最近買った物。
- トラベラーズノート
- ランニング足袋
本当にこれ、子供のころからずっと疑問に思っていて、いまだに解消されない。挨拶好きな人に対して挨拶すればコミュニケーションが円滑にいくっていう理屈はわかるんだけど、そもそもなんで挨拶好きなの?
僕は挨拶不要論者で、「挨拶するのが常識」みたいな前提は全くよくわからない。挨拶されても全然うれしくなくて、めんどくさい。会話の切り口として挨拶を行い、そこから必要な話をするならわかるが、挨拶だけ交わしてどうすんの?また、挨拶したい人がしたい相手にすればいいのに「誰に対してもするのが当然」っていう風潮はなんだろう。
ただの挨拶っていうのは、形式だとしか思えない。中身がない。形式を重要視する人たちが、形式のためだけに行っているものであり、中身を重視する人にとってはただの無駄なやりとりでしかないと思っている。挨拶ができない人とか、挨拶が下手な人のことも何とも思わない。挨拶されなくて不快に思うようなこともなければ、挨拶されて喜ぶようなこともない。いつまでたってもどうでもいいただの無駄なやりとりとしか思えない。
ただ、そういう無駄なやりとりを重視する人にとって、無駄な挨拶が有効であることは知っているから、仕方なく無駄な挨拶をやっている。挨拶ごときで人を信用したりしないし、好意を持ったりもしない。そういう単純な思考は逆に危険だと思う。人を騙す人や、猟奇殺人者ほどそういうコミュニケーション技術を巧みに操るものだ。挨拶ごときの形式を一喜一憂するのではなく、もっと本質を重視した方がいいんじゃないか。
特に自分から挨拶してこないやつが「挨拶もない」などとのたまい怒っているのはまともな神経じゃないと思う。目上だからとか年上だからとか、まさしく形式が大好きなんだろうなと思ってしまう。世の中を生きる上で、挨拶がないことを不利にしているのはこういう輩なんだろう。僕にとっての挨拶とは、挨拶好きな人を欺く手段でしかない。そういうの本当にめんどくさいし、やりたくない。なんでそんなに形式が好きなんだろう?
特にこれといって新しい話がない。何も知っておらず、何もしていない。
ただ自分の思ったことや考えたことを書き出すだけなら、外とのつながりを断って紙の日記帳にでも書いていればいい。そう思って久々に紙の手帳を使いだしたら、表紙がボロボロと崩れてしまいとても持ち歩く気になれん。そして書こうとしても言葉が浮かばない。何を書き起こせばいいのか。長年書いてきたweb日記のほうが、どうにか言葉になるから続いている。
生きる活力とは別に、生きる上での不安要素はお金、健康、孤独だということを以前に書き留めた。そういった不安要素に自分はどのように向き合ってきたかという話。
今のところそのどれもが危機に瀕しているわけではないから、これといった対策はとらずその場しのぎを続けてきた。これらの不安要素には、向き合えば向き合うほどその反動も大きいという側面がある。お金を得るにも、健康を維持するためにも、孤独を解消するにあたってもそれ相応の苦労、代償が伴う。
不安が強い人はしっかり向き合って反動に苦しんでいるか、もしくは不安を解消できる分だけ反動を受け入れているかもしれない。僕はどちらかと言うと多くを求めず、その分反動を抑えて穏やかにやり過ごしてきた。貪欲に求めないのは、願望が小さいのもあるが反動に耐えられないからというのもある。お金、健康、孤独という不安を解消しようとする試みにはもちろん失敗することもあり、失敗の反動は特に大きい。危ない橋をなるべく渡らないように、勉強したり慎重になったりする。それでも動きには必ずリスクを伴い、動かないことにもリスクが伴う。動かないリスクは緩やかなものだが致命的であり、動くリスクは場合によっては即死に至る。結局は早いか遅いかの違い。
自分は今投資をかじっていて、これは結果を出すまでに時間がかかり、その分リスクは小さい。リスクをもっと減らし、確実性を上げるためには勉強したりリサーチしたり、タイミングを計る必要がある。勝率の悪いギャンブルは自傷行為に等しい。
投与をほどほどにしないと副作用がきつい。人を傷つけたくない。
近いうちに読みたい。
These beautiful portraits celebrate freedom in West Africa | Dazed
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わたしたちが「 」を読むために–「なぜ詩を読めるか」を問う現代詩アンソロジー『認識の積み木』 | UNLEASH
まちゃひこくん。途中まで読んだ
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写真界のノーベル賞、ハッセルブラッド国際写真賞2018の受賞者が発表 | ARTICLES | IMA ONLINE
そんな賞あったんだ
「ネットがない頃ってどうやって勉強してたの?」 女子高生が語る、今どきのテスト勉強法 (1/5) - ねとらぼ
シリーズものらしいです
前回
今週のお題「自己紹介」
自己紹介のページは長々と書いたのがあるんだけど、現況・近況ということで改めて今週のお題。
夢破れて山河あり、原文は「国敗れて」。大阪人が何よりも「笑い」を重視するとしたら、我々京都人が重視するのは「趣(おもむき)」ではないかと思う。江戸っ子で言うところの「粋」とはまた違う「風情」とか「雅」なんだけどなかなか伝わりにくくてただのいけ好かないヤローっていうことになってしまう。もののあはれ、とか。優雅であるということはゴージャスであるという意味合いではなく、むしろ対極にあるとさえ言える。
京都人いけ好かないジョークは置いといて、初対面の人には「あなた何してるの?」と聞くのが一般的だ。「何してるの?(What do you do?)」と聞かれれば当然仕事のことで、無職の自分としては「なにも(Nothing)」と答えるのが毎回めんどくさいやりとりでもある。いっそのこと「Anything(なんでも)」とでも答えればはぐらかせるのかもしれないが、それはそれで後のやり取りがめんどくさくて正直に何もしていないと答えるのが通例だ。
初対面で職業を尋ねるというのは、言語の壁を跨いでも同じ。職業はそれだけ重んじられているのが現代社会のあり方なのだろう。この習慣はむしろ西側諸国におけるプロテスタンティズムの倫理観からもたらされたものかもしれない。calling(使命)ってなんだ。「何も」なんて答えればその後に続くのは当然「何がしたいの?」だろう。話題は仕事観だ。僕は仕事と名の付くものがめっぽう苦手で、できることなら生まれてから死ぬまで関わりたくなかったがなかなかそうもいかない。だからなるべく必要最低限に抑えている。仕事、ビジネスと呼ばれる空気や関係性からはなるべく遠ざかりたい。すると「何が死体の?」の答えは「何もしたくない」となる。
ビジネスが苦手な理由は、ギスギスギラギラするからだ。情緒に欠ける、趣に欠ける。優雅や風情とは真逆の世界観だと言えるだろう。張り合いたくない。闘争なんて野蛮なことは武士に任せて、平安貴族は遊んで暮らしたいものだ。しかしまた、僕自身は遊びも苦手ときている。仕事ほどじゃないが、funなものはあまり受け付けない。joyも近寄りがたい。僕が好きなのはinterestingだろう。ただそういう感情を追っかけたい。平安貴族からは程遠い。興味惹かれるのはweirdなもので、これもなかなかなんて表現していいのかわからない。weird = interestingなんて言い方が合ってるのかさえ微妙だ。
つまり、現代社会にはなかなか馴染めないでいる。さて、どうだろう、現代社会とは?主流の価値観と言えばいいだろうか。家族が大切、恋人がほしい、お金がほしい、ご飯がおいしい、人に好かれたい、夢を持ちたい、夢を叶えたい、幸せになりたい、そういう価値観が遠い。全部反対!というわけではないが、若気の至りで距離を感じる。じゃあ何に興味があるんだろ。あまり興味あることがない。どれもこれもほどほど。おもしろがってはいるけれど詳しく知ろうとか真面目に突き進もうなんてとてもじゃないが思えない。好奇心、冷やかし程度。
自己紹介、「私こうです」なんてあまり言えるもんじゃないな。「こうじゃないです」の方が言いやすい。「こうじゃないです」と引き算を繰り返していったら何も残らなかったのが私です。現況・近況と言ったって、過去と何も変わっていない。一番自分を現すのはやはり「何事にも乗っかれない」という性質になるのだろうか。自分を振り返ってみよう。自分とは何か。そこには虚空がある。つまり何もない。僕は「こだわり」が苦手で、できるだけ何事にもこだわりたくないというこだわりが強い。「これがいい」とは思えないのだ。「なんでもいい」とか「どうでもいい」と思ってしまう。「良さ」そのものは理解できるつもりだが、「良かったらなんなの?」「ただ良いだけ」と思ってしまい、良さにこだわろうと思えない。それはおそらく「良さ」から受ける恩恵があまりに少ないからだろう。それよりも「良さ」を手に入れるための対価にうんざりして「良さに価値無し」と判断して「どうでもよさ」が勝ってしまう。わずらわされないことに最高の価値を置く。
そんなこと言っててもつまらない。近況、お酒を5日抜いているせいで酩酊が足りない。ドーパミンが足りない。依存体質で、常にドーパミン過剰な状態を求めている。セロトニンについては実感が湧かない。セロトニンつまんねーと思ってじっとしてられない。かと言って体があまり強くないからすぐ息切れする。それでも刺激を求めている。なんかこう、わかりやすい刺激なんだろうか、本当はそうじゃないはずなんだけど、足りていなければわかりやすい刺激でもいいと思ってしまう。ほんとはもっとなんかこうほんとはもっとなんかこう、切り刻まれるような、氷に浸かるような、全身光るような、気化するような、ブン回すような、破裂するような、見たことのないもの、想像つかないようなずっと外側にあるものだけに焦がれ続けている。ずっと違う場所にいて、ずっと違うことをしていたい。知っていることは退屈だ。知ることが楽しい。
値段が高いことに定評のあるiPhone。素直にAndroidを使えばいいんだが、僕はパソコンがMacだからスマートフォンもiPhoneのほうが何かと都合がいい。Androidを2年ばかり使ってみて、たびたびそのことを実感していた。「今度買うならまたiPhoneに戻ってみようか」ずっとそう思いながらも、高い金出してわざわざiPhone環境を整える価値はあんのかと考えていた。
この2年は日本に住んでいたが次の2年は移動する予定で、前の2年もいろいろな場所を行ったり来たりしていた。そういう移動生活の中、1台何万もする、下手すれば10数万するiPhoneを持ち歩くのは、盗難や故障を考えると何かとリスキーだ。壊れてもいいスマートフォンを持ち歩きたい。
気がついたら月変わってた。3月のふりかえりでーす。3月の更新回数は19とやや多め。それぞれ短い文面が多かった。3月は暖かくなって、比較的陽気に過ごしてた気がする。人と話したり物買ったりもしていた。そしてあっという間に終わった。
トレイルランニングの練習になぜか参加することになり、ジョギング周りの話題になった。メンバーに一人ランニング強者がおり、いろいろ教えてもらった。トレイルランニングにおすすめの靴はアルトラとホカオネオネというブランドらしいです。
短くまとめると、
「ありきたりな普通の価値観に染まった人が、普通のことをできなくて思い悩みつつ、そんな自分を徐々に受け入れていく。世間もそんな自分たちみたいな人を受け入れてくれたらいいのに」というようなことが長々と書かれていた。要するに啓発が希望なのだろう。
本としてはおもしろかったが、内容としては正直なところ全然乗っかれなかった。僕の感想は悪意に満ちているとさえ言える。だからこの本を好意的に読んだ人は以下の感想を読まないほうがいい。
知り合いから「今2万円でハワイ行けるって本当?片道のこと?」と聞かれた。ハワイは眼中になかったので、いつ行くのか聞いて航空券を調べてみた。
スカイスキャナーによる大阪 関西国際からホノルル国際までの格安航空券(公開時点)
往復です!往復21,600円です!ハワイまでLCCが飛んでいるという話は聞いていたが、まさか2万とは…全然知らなかった。往復2万だったら下手に東南アジア行くよりも安い。プラン次第では国内旅行よりも安く済む。ハワイそんなに興味なかったけど、2万だったら行きてー。どうやらセール期間中だから安いらしい。
スクートというLCCのようだ。エアアジアでも3万切る。ただ物価や宿泊費はさすがに東南アジアのようにはいかないから、そこそこかかるだろう。ホステルに泊まれば1泊3000円ぐらいからあったが、東南アジアとは旅行の仕方も変わってくるだろうし、1泊1万ぐらいからの普通のホテルに泊まるという選択もある。いずれにせよ航空券+宿泊+食費その他諸々でもトータル10万いかないんじゃないか。
ハワイ=ビーチリゾート+買い物のイメージは過去のもので、火山へのトレッキングだったり離島めぐりだったり洞窟だったり天体観測などなどいろいろある。いずれにせよ自然中心になるとは思うが。マウナケアが人気高いみたいだ。マウイ島もいいですね。ハワイ行きたい。
12 Mysterious And Unusual Spots In Hawaii
答えを形作りたい。こうです、これです、でました、という答え。手段ではなく、探していたのは答えだった。過程に興味はなく、その先にある結果を導く手段ならなんだっていい。
プロセスが答えだっていう人もいるのだろう。自分はそうではなかったというだけの話。その先にあるのは全体なのだろう。全てがその先に結びついている。把握したい。思い返せば一度人に話したことがあった。うまく言い表せなかった。全てを内包するもの。その手段もなにもかも。
だから、夢とかやりたいこととか自己実現を語る人に何一つ同調できなかった。ずっと違和感を覚えていた。そうじゃないし、自分はそういうのどうだっていいんだよなあって。全てのプロセスは答えに結びついているが、形を表すには一本では足りない。形に直接結びついていないこともある。知らないことが多すぎて、線がつながっていないところは疑問として残る。真っ直ぐ先に進む人もいれば、全体を見渡す人もいる。一方向に進めば点しか見えないが、一方向にも進んでおらず何も見えない。形作るには、何もかもが足りていない。
宗教や哲学に惹かれるのは、全体が見えているからだろう。その全体も一方向からの視点でしかない。普遍性、何にでも当てはまるもの、広く深く、一般論ではなく、見えてこないもの含む全て。見えている範囲だってうまくまとまらない。誰でも知っていること。自分で形作ることに意味は見出していない。答えがあればそれでいい。答えを探している。なければ自分で形作るしかない。
答えの断片は散りばめられている。貼り絵をイメージする。見たもの、読んだもの、知っていること、考えたこと、感じたこと、出会った人たち…は、それぞれ一枚の紙片である。パズルのように、どこに何を当てはめるかは決まっていない。それらの紙片をかき集めて、一枚の大きな貼り絵を作る。物事の構造と仕組みを解析するのは、紙片を取り出す作業だ。紙片には様々な色と形と匂いと大きさがあり、なるべくその本質を取り出したい。
忘れそう。
春間豪太郎著『リアルRPG譚 行商人に憧れて ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』(KKベストセラーズ)、本日発売です。読んだけどこの本、むちゃくちゃ面白い。わけのわからない展開で、ロバから始まり、猫、鶏、鳩、仔犬と動物がどんどん増えていく。旅好き、冒険好き、動物好きは必読。 pic.twitter.com/es7ynMJZBB
— 高野秀行 (@daruma1021) 2018年3月20日
自分にはやはり、恋愛感情というものが備わっていなかったらしい。幼い頃から「恋愛とかよくわからん」と言い続けてきたが、欠落しているからわかるわけがなかったんだ。図で書いてこういうものだと説明を受ければ理解することはできる。でもその形を内側に落とし込むことはできない。セックスの説明を聞いても、体験するまで実感が無いのと同じ。
だとすれば、過去に自分が経験してきたことも恋愛と呼べたのかどうか、あやしくなってきた。
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