hagexの死から思うこと

ブロガーhagexが殺された。オフイベントのようなところで刺されたようだ。正直なところブログは全然読んだことがなく、名前を知っている程度でどんな人だったか、今回の事件がどんな経緯だったのかは詳しく知らない。検索すればたくさん出てくると思うので、興味がある方は調べてみてください。

そういう内容は抜きにして、今回の事件を通して改めて思ったのは、オンライン・オフラインにかかわらず発言にはリスクが伴うということだった。ブログだけじゃなく、TwitterやSNSなど何でもそう。これまでストーカー被害に遭ったり、ネットで嫌がらせを受けたことがある人はいると思うが、まさかリアルで殺されるなんて。そういうリスクがあること自体は想像できても、今回のような事件があるまで実感できなかった人は多いと思う。hagexのように声が大きければ、その分リスクも大きくなる。

では、リスクを恐れて発言を控えるべきなのかというと、そうではない。リスクを抱えるということは生きることそのものであり、生と死は常に表裏の関係にある。リスクを覚悟の上でプーチンを糾弾して粛清されたロシアのジャーナリスト、軍部に歯向かい暗殺された戦前日本の政治家、黒人の権利を獲得しようとして暗殺された活動家、彼らとhagexが同列だと言うつもりはないが、生きて発言したり活動することが、誰かに殺されたりするリスクを伴うという点においては同じではないかと思う。またマンガ『ブラックジャックによろしく』の精神科編を思い出した人もいるんじゃないだろうか。読捨新聞科学部の記者、門脇という登場人物の以下のようなモノローグがある。

文章を書くというのは、極論すればそういうことだ…我々はそれを読んで怒った人間に殺されても仕方のない仕事をしているのだ…殺される覚悟がないのなら…舞台になんて上がらなければいい…
『ブラックジャックによろしく』13巻p42-43

今回の事件ような形を本人が望んでいたとは思わないし、彼のことを肯定も否定もしないが、hagexはある意味において生を全うしたのではないだろうか。冥福をお祈りします。