らなかったのが私です。現況・近況と言ったって、過去と何も変わっていない。一番自分を現すのはやはり「何事にも乗っかれない」という性質になるのだろうか。自分を振り返ってみよう。自分とは何か。そこには虚空がある。つまり何もない。僕は「こだわり」が苦手で、できるだけ何事にもこだわりたくないというこだわりが強い。「これがいい」とは思えないのだ。「なんでもいい」とか「どうでもいい」と思ってしまう。「良さ」そのものは理解できるつもりだが、「良かったらなんなの?」「ただ良いだけ」と思ってしまい、良さにこだわろうと思えない。それはおそらく「良さ」から受ける恩恵があまりに少ないからだろう。それよりも「良さ」を手に入れるための対価にうんざりして「良さに価値無し」と判断して「どうでもよさ」が勝ってしまう。わずらわされないことに最高の価値を置く。

そんなこと言っててもつまらない。近況、お酒を5日抜いているせいで酩酊が足りない。ドーパミンが足りない。依存体質で、常にドーパミン過剰な状態を求めている。セロトニンについては実感が湧かない。セロトニンつまんねーと思ってじっとしてられない。かと言って体があまり強くないからすぐ息切れする。それでも刺激を求めている。なんかこう、わかりやすい刺激なんだろうか、本当はそうじゃないはずなんだけど、足りていなければわかりやすい刺激でもいいと思ってしまう。ほんとはもっとなんかこうほんとはもっとなんかこう、切り刻まれるような、氷に浸かるような、全身光るような、気化するような、ブン回すような、破裂するような、見たことのないもの、想像つかないようなずっと外側にあるものだけに焦がれ続けている。ずっと違う場所にいて、ずっと違うことをしていたい。知っていることは退屈だ。知ることが楽しい。