生活日誌

日常生活に制約があって、なんでもかんでも自由に書けないのが現実だ。不満というか、生活がだるいのは今に始まったことではなく、日記を書こうとすると毎日同じことしか書けないのが実際で、そろそろ爪切らんといかんなーと思う。今隣人のドアを閉める音がうるさすぎて、伝えても直らないから脳になんか異常があるんだなーと思ってあきらめている。こういうのは頭の良し悪しでもなく、彼を見ていると不憫でもあるから、軽く彼のことでも書こうか。

こういう人は今までにも何度か見てきた。声がでかく、「声でけーよ」と言ってもやはり直らない。直す必要があると思っているとか思っていないとかではなく、こいつの頭の中では「うるせえ」という言葉そのものが意味としてうまく接続していないと見える。言語のコマンドそのものが機能していない。なかなか生きるの大変だろうなー。それも自覚あるのかどうかわからない。もしかしたら本人は幸せかもしれない。

本人曰く、自分はストーカー気質だと言っていた。人からまともに相手されなくてそうなっているのかもしれない。一芸に秀でた人で、学力も高くいろいろな場で重宝される人のようだが、共同体では避けられがちだ。周りが彼をうまくフォローできなかったり扱えなかったりするからだろう。一言で言えばめんどくさい。話が長く一方的で、周りの反応を伺うという発想がない。生活において彼はノイズになりがちなので、周りの人はなるべく関わりたくないと思う。そのくせ本人は寂しいとか人恋しいとか言ってるからなかなか悲惨だ。

寂しいとか人恋しいってなんやねん。モテたいとかも言ってる。いわゆるチヤホヤされたい人なのだろう。そういう気持ちは全然理解できなくて、さらにはそういう感情と行動が矛盾していることも理解できない。筋道を立てて物事を考えられないのだろうか。不思議な事しかない。よく言う愛情の欠乏みたいなやつだろうか。事例としては確かにそういう人が多かったように思える。そうなってくると尚更負の連鎖だなあ。だって行動は明らかに他者の愛情を遠ざける方向に働いているから。

#思い出の家族旅行

日記を書こうにもテーマが全く思いつかず、久々にお題を利用してみようと思った。思い出の家族旅行。僕は自分の家族を持っていないから、幼少期の話になる。うちの母親は旅行が好きで、子供の頃はよく旅行に連れて行ってもらった。もっとも今となってはどこに行ったか全然覚えていない。

自分の記憶に残っているのは、小学校に入る前に行ったディズニーランド。このときに人生で初めて飛行機に乗った。その後こんなに何度も乗ることになるとは思っていなかった。当時からスターウォーズが好きで、スターツアーズに魅せられたのを覚えている。何年後かに同じ場所へ行ってみるとかなり陳腐な仕掛けだったが、幼少期の僕にはリアルなSF体験に感じられた。他に、スペースマウンテンがジェットコースターだと知らずに乗って、落ちそうになって泣いたことも覚えている。数年後は平気だった。マイケル・ジャクソンの3Dメガネをかける映画も怖かったが、数年後はやはり陳腐に見えた。ということは、僕は少なくともディズニーランドに2回行ってるのか。自分の記憶では幼少期に1回、大学生になってからシーに1回だと思っていたが、どうやら間にもう1回行っていたみたいだ。スプラッシュ・マウンテンの最前列に乗った記憶もある。ビッグサンダー・マウンテンにも何度か乗った。それらは2回目の記憶だ。1回目、すなわち小学校に入る前に行ったとき、スプラッシュ・マウンテンは建設中で、ビッグサンダー・マウンテンはいかにも怖そうで乗らなかった。

その他、家族旅行で覚えているのは断片的には海に行ったり、湖に行ったり、遊園地などいくつもあったが、沖縄に行ったのは長期で今までと全然違う場所だったこともあり、よく覚えている。初めて沖縄へ行ったのは小2ぐらいの頃だった。その後、やはり大学生の頃か高校生の頃にもう一度訪れている。初めて行ったとき、25年ぐらい前になるが、当時の沖縄はそこまでメジャーじゃなかった。沖縄と言ってもあまりピンとこない人が多かった。もっとも小2の同級生にはわからないだろうが。沖縄では本島と石垣島と竹富島を訪れた。離島はまさしくトロピカルアイランドで、植物、海の魚、森の動物など日本っぽくなかった。水牛の牛車に乗ったり、潜水艦に乗ったり、水辺で泳いでいると熱帯魚が群がってきたり、そういう体験をした。家の前に壁があり、屋根にシーサーがある風景は日本のそれとは思えなかった。当時から沖縄はリゾート地だったが、その後観光客が増え、開発が進み、僕らが行った頃の風景はもはや壊れているそうな。2回目に沖縄を訪れたときは秋だったか冬だったかで、海には行かなかった。本島の首里城やら、国際通りやらをぐるぐると回っていた。

#思い出の家族旅行

ちょっと贅沢な家族旅行はヒルトンで!
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2018年7月のふりかえり

ふりかえりも何も、気づいたら8月だった。夏を感じないまま夏が終わろうとしている。おととしの夏は関東で、去年の夏は地元にいたっけ。何をしていたか全然覚えていない。バイトしてたか。去年の7月を振り返ってみたら、香港旅行の日記を書いていた。

今は相変わらず東北にいる。7月は気持ちの余裕がなくて何もしなかった。更新もわずか7回。本は一冊も読んでおらず、見終わった映画もドラマも皆無。環境の変化に振り回されているなあ。生活している分には平気なようでも、そういうところに出ている。もっと気持ちの余裕があったなら、今までどおり本を読んだり映画を見ていたはず。環境の変化に煩わされて生活を営めてない。本を読んだり映画を見たりしていないと、自分の枠がどんどん狭まっていっているような気になる。

そして読みたい本ばかりどんどん増えていく。先日紹介されていたのが、まさに極限状態で生きる術みたいなやつ。

リアル探検家である角幡唯介が、他の探検家の事例もまじえつつ脱システムとしての冒険論を繰り広げている。いつ読めばいいのか一体。電子積読となる。

Netflixでも見たい番組が増えている。

邦題は「世界の"現実"旅行」だが原題はDARK TOURISTで、まさに自分が見たいようなやつ。コロンビアでナルコスツアーに参加したり、メキシコからアメリカへの密入国体験ツアーに参加したり、福島原発観光ツアーに参加したりとダークツーリズムを満喫している。

それとは全然関係なくインディージョーンズなんかを見たりしていた。インディージョーンズはレイダースがベストだと思います。

https://www.netflix.com/jp/title/60011649

寝過ぎだ。最近寝すぎ。12時以降起きれない。朝が早いからだろうか。疲れているからだろう。なんでこんなに疲れているのか。歳をとったからか。慣れないことをやっているからか。とにかくいつも眠くてしょうがない。今までもっと過酷な状況にいたため、今の環境はかなり恵まれている。しかし同時に窮屈であり、少しでも時間が空くとすぐ眠くなる。

現実感がない。現実感がないまま日々が過ぎていく。今は与えられたものを消費しているだけであり、自分のものではない生活をおくるのはいつ以来だろうか。去年の今頃の日記をめくっていると、マーク・ザッカーバーグのハーバードスピーチが出てきた。

ここでザッカーバーグは、壮大なプロジェクトの一部となることが自身の目的意識を高め、幸福感につながるというようなことを言っていた。だからハーバード卒業生は人を巻き込む壮大なプロジェクトを自ら立ち上げよと。自分で目的意識を持つだけでは不十分だと。人を巻き込むとか人と共有するとか、壮大のプロジェクトの一部に貢献することを実感するとか、そういう経験は自分には皆無だった。

それは僕自身が乗れない体質であり、賛同であったり、誰かと何かを一緒にやることに何の喜びも感じられないからだろう。常に違和感、義務感、そういうのばかり。だからこの目的意識と幸福感の話も、あまりよくわからない。おそらく本当に自分が所属意識であったり、貢献に寄与したいと思う対象があれば、実感することはできるのだと思う。現実は、自分が始めたいと思うこともなく、所属したいと思うプロジェクトもない。なんか違うんだよなっていう思いだけが常にあり、結局は一人で何もしないまま時間だけが過ぎていく。

最近読んだネット記事

こんばんは。漫然と日常を過ごしていたらジジイになってました。おはようございます。浦島太郎です。

トラベラーズノートの経過などを。

やっとリフィル一冊使い切ろうとしている。5月に買ったから2ヶ月とちょっと。このペースで使っていけば、6冊で1年というところか。ただ書く量はときどきでばらつくだろうから、この先どうなるかわからない。ストックを用意すると邪魔になるから、なるべく用意しないでおこうと思っていたけれど、切らしてしまったら元も子もない。

リフィルについては、1冊ずつ綴るのがベストに思えてきた。2冊以上になるとカバーからはみ出る。ボールペンを間に挟んでいたら尚更。ボールペンのインクはどれぐらい持つだろうか。替芯を5本用意しているから問題ないだろうとは思うけど、リフィルと同じく切らしてしまえば手帳を携帯している意味がなくなる。

「その日の気分ですることを決める」 有名ブロガーphaの生き方:DANRO(ダンロ):ひとりを楽しむメディア

取材ということで暗黒面にはあまり触れられていないいつものpha節。何の媒体だろうと思ったら「「ひとりを楽しむ」をコンセプトにしたウェブメディアです。」と書かれていた。一体どんな人が見るのか。こういう連載とかの購読者層ってやっぱりニワカとかナリキリとか入門者になるんだろうか。各人は別として、コンセプトがあまりにも浅く全然響かない。

DANRO(ダンロ):ひとりを楽しむメディア

これは、二十歳のわたしが大人になるための物語-村上春樹『三つの短い話』 | UNLEASH

文學界7月号に掲載された村上春樹の短編と行きずりセックス体験を照らし合わせた記事。若くて在り来たりで、踏み荒らされていない日記のような文章だった。うーん、小説読みたい。そう思わせるだけでこの文章は十分な役割を果たしている。

どうでもいいけどダブルクオーテーションを全角で””こう打ってるのが気になってしょうがない。“”こうやらないと気持ち悪い。収まりが悪い。半角だといずれも""だから気にならない。

スタンダードブックストア心斎橋:【EVENT】8/5(日)12:00『未知の国の歩き方』山西崇文(写真家)×加藤直徳(ATLANTIS編集長) - livedoor Blog(ブログ)

NEUTRAL、TRANSITの編集長をされていた加藤直徳さんが新しくATLANTISという雑誌を創刊するということでイベント告知をされています。ATLANTISについては最近までATLANTIS zineという形で活動されており、ついに雑誌化するようだ。ウェブページを見てみたら、TRANSITよりはNEUTRALっぽい。いずれにしても欲しい。

ATLANTIS|アトランティス

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対談=奥野克巳×高野秀行 「辺境」の知の運動はいま 『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

いつもの高野本、というわけではなく、ファンの間では読書家としても知られている高野さんのブックレビュー兼著者対談記事です。「ありがとう、ごめんなさい、そういう基本的な言葉が大切」みたいなことを言われると虫唾が走る僕にとってはタイトルからして良い。

世界各地の民族で、もともとの言語にありがとうやごめんなさいをもっている方が少数です。

「状況主義」のプナンの人たちに未来はなく、毎日が、今日を生きる、その繰り返しだと。今しかないから、発展も向上も求めない。向上する必要がないから、反省もしない。

ボルネオ島の西プナンという場所に住む民族のことが書かれた本らしい。プナンの人の生き方がめっちゃいい。

国家はあるけれど、そこから距離をおき、意識的に入ろうとしない。それは彼らのエートスと言えるのではないでしょうか。

もうかっけーとしか言いようがない。現代の価値観に絶対的に縛られている人は発狂するだろうな。

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アップル初代「iMac G3」風のiPhone用耐衝撃ケースが「シュピゲン」から発売 - ファッションプレス

初期iMac持ってなかったけどほしい。

ときどきふとスイッチが切れそうになる

平然と日常を過ごしている。朝起き、業務をこなし、食事をとって、人と会話をし、また就寝する。こういう当たり前の生活が、実は自分にとって非日常で、常にスイッチオンの状態を維持している。だから気が休まらない。気が狂っているように感じる。寒気がするし、嘔吐しそうだ。旅行中もそのように感じることがある。荷物を持って移動し、ドミトリーに泊まり、慣れない言葉をつかい、そんなときにもう疲れた、何もかもどうでもよくなってしまうと、部屋から一歩も出なくなったり、ベッドから起き上がれなくなる。スイッチがオフの状態になる。旅行中にそれがくるともったいないし、破滅しかねないから冷静に対処するようにしている。1日しっかりオフにして、なるべく早くオンにするようにしたり。

今もときどきふとスイッチが切れそうになる。何もかも放り出したくなる。全てが恐ろしく感じる。何事にも干渉されたくない。誰とも関わりたくない。暗い場所に閉じこもって目を覚ましたくない。自分はここで何やってるんだろう。休日がもっと欲しい。週休4日は欲しい。休みの日に何をするかというと、自主的に電源を切る。週2日ぐらいは外界を遮断して暮らしたい。残り2日を本読んだり映画を見たり外に出たりして自由に使いたい。実際にそういうことはできないから、なるべく意識しないようにしている。認識してしまうと嫌気に飲み込まれそうで、気づかないふりをしてだましだまし過ごしている。

平気なようで、平気でない。現状を管理できるかというと、できるような気もするし、気を抜けば流れ去ってしまいそうにも思う。多分まじめに受け止め過ぎなのだろう。取り組むのも、気を抜くのも、もっと気軽に行き来できたらいい。ただやはり絶対的に余暇の時間が足りない。僅かな時間で気を休める手段を確立したい。最近は睡眠時間が伸びてしまい、そこで解消できているのか、とにかく時間を使っている。もっと短時間で効果的に。今までどうやってたんだろうと思ったら、酒を飲んでいた。酒を断っているせいか!

冒険物語が好きだ

今に始まったことではないが、マンガ『スプリガン』を読み返していて「そうだよこれだよ俺が好きなやつは…」と改めて実感した。中でも御神苗優の父親である御神苗隆が冒険家として登場し、アメリカインディアンに混ざって儀式を守ったりしているのは理想的な姿だ。スプリガンを初めて読んだのは、確か映画化された頃だった。映画版は微妙だったが、パレンケの仮面、ノアの箱舟、水晶のドクロ、賢者の石、アンブロディアの種などオーパーツであったり考古学の話がたくさん出てくる本作は冒険心を燃えたぎらせる。

内容は世界中に散らばる超古代文明の遺跡やオーパーツを発掘し管理するアーカムという会社の物語。そこでスプリガンとして働く高校生の御神苗優が主人公。少年サンデーで連載していたから、オリハルコンを練り込んだ人工筋肉のアーマードマッスルスーツや獣人化するライカンスロープといった少年マンガ要素を交えつつ、軍事や歴史の話が繰り広げられ、少年がちょっと背伸びできる構成になっている。

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冒険物語と言えば、みんな大好き『マスターキートン』が外せない。大人向けのスプリガンと言えるんじゃないだろうか。主人公、平賀キートン太一は考古学者として身を立てるべく大学の非常勤講師をやりながら、副業のロイズ保険組合調査員として世界各地を飛び回る。考古学の話ばかりではなく、探偵のような話や現代史の内容もたくさん出てくる。まさに歴史ヲタのためのマンガと言えるんじゃないだろうか。こんなふうに世界を飛び回りたいと誰もが思ったことだろう。

他に冒険物語として思いつくのが、リアル辺境作家の高野秀行、共通しているのは未知や神秘を追い求めているところだろう。こちらはノンフィクション。

映画はインディージョーンズなどが典型的だが、ちょっとファンタジー要素が強すぎるようにも思うし、いつもオチがあまり好きじゃない。他に未知や神秘を探求する冒険物語があったら教えてください。僕が旅行に惹かれたり、RPGを楽しく感じるのは同じ理由からだと思う。

足の爪伸びた

昨日作業療法士の人に理学療法士と何が違うのか聞いたら、見る部分が違うと言われた。大まかに見るか、細かく見るか、でも大体同じだそうだ。そして右肩が巻き込んでいるとか、左肩が下がっているとか、骨盤の歪みや筋肉のアンバランスを一瞬で見抜かれた。左脚に比べ右脚が細いとか。僕の利き足は左で、利き手も左だったが幼い頃に右に矯正した。効き目も左。O脚の原因は脚の内側の筋肉が弱っているからで、内ももを鍛えれば治るとか。あと、ランニング足袋を履いたときに右のつま先だけ地面にぶつける問題は、足の指を持ち上げる筋肉が十分に働いていないからだとか。実にプロフェッショナルな視点でいろいろ指摘をいただき、感服した。彼女はなぜこれを勉強しようと、この道に進もうと思ったのだろう。リハビリが主な仕事だと言っていてたが、トレーナーなどいろんな方向に応用できる。そして筋肉と肉体の動きが美しかった。肉体について描写したり、体を使うにあたって筋肉や骨格の知識があると役に立つことを実感した。それはそうと指導を受けてストレッチをしている最中ずっと足の爪が長いことが気になっていたから足の爪を切ろう。

トラベラーズノートのページがなくなりそうだと思ったら、リフィルを持ってきていないことに気づいた。買うのか、わざわざ、Amazonとかで?でもそうしないと使いもんにならない。店で買うとしたらダイソーか、無印、もしくはセブンイレブンだけど、いずれも近くにはない。やっぱ純正を買うか。

おとつい土曜日、久しぶりにビールを飲んだ。ここ数年、日本に帰ってきてからの飲酒はけっこうな確率で記憶をなくす。土曜日も同じだった。全然覚えていない。自分はいつものように写真ばかり撮っていて、帰ってから現像していたら見覚えのない写真ばかりだった。後日飲む場にいた人と話したら、どうやらいろいろ喋っていたみたいだったが全く覚えてない。自分の知らないところで、知らない人と会話をしている自分を認識するのにも、もう慣れてきた。

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ベトナム戦争の記録、ラジオ、タイムマネジメント

日記です。特に書くことないんだけど、今東北にいます。水害は、地元で川の増水画像が延々アップロードされていた程度で被害という被害はなかったみたい。あった場所はお気の毒にとしか言えない。大阪の地震被害も含め、早く元に戻ればいいなーと思います。今は規則正しい生活を送り、酒も週に一回しか飲んでいません。ネットもあまり見ておらず、外界で起こっている出来事を追えていない。かと言って私生活が進んでいるのかというとそんなこともなく、ただ漫然と日々を過ごしている。エンタメさえ消費しておらず、映画は見ていないし本も読んでいない。強いて言えばベトナム戦争のドキュメンタリーをやや見ているぐらいか。だからまあ、やっぱり書くことないなあに尽きる。

  • 「ベトナム戦争の記録」を見ている
  • ラジオの時間がほしい
  • もっと寝たい
  • タイムマネジメント?
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Netflixに追加された作品で見たいやつ

気のせいか、最近やたらと番組が追加されている気がする。特に近年見逃した映画がNetflixで見れるようになるのはありがたい。まだ見てないやつから見たやつまで紹介していこう。

  • サウルの息子
  • 夜明け告げるルーのうた
  • ダンケルク
  • 聲の形
  • バキ 死刑囚編
  • クィア・アイ シーズン2
  • クリス・ホンドロス: それでも最前線に立つ
  • ベトナム戦争の記録
  • シティ・オブ・ゴッド: 10年後
  • クッキング・ハイ
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2018年6月のふりかえり

月間まとめです。ほったらかしていたら3日になってしまった。6月の更新は11回という、4月、5月に引き続き減少傾向にあり、しかも写真回1回を含む。6月は何してたんだろーっていうと、4月同様2週間ほど忙しかった。忙しいと更新しなくなるなんて典型的ですね。東京にいたんで、旧友とたくさん会っていた。オーストラリアで知り合った人、京都で知り合った人、小中の同級生、大学のゼミ生などなど。あとは買い物をたくさんしていた。

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女性の顔に何を見るか

「男性の方が女性を外見で判断することが多く、女性は相手の中身で判断する」とよく言われる。実際どうなのか知らないが、男女にかかわらず誰しも好意を寄せる顔面のボーダーラインというのが存在するだろう。他人のデータはないんで、今回も僕自身の事を話す。僕は女性の外見で何を判断するか。

僕の場合、相手の歪んだ顔にそそられるかどうかだった。歪んだ顔とは、笑顔だったり苦悶の表情だったり、つまりは表情だ。歪んだ顔を見たいと思う対象にそそられる。これはもう端的に言ってしまうとセックスのときの顔になる。顔を見る。電気とか消してはいけない。

たとえ美人であっても、表情を見たいと思わないタイプであればそそられない。巷の男性であればAVなど見慣れていると思うが、美人でもそそられない例を数多く見てきたんじゃないだろうか。逆もまた然り。決して美人に類する顔ではないにしても、表情にそそられる例を見てきたと思う。

単に表情が豊かだとかそういう話ではない。僕の場合はわざとらしさを見かけると一気に冷めてしまう。僕自身も演技ができない人間だ。だから、表情が如何に自然に変化するかどうかを見がち。あとは一見するだけではわからない情感の深みとかだろうか。そういうのを総合的に読み取ろうとする。

こういう話はもちろん、付き合うとか結婚するとかとは全然別になる。顔が好きだと言われたらセックスパートナーとしか見られていないと思っていい。でも顔が好きじゃないと言われたって、そういう対象に見られないとは限らない。失礼な話だが、顔を見なければいいだけ。これは男女かかわらず同じではないだろうか。顔が好きだからってずっと顔ばかり見ているわけじゃない。ちら見する程度。僕自身はあまりに無表情で怖いと言われたことがあった。

そういわけで、顔で人を判断するときには、一体何を判断するのかという割と最悪な話でした。僕の場合は表情の変化を見たいかどうか。トランプが選挙戦を争っていたとき「ヒラリーでは抜けない」という名言が飛び出した。

「そういうトコだぞ〜」はヤメロ

このフレーズ、木村祐一がよく使ってた気がする。ライムスター宇多丸もよく使っており、ネット上でも散見する。ネタ的に使われているこの「そういうトコだぞ〜」がすごく嫌いです。聞いただけで腹が立つ。使うのは自由ですが、可能であれば使わないでほしい。今日は「そういうトコだぞ〜」のムカつきポイントを解説します。

  • 「そういうトコ」って「どういうトコ?」
  • 自分で考えさせて気づかせる?性格悪い!
  • 被害者ヅラが気に食わねえ
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hagexの死から思うこと

ブロガーhagexが殺された。オフイベントのようなところで刺されたようだ。正直なところブログは全然読んだことがなく、名前を知っている程度でどんな人だったか、今回の事件がどんな経緯だったのかは詳しく知らない。検索すればたくさん出てくると思うので、興味がある方は調べてみてください。

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