iPhoneでみんな書いてるのか

iPhoneで入力するとなると手打ちよりも音声入力が楽かなぁと思って音声入力で書いてみるテスト。しかし音声入力で書くとなると場所を選ぶ。電車内などは当然無理だろうし、屋外はやっぱり厳しいかなという認識がある。デバイスはiPhoneを用いているけれど直接入力するよりもGoogleドキュメントの方が精度が高いと言われているから、はてなブログに直接書くよりは一度Googleドキュメントに落としたほうがいいのかなとも思っている。ただしGoogleドキュメントはオンラインのサービスだからその都度ウェブに接続しないといけない。ウェブ環境がイマイチのためGoogleドキュメントがどれほど使えるのかわからない。

Google時メント

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ここからGoogleドキュメント。どうやらオフラインでも使用できるようだ。iPhoneアプリのGoogleドキュメントを使っている。Googleドキュメントと言っても、時メントと書かれてしまう。はてなブログに直接音声入力するのと 誤字において特に差はなかった。音声入力をうまく活用するtipsがあるのだろうか。そもそも音声で文字入力する位なら初めから音声をアップロードすればいいじゃないかというのが自分の主張だった。音声を聴くというのもメリットがありデメリットがある。イヤホンがなければ外では聞けないし時間が縛られるということもある。

入力する側としては手軽なのかそうでもないのか、今のところまだ慣れないからよくわからない。自分はどちらかと言うとあらかじめ書くことを考えてと言うよりは、書きながら考えることの方が多いからキーボードを叩きながらあれこれ考えていたことを音声入力にシフトするとなるとだいぶ勝手が変わってしまう。

音声入力は実際どの程度利用されているのだろう。文章を見ただけで入力との違いを感じるのだろうか。とにかく自宅でないとこの作業はできないなぁというのが実感として強い。しかし僕がカナダに滞在してた頃は、イヤホンマイクに向かって話しかける人と言うのは珍しくなかった。現在では日本でもありふれた光景のように思える。特に入力となると画面を見ながらの作業になるため、イヤホンマイクで通話するほど見た目としても違和感ないかもしれない。もしくはそんなことを気にしなければいいだけで。しかし今使っているのはイヤホンマイクでもなく、iPhoneに直接話しかけているイヤホンの方が音は正確に拾うのだろうか。句読点などは皆どうしているのだろう。。とかいちいち言うと入力してくれるが、違和感ある。例えば・などはなんて言えばいいのだろう。点と言えば、が入力されるしその辺は手入力で修正するしかないのだろうな。

果たしてこれからも音声入力を使うのか?

今は首都にいるのだけれど、この辺りはやたらと蚊が多くトイレにいてもリビングにても蚊に刺される。そんなこんなで特に中身のない日記となってしまった。今日Kindleの音声読み上げを利用してみたが、カーナビのような音声で聞く気になれなかった。カーナビといっても現代では通じないのだろうか。Googleマップと言った方が通じるのか。さて、アプリのはてなブログで音声入力しているわけだが、普段手入力ではMarkdownを用いている。iPhoneアプリではMarkdown になるのだろうか。デフォルトの設定はMarkdownにしていたはずだけど。今Macで開いてみたら、見たままモードであった。音声入力が快適だと思えるまでにはまだまだ壁が厚そうだ。Mac上では確かにGoogleドキュメントなのかもしれい。iPhoneのようにキーボード画面にマイクボタンがあるわけでもなく、いつどのタイミングで音声入力が動作するのかわからない。音声入力は、メモ書きや下書きにいいのかもしれない。

年の瀬サクサク日記

去年の今頃は何をやっていただろうか。年末になって日記を書くとき毎回思うのは、去年の今頃のことだ。おととしは、その前の年は、毎年その時期をどう過ごしているのか。去年は映画ばかり見ていたから、映画にまつわる日記をたくさん書いていた。今年は去年ほど見ていない。

正月ではあるが、関係性について振り返ったりしていた。

  • 勝間和代が趣味路線に走っている
  • Spotifyプレミアムを契約した
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今年見た映画(2018)

本に引き続き、映画も今年は前半しか見れなかった。後半は気持ちの余裕がなくて。今年からFilmarksで記録してたおかげで、ふりかえりは楽になっている。今年見た映画は41作品。去年の48作品からそこまで減ってはいないが、本と同様感想を書くことは減った。気持ちの余裕がなくて。重く真面目な映画を見る気力がなく、軽いエンタメ映画ばかり見ていた。Netflixで映画を見るようになったが、今年の前半には映画館にもよく足を運んでいた。途中から日本を出たため行かなくなった。

  • 特に印象的だった映画
    • エンドレス・ポエトリー
  • 今年見た映画
    • 洋画
    • ドキュメンタリー
    • アニメ
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「行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険」感想・書評

まとめサイトから出版された本。旅行の気分を盛り上げるために買った旅モノで、一人の男性が冒険旅行に目覚める経緯と、その冒険譚を書き記したもの。少し前に話題になった。冒険とは言うが、体験に近い。何か具体的な目的があるわけでなく、この本でメインとなるのはモロッコを1000km移動することそのものを目的としている。何かものすごい場所に行くわけではなく、ものすごい物事を発見するわけでもなく、ただロバにリアカーを引かせて長距離歩くことがやりたかったらしい。こういうのを冒険と言うのか。自分の旅行者カテゴリでも冒険者に該当する。

  • そのやる気はどっから湧いてくるのだろう?
  • 生活の一部なのか
  • 「ペット好き」+「旅好き」には天国
  • web版は無料で読める
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今年読んだ本(2018)

端的に言って、本を読まない年だった。たった21冊。去年が45冊、一昨年が35冊であることを考えると極端に減っている。月一冊以上の計算にはなるが、序盤に集中しており後半はほとんど読んでいない。感想は6冊のみ。なぜこんなに本が読めなくなったのかというと、忙しくなって余裕がなくなったから。時間の余裕というよりは気持ちの余裕が。4月頃から著しくペースダウンした。そんな数少ない読んだ本の中から、一応今年も読んだ本をまとめよう。

  • 特に印象的だった本
    • ディアスポラ
  • 今年読んだ本
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Netflixで何見ていいかわからない人へ【2018冬】

急に思い立ってNetflixばかり立て続けに見ていた。最近の作品から少し前のものまで、気軽に見れるようなものを。今外国にいるため、日本にいたときよりも見られる番組が限られている。

  • 映画
    • アメイジング・スパイダーマン
    • メン・イン・ブラック3
    • バスターのバラード
    • キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
  • ドラマ
    • ラブ シーズン1
    • 私立探偵ダークジェントリー シーズン1
    • マスター・オブ・ゼロ シーズン1
  • アニメ
    • 僕だけがいない街
    • シドニアの騎士 シーズン1
  • 見たいもの
  • 過去に見たもの
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2018年11月のふりかえり

もう12月も一週間が過ぎた。忘れていた11月のまとめ。このまとめを続ける意味あんのかと思いつつ。11月の更新は9回、うち1回が写真回ということで先月とほぼ同じ更新回数だ。ブログの更新回数が低迷しだしたのは4月ぐらいからで、4月の更新は9回。その前の3月が19回だったから半減している。原因は研修が始まり忙しくなったことから。そこから今月に至るまでずっと低迷中。月間のふりかえりはもともと見た映画とか読んだ本を振り返る機会だったにもかかわらず、本や映画の感想自体を書かなくなった。だって本読めてないし映画見れてないから。

  • 読書
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  • ドラマ
  • その他
  • 過去のふりかえり
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これからのこととか

自分と相手とのことを定期的にここに書いているのは、ひとえに彼女がここを見てくれているからに過ぎない。他の方法で言葉を送ることだってできる。向こうは手紙を書いてくれており、僕が手書きで送り返してもいい。そのうちやるだろう。ただそれよりも、自分がより自分らしい手段で意思表示をする場として、ここを用いている。外に向けて発表したいからとかではない。たまたまこれを読んだ人からすれば、全く関係ない話が繰り広げられている。ただの個人的な事情。

けっこう真面目に、着々と話が進んでいる。帰国の暁には結婚となるように、子供を授かれるように準備を進めている。もともと自分が選ばれた基準として「結婚相手に向いているんじゃないか」という思いがあったそうだ。だから「初めに結婚ありき」で僕らの関係は始まった。付き合う前からそういう話をしていた。相手の人は、結婚というものを半ばあきらめていたところもあった。生涯独身で暮らす覚悟もあったようだ。しかし僕を知って「最適解かも」と思ってくれたらしい。

僕はというと、結婚というものが自分の人生に起こる出来事、生活形態としてリアリティを感じない。したいとかしたくないとか以前に、まともに考えたことがない。特に、結婚によって何かを背負うなんていうことは論外だった。自分に何かを求められるのは重荷でしかなかった。人間は生まれてから死ぬまで独りだと思っており、いつ死ぬかはタイミング次第だと思っている。

そんな自分のどこが結婚相手として最適なのか。一般的なことを言うと、まず僕は経済力がなく、定職もなく、年齢はそこそこ行っており、何か特別に秀でた部分があるわけではない。甲斐性がなく、結婚対象としてとても候補に挙がるようなスペックではない。そのような僕が彼女にとって「結婚相手に向いている」と思われた部分は以下のようなところだった。

  • 相手を大事にする
  • ストレスがない
  • 無欲

細かいことはもっとあるかもしれないが、大まかな部分でいうとこれぐらい。これらの要素が全て欠かせない、特筆すべき要素だったようだ。

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アフリカ黒人に何も思わなくなってきた

彼らのことを理解したわけではないし、知らないこともまだまだいくらでもある。ただ、「アフリカ黒人だいたいこんな感じ」というのは掴んできた気がする。つい2、3ヶ月前まではけっこう未知の存在だったけど、今となってはもう慣れてしまったところがある。アフリカ黒人の挙動に対して、もはや発見も驚きも違和感も覚えない。なんとも思わなくなった。日本で身近に住んでいたとしても「だいたいこういうやつ」って思って見てしまうだろう。

アフリカ黒人とは言えど、自分のいる国、地域の印象が強いため一概には言えないが、彼らは声がデカイ。デカイかと思えば、びっくりするぐらい小さな声で話すこともある。なぜかというと、メンタルに作用されるのだ。その精神状態で声のデカさが如実に変わる。怒鳴っているように聞こえても、ただ声がデカイだけのことも多い。彼らはやはり感情的であるように思える。日本人と比べてという話だが、陽気で人懐っこく、歌と踊りが好き。飯のことをやたらと聞いてくる。やたらと食う。

これらの要素はけっこうな人が備えている。勉強ができるエリートも、金持ちも、だいたいそういう要素を持ち合わせている。車を運転させたらぶっ飛ばすし、好きな曲が流ればすぐに踊りだす。日本なんかに来たら住みにくいだろうなーと思う。アメリカは差別さえなければ住みやすいんじゃないか。ヨーロッパはどうだろ、わからん。あと彼らの筋肉はすごい。特に筋トレも何もしていないのに、年寄りのおじいちゃんだってムキムキの体している。

彼らからは、計画性とか時間管理の概念を感じられない。その場で起こることを大切にしているように思う。話が長引いて、次の予定があったとしても決して話を切り上げたりしない。その場の流れや勢いを最も重視しているように思う。待ち合わせとかスケジューリングとか、彼らにはあまり意味がない。その時その時に眼の前にある物事を最重要視して行っているように思える。だから計画はコロコロ変わるし、予定は予定通りにいかない。予定通りに進めようという意思さえ見られない。

アフリカ社会はそういう人たちのつながりで成り立っているのだろうか。よくわからない。彼らは西洋化された現代文明とどのように向き合っているのだろうか。貨幣経済とはうまく向き合えているのだろうか。やたらとたかってくるけれど、金融の概念などはどうなっているのだろう。そのあたりにまで全く踏み込めていないが、アフリカ黒人が何やっていても驚かないし、違和感持たない自信はある。身近に感じられるようになった。

もともとアフリカ黒人に対して愛着があったり、偏見があったわけでもなかった。ただ黒人の友達がいなかったから、印象は少なかった。アフリカはやっぱり黒人にとっての天国であるように思える。なんたって、アフリカでは黒人がマジョリティで、黒人が当たり前で、黒人の天下だから、他の大陸よりは生きやすいだろう。日本人がアジアに戻ってくると安心する感じは彼らにも大いにあると思う。そこが安全であれば、あえてアフリカ大陸から出ることはない。貧しいかもしれないが、生きていけないことはない。先進国へ移って、物質文明に汚染されても何もいいことはない。

自分たちがどれほどの物を持っているだろう?金とか便利グッズとか、全然大したことない。バリエーションの豊富な食事とか、暇つぶし程度にしかならない。何も重要なことはない気がする。俺ら言うほど恵まれてもないぞ?

モバイルマネーをご存知ですか?

ケニアではMpesa(エムペサ)、タンザニアではWakala(ワカラ)というのが有名らしい。アフリカにいる人はみんな使っているモバイルマネー、聞いたことありますか?僕はなかった。

モバイルマネーとは、電話番号と連動したモバイルマネー口座にお金を預けたり送金したりできるサービスであり、電子マネーの一つの形だ。お財布ケータイのようなNFCや、wechatペイのようなQRコードが利用されているわけではなく、電話番号だけ。電話番号を用いた技術だから特別な装置を必要とせず、フィーチャーフォン(ガラケー)でも利用できる。

これ、本当にこっちの人みんな使ってる。

  • どうやって使うのか
  • 何が便利なのか
  • 僕の使い方
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"オシャレ"かっこ悪い

地元京都のOPAという9階建てのビルには、主に10代女性向けのアパレルブランドが入っている。僕は疎いから全然知らない。そして最上階9階にはタワーレコード、その下8階にはブックオフ、その下7階にはダイソーが入っている。

エレベーターに乗った瞬間「この人はブックオフの客だ」というのがわかる。オタクっぽい人だ。この若い女性向けアパレルブランドがひしめき合うOPAで、オタクっぽい人の行き着く先は8階ブックオフ以外ありえない。まず男性であればタワーレコードかブックオフかダイソーに絞られる。タワーレコードの客もブックオフとは競合しないからなんとなくわかる。楽器好きそうな人。

  • ブックオフゾンビの服装
  • カッコつけることのカッコ悪さ
  • 自己主張の塊
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「スマホに残している、あなたをハッピーな気分にする写真は?」質問投稿サイトQuoraがおもしろい

タイトルに使ったのがこれ。

What kind of photos do you keep on your phone that make you happy? - Quora

子供、両親、ペットといった家族の写真や、彼女、有名人と撮った自慢の写真だったり、思い出の写真が解説付きで続々と投稿されている。僕が見たとき回答は40件ほどだったのが、今は75件に増えた。世界中の、見ず知らずの人々の生活、大事にしているものが垣間見えておもしろい。

最近よくQuoraを見ている。Facebookの初代CTO、アダム・ディアンジェロが立ち上げたサービスで、質問回答に特化したサイト。Yahoo知恵袋との違いは、基本的に実名であり回答者の得意分野や経歴などが表示され、特定の回答者に回答を依頼することもできる。著名な人物も回答者として参加しており、分野によっては依頼が殺到していることだろう。日本語版は去年の11月から開始されたばかり。まだ英語版ほどの活況は見せていないが、今既におもしろいところ。

Quora - 知識を共有し合い、世界を知ろう

もう一つユニークな点として、質問を投稿することにより報酬を得られるシステムがある。人気の質問をすればたくさん稼ぐことも可能。支払いはPayPalを登録するだけでいいからめっちゃ簡単。さっそくスパムのようなたくさんの質問や、反感を煽る質問も散見できる。

このサービスを知ったときに真っ先に思ったのが、「これ、人力検索はてながやりたかったことじゃん…」。Quoraの基盤となっている「自然言語処理と機械学習」なんて、当時は聞いたこともなかった。はてなはいつも先を行き過ぎていたのだ。

Quora

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「女好き」と呼ばれて

少し前に「川添くん女好きやしな」と言われたことがあった。女好き?この俺が?数えるぐらいしか彼女いたことがなく、5年とかいなくても平気で、店にも行かないこの俺が、女好きですと?耳を疑った。確かに僕はストレートではあるが、女好きという呼称はいささか過剰ではないだろうか。女好きと言うからにはプレイボーイのイメージが思い浮かぶではないか。そんな印象から僕は程遠いと思うんだけど、彼女からはそう見えていたのだろうか。それはないだろう。

彼女は何をもって、僕を女好きなどと呼んだのか。そう、彼女、僕をそう呼んだその人も女性だ。少し思い当たるフシがあるのは、僕が女の人のほうが話しやすいと思っているため、女の人と接点を持つことが多いから、それで僕を女好きなどと呼んでいるのではないだろうか。それにしても「女好き」という言葉の響きには、必ずと言っていいほど女遊びの意味合いが含まれている。女の人と話したり遊んでいることはあってもそんなことはしていないから、女好きという呼び方は誇張だろう。誤解の元だから訂正してほしい。

ついでに、何故女の人のほうが話しやすいのか。それは多分男女の違いという前提があるからだ。男同士、女同士だと同じものとして見がちだが、男女となると、相手のことがわからない前提が生まれる。男とはこういうもの、女とはこういうものという知識があったところで、男女の間には大きな理解の溝があると勝手に思っている。それが僕にとってはかえって好都合となる。常識、考え方に大きな違いがあったって男女なんだから当たり前と誤魔化せる。向こうは「こんな男性もいるんだ」と受け入れてくれやすい。違いを気にせず気兼ねなく話せる。これが同性となるとそうはいかない。

あと男性同士だと、けっこう言葉に詰まることが多い。これ以上何をはなしていいかわからなくなる。同性と話したほうが楽しくて盛り上がるのは、たいてい趣味か仕事の話。何か特定の物事について話すのは同性の方が話が弾む。同性の方が嗜好が近く、視点も近いから共通点が見つけやすいからだろうか。ということは、共通点のある特定の物事について話すなら同性が適しているらしい。

それでは異性と話すのに適している話題は。それは相手のことを聞いたり、自分のことを話したりする場合だ。男性を相手にして自分の話などされても「オメーのことなんか知ったこっちゃねーよ」と思ってしまうだろう。それが女性であれば真剣に話を聞こうと思ってしまう。そういうところが女好きなのだろうか。いや、俺男性の自分語りも全然聞いてるよ。聞いてるし、女性の自分語りが「退屈だなー」と思うことだっていくらでもある。やっぱり女好きという呼称は言いがかりだ。

女の人に声をかけることが多いか。どうだろう、やはり女の人のほうが気軽に声はかけやすい。なんでだ。多分何も考えなくていいからだ。男性と話すときには特定の何かについて話さないといけないという前提ができあがっているからかもしれない。女の人にはただなんとなく声をかければいいだけのような気がする。そして反応が嬉しい。これは女性同士でも同じではないだろうか。男性に反応されても嬉しくない。

声を掛けるといっても口説くとかナンパするって意味ではない。ただ一言発するだけ。思い返せば、やはり女の人にばかり積極的に関わりに行ってるような気がしてきた。これは果たして女好きと呼ばれても仕方がないのだろうか。常に相手を探し回っているとかそういうことはで全くないんだけどな。でも女好きも案外そんなもんなのかもしれない。

「反りが合わない」という感覚

最近noteを始めた。他の人のノートも見てはいるが、なかなか読みたいようなものが見つからない。テーマを絞って探しているはずなのに、出てくるのは「なんかちょっと違うんだよなあ」というものばかり。同じキーワードで繋がっていても明らかに自分の感覚と、その他がズレている。ぶっちゃけ反りが合わない。全然興味湧かないし、なんでそんなどうでもいいことにフォーカスしてんの?って問いたくなるが、どうやら大多数に求められているらしい。パブリックに活動するなら大多数が大事。つまり自分は顧客対象外なのだ。キーワードで繋がるなんて当てにならない。分野で絞り、言葉で区切ったってめぼしいものは見当たらない。埋もれているのだろう。マジョリティに望まれるキーワードと項目に隠れてしまっている。フォローしたい人を見つけられない。Twitterも同じ。

でもこの「反りが合わない」という感覚は大事だと思う。「大多数に望まれている」という理由で摂取するのではなく、そこにある違和感に素直になる。違和感とはつまり、自分自身の感覚にほかならない。自分の感覚、「反りが合わない」と思うにも理由がある。そこを明確にしていく過程が大切だ。自分が何を好み、何を嫌い、何に違和感を覚え、何を求めるのか、その理由は、背景は、探りに探って嗜好形態がはっきりする。ぼんやりとした感覚に過ぎなかった自分の個性がクリアになり、形になる。

自分がない、自分がわからない、周りに流されるといった人たちに足りないのは自己主張でも強い意志でもなく、違和感に向き合うことだ。自分に向き合い、自分自身を知る作業が圧倒的に足りていないから、自分を形作る主軸が見えておらず、あっちこっちふらふらとブレてしまい、自分の本心がなんだかわからないまま体にストレスだけを溜めてしまう。就職活動でよく自己分析なんてものをやったりするが、あーいうのではない。あんな人に求められる基準を前提とした分析なんて、自分を知るためには何の役にも立たない。もっと単純な違和感に向き合うことだ。しかしもしかすると違和感に気づかなかったり、押し殺すことが習慣になっている人もいるかもしれない。中には違和感を持たない人だっているだろう。

「大多数に望まれている」から、それが民主主義多数決大正義だと思って自分の意見、趣味、嗜好に目をつむってしまう人がいるのは何故だろうか。それは少数派、マイノリティであることが異質とみなされ、社会悪として迫害されるからだろう。自分の意見を表明すると攻撃に遭う。周囲に迎合しないと生きていけない。魔女狩りである。でも別に自分の好みを知ったって、表立ってアピールしなければ迫害されることもないと思うんだけど、ただ明らかにするだけではダメなんだろうか。一度気づいてしまうとそういうわけにはいかないんだろうか。それよりも単に、自分自身の個性なんかより他者との関係性や協調性を重視しているというだけの話だろうか。どこかしら、多かれ少なかれ違和感を持つことはあると思うが、それが他者に対する否定だと勘違いして感情に蓋をしてしまうこともあるかもしれない。そんなことはしなくていいのに。認めることと認めないことは、分けれ考えればいい。

その昔、Internet Explorerというブラウザが世界で一番使われているからといって、最も優れたウェブブラウザだと思い込んでいる人がいた。IEが世界で最も使われていたのはWindowsの標準ブラウザだったからという理由だけで、最初から最後まで評判はクソだった。事実クソだった。しかし「世界一=良い」と思っている人は、IEが世界最高のブラウザだと盲目的に信じていた。他のブラウザを使ったこともないのだろう。判断力もないかもしれない。多くの人にとってはブラウザの質なんてどうでもいいことだけど、そんな恥ずかしい論争が2000年代初頭にあった。

読みたいものがないから書くというのは一つの原動力なのだろう。