2021年に見た映画

「今年見た映画」というタイトルで、これまで何回かまとめていた。2021年は終わってしまい、そのままほったらかしていた。一応まとめておきます。ついでに2022年一発目は「ドントルックアップ」でした。楽しくてマジでムカつくお祭り映画。いっそこれぐらいのことが実現してほしい。ゆっくり真綿で絞め殺すような現実がつらい。

ドント・ルック・アップ | Netflix

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2010年代との邂逅:ニート、ノマド、シェアハウス、ブログ、海外移住

(ミニマリストを足してもいい。僕はそんなに乗っからなかった。)

今日、文学フリマ京都があった。そういう催しがあることは知っていたけれど、これまで行ったことがなかった。会場が家から近いのと、一緒に行く人がいたことで、今回初めて足を運んでみた。京都もオミクロン株が確認され、感染者数は過去最大となり、ギリギリまで行くかどうか迷った。けれど飲食をするわけじゃないし、混んでいれば撤退しようと思って足を運んだら、けっこう空いていたから安心した。

行こうと思っていたところが3つあった。一つは最近読んだ「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する」の友田とんさんが、東京から来ているということで「『百年の孤独』を代わりに読む」を買った。もう一つは、2014年頃にブログをよく見ていた真夜中の波ちゃん(この名義で固定されたんだな)。僕が日本に帰国してからいろんな人に会ったうちの一人で、それ以来、実に5年ぶりだった。最後に、エリーツ、phaさん。phaさんは僕が一方的に知っているだけ。面識はない。今回売り手と買い手という立場で、初めて会話をした。ほとんど僕が一方的に話すだけの、他愛のない雑談。

話終わりに僕はつい、「遠いところまで来てしまいましたね」などと口にした。相手には聞こえなかったかもしれないし、聞こえたとして何のことかわからないだろう。僕がphaさんを知ったのは2011年、およそ10年前。当時phaさんは「日本一のニート」と名乗っていた。最近は毎年本が出たり、バンド活動をされたり、ジェーン・スーなどとイベントを行ったりされている。ずいぶん前からニートは名乗らなくなり、ギークハウスも解散した。もうプログラムも書いてないんじゃないだろうか。僕が知った頃のphaさんと今とでは、やってらっしゃることが大きく違う。僕も10年前と今とでは全然違う。

この10年にいろいろあった。去年読んだ記事で、ギークハウスが当時からそんなに順調じゃなかったことを初めて知った。

日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

メディアへの露出が増え、活躍の場も増え、どんどんスケールアップしていくように見えるphaさんも、実は意外と思い通りにはいかなかったのかもしれない。当初思い描いていた方向とは全然違う形で、現在ある種の成功というか、落ち着きに至っているのかもしれない。

phaさんは、僕の2010年代のロールモデルだった。2010年代の新しい生き方を象徴する人だった。そして今年2022年になり、初めて本物を目の前にして、当時と邂逅してしまった。

2010年代。震災以降などとも呼ばれたから、正確には2011年以降かもしれない。2012年初頭にはこういう記事があった。当時空気感がよくわかる。

佐々木俊尚が5人の若者に聞く『21世紀の生き方』第1回「ノマド、シェア、そして家もいらないーー私たちはこんな生活をしています」(佐々木 俊尚) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

ホリエモンですら、出所したらノマドになりたいなどと言っていた。ノマドと言っても昨年アカデミー賞を獲った「ノマドランド」みたいな話ではない。テクノロジーを駆使して場所に縛られない生き方を、10年ほど前にノマドと呼んだ。この言葉は早々に廃れた気がする。

折しも2020年よりコロナ禍となり、リモートワークが進んだことで当時言われたノマド的な生き方がより進んだ人もいると思う。リモートワークという言葉は当時からあった。海外のサービスでリモートイヤーというサービスがあり、それは1年を通して世界各国を回りながらリモートワークするというもので、ちょうど京都も拠点に含まれていたため紹介されたことがあった。それは2016年だった。

「リモートワークと旅を同時に」Remote Yearが1200万ドルを調達 | TechCrunch Japan

「会社を辞め、ブログやWebサービスなどネットから生活の糧を得て、シェアハウスに暮らす。もしくは手に職つけて、海外に移住する。もしくは二拠点生活」

そういう生き方ができるかもしれないと夢を見たのが、2010年代だった。プログラミングに手を出したこともあったが、あまりにもピンとこず楽しくなかったので早々にあきらめた。ブログはもともと書いていたけれど、当時は広告を貼って即物的なエントリーを書き、注目されることを狙ったりもしたが、性に合わなかった。シェアハウスは、コネでもないとハードルが高すぎた。普通に家を借りてシェアをしてみたが、思い通りには行かなかった。

唯一やったのが、会社を辞めること。そのついでに海外へ行った。海外へ行ったところで具体的にやりたいことはなく、できることもない。ずっとその場しのぎ、時間つぶしだった。これからもその場しのぎ(その日暮らし)の生活をするんだろうなと、ぼんやり思うようになった。それはそれで良かったと思うし、現実の自分にはそれ以外の道がなかった。2010年代に思い描いていた暮らしは、途中から絵に描いた餅だった。

「遠いところまで来てしまいましたね」という言葉は、phaさんに向けて出た言葉であり、自分に向けた言葉でもあった。僕自身の今の生活は、スリルや冒険はなくなったけれど、これまででもっとも落ちついている。決して今が悪いというわけではない。けれどあの頃思い描いていた、理想とした未来とは、全然違う形になった。それはひょっとすると、phaさんとて同じなんじゃないだろうか。そんなことを勝手に思った。

僕の会社員の頃の同期で、phaさんと友達だと言っている男がいた。もう15年以上前の話。ふとそのことを思い出して、phaさんに聞いてしまった。そんな男のことは覚えているはずもないのに。しまいには、はてな創業者の近藤さんの名前まで出してしまった。2017年に初めて近藤さんとお会いしたとき、舞い上がって「アンテナから使ってます」などとはてな古参ユーザーっぷりをまくしたてたのと同じ。ダイアリーやブックマーク、匿名ダイアリーの話をしているうちに「はてな界隈」の話になり、「ユーザー同士のことはよくわからない」と言われ、そりゃそうかと思った。

憧れていたphaさんを目の前にして、何か接点を持ちたかった。そんな困った質問をしてしまったのに、なんというか、当たり障りのない受け答えをしてもらった。なんかほんと、すみません。

僕が言いたかったのは、2010年代に理想の生き方として憧れていた人が、2022年になって初めてお会いできて、今はもう自分も向こうも当時とはすっかり変わっており、遠いところに来てしまったなと思いつつ、その瞬間に当時と邂逅したというお話でした(曖昧日記を買いました)。

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特別お題「わたしの推し

久しぶりにサリンジャーを読んだらどうしようもなく好きだった

サリンジャーの何が好きか、どういうところがいいのか、それを説明しょうとすると難しくて、今回は触れていません。

「謎とき サリンジャー」という本が去年話題になり、気になっていた。

長らくサリンジャーを読んでいなかった。「謎とき サリンジャー」を読むなら、「ライ麦畑」や「ナイン・ストーリーズ」をいっそ読み返すかと思った。本屋に行くと「謎とき サリンジャー」の隣に「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」が並んでいた。

「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」は、サリンジャーの短編集というか、選集のようなもの。新潮モダンクラシックスというシリーズから、2018年に刊行されている。

サリンジャーは1965年に現役を退き、以降新作を出していない。なのに2018年に、旧作をまとめただけの本が出た。このタイミングでなぜだろう?出た当時から気にはなっていたものの、買っていなかった。収録されている短編はどれも読んだことがない。「謎とき サリンジャー」を読むにあたって、という口実もでき、併せて買った。

  • このサンドイッチ・ハプワース
  • 謎とき サリンジャー
  • 何度も読む
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名残惜しい海外旅行ですね

最近かつての同居人が旅行していて、Instagramに写真が上がってくる。ハワイからアメリカ本土に入り、今メキシコにいるそうだ。正月はアメリカで迎えていた。

彼は40代で、金があるわけでも学があるわけでもない。同居していたのは10年ぐらい前。半年ぐらい同じ家に住んでいた。その後彼はイギリスで2年暮らし、日本に帰国後は帽子屋かなんかで働いていた。それから何やっていたのか全然知らなかったけれど、最近の動向がInstagramに上がってくるようになり、また渡航していることを知った。

彼はイギリスに行く前にも2年オーストラリアで、1年ニュージーランドで過ごしていた。そういう生活がやめられなかったのか何なのか、今具体的にはどうしているのか、なぜメキシコなのか、詳しくは知らない。ただその姿に、かつての自分を重ねる。

僕もよく旅行していた。彼の旅行とはまた種類が違うけれど、もう旅行をしていた日々が遠くなっている。旅行していた当時の日記も残っており、彼の姿を見るのと同様、当時の自分をうらやましく思う。かつての自分に戻れたら、とは思わないが、旅行はまたしたい。あの感覚を再び、とは思う。

2018年に、僕はアフリカのガーナにいた。「タウンの偉い人に会わせるから」と言われ、35℃の炎天下で待っていた。4時間も5時間も待たされた。挙げ句「今日は来ない」と言われた。カルチャーショックだった。時間、約束という概念が、彼らと僕とでは全然違った。また暗黙知があまりに多く、門外漢の自分には誰もルールを教えてくれなかった。明文化されているわけでもない。人によって解釈も異なる。異文化は文字に起こせないと思った。日本の文化だって、外国人が理解できるような文献、ルールブックは存在しないだろう。

なんかそういうのが、僕にとっての外国であり、旅行体験だった。通じているのかどうかわからない言葉。輪郭のはっきりしないローカルルール。そこにいることで感じる、圧倒的な異邦人感が不安で心地よかった。快適さなんて微塵もない。全てが冒険で、挑戦だった。

旅行は所詮レジャーだから、遊び感覚でそういう体験を楽しめるのがいい。移民、留学、就職となると遊び半分ではいられない、真剣なものとなる。そういうのは全然求めていなくて、頑張りが必要になるとただしんどいだけ、つらいだけ、苦しいだけになり楽しめない。頑張った成果なんて求めていない。その場限り楽しければそれでいい。

かつて机を並べた友人たちが、今イギリスやドイツの大学院に通っていることや、タイやカンボジアやモザンビークや東ティモールの企業で働いていることは、素直に応援したいし、ある意味うらやましい。でも僕が一番憧れるのは、何を頼りにしているのか、何の頼りもないのかわからない、冒頭に挙げた彼。人から見れば、ただよくわからない旅行をしているその姿。

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40歳近いということ

これを書いてから5年経った。今では30歳より40歳の方が近い。5年前と変わったこともあれば、変わらないこともある。あきらかに老けた。めっきり老けた。当時は痩せていたが、今ではすっかり中年太りを感じる。

前回書きそびれたことで、老いとか肉体の衰えに近いことだけど、感覚が鈍った。感情の振れ幅が小さくなった。若い時ならもっと喜んだり落ち込んでいたことが、あまりどちらにも振れなくなった。きっと大変なことがあれば今でもつらく落ち込む。状況が落ち着いているだけかもしれない。でも若いときはもっと苦悩していた。感覚の鈍化。

経験の影響というのが確かにあって、知っていることや既にやったことがあることには、もう驚かない。心が動かない。同じ映画を何度も見て、最初見たときのような感動が得られないように。二度目以降は、良くも悪くも対処しやすい。手に負えない感情について、手を引く対処も早い。だから長く生きればそれだけいろいろな経験をして、あらゆることが二度目以降になり、慣れ、心は動かなくなっていく。もっと年を取れば知らないけれど。

若さを保つ秘訣なんてものがあるとしたら、常に変化の渦中に身を置くことじゃないだろうか。若さとはすなわち新しいことで、更新し続けることだから、現場の最前線にいたり若い人と同じ鮮度の話をしている人は、年令を重ねても尚若さを保っているように思う。

新鮮な気持ち、反応、感動をしたければ、まだ知らない分野に手を出すしかない。もしくは既知の分野も更新し続けること。若い頃のように、身の回りのすべてが新しくて新鮮だったら、気持ちも若いままでいられるんじゃないか。僕はもう全然そういうのはない。今まで知らなかった分野に手を出してはいるものの、オヤジ趣味で全然新しくない。

ここ数年になって、人生引退した感じはすごくある。以前からあったけれど、それでもそれなりに変化に富んだ日々を送っていた。少し前までは、特に望んでもいない挑戦をしたり、挫折したり、そういうことが続いた。今はただ安定、平穏のみを志して生きている。隠居、引退したと言っていい。

今の状態がいつまで続くかはわからないけれど、もうこれまでのようにあっち行ったりこっち行ったり、新しく人と知り合ったり繋がったり拡がったり、非日常的な経験をすることはないんじゃないだろうか。ほそぼそと暮らしていけたらいいなあと思う。これまではずっと、そうはいかなかったから。

40近くになっても、何も達観したりはしない。偉くなったり賢くなったりしない。責任感が強くなったり、物事をそつなくこなせるようになったり、人に優しくなったり、理知的になったりすることはない。10代の頃の自分と、どれだけ違うのか。二次性徴を過ぎてから、人間は成長したりしない。ただ時間とともに、経験したことに慣れるだけ。

同じことを長く続けていれば、それなりに長けることもあるだろう。けれどそれも元々の能力の壁は越えられない。時間が経ったぐらいでは人間の本質は変わらない。表に出るか、出ないか。

ふと思ったこと

とある本を読んでいて、誰かと誰かが一緒にドラッグをキメて以降親しくなった、という話があった。よくあることだと思う。僕も実際にあった。カナダでジェシーと仲良くなったきっかけはポットの共有だった。もっと一般的な話だと、お酒の席を共にしてから仲良くなったとか、喫煙ルームで一緒にタバコを吸うことで仲良くなるとかあると思う。さらにもっと一般的な話で、一緒に食事をすることで仲良くなるということなら、けっこう誰でも経験しているんじゃないか。

ドラッグでもお酒でもタバコでも、食事でも、やっていることは根本的に変わらない。参加者同士が互いに快感を共有する、という点でそれらの行為は共通している。フェスとかライブとか、一体感のある催しも同じ。より簡易で汎用性が高い手段が、食事やお酒となる。もっと言えば性交渉。これほど直結的に快感を共有する手段も他にない。

つまり、一緒に飲みに行きたいとか、一緒に食事したいと言って誘うのは、セックスしませんか?と誘うのと同義だと思うんですよね。ややライトなだけで、やっていることは根本的に変わらない、快楽の共有。違うのは段階だけ。ここまでだったら共有できるけど、この先はちょっと、となれば、食事はできるけどセックスはできないのは、付き合えるけど結婚はできないようなもの。程度の違いこそあれ、本質的には同じ。

普段は全く意識しないけれど、食事に誘うことは、飲みに誘うことは、セックスに誘っていることとあまり変わらない。手段は違えど、いずれも快楽の共有を提案している。飲み会の後で仲良くなるのは、セックスの後で仲良くなるのとどれだけ差があるのか。ジェシーは男性だったけれど、一緒にポットでstonedしてそれ以降仲良くなった。まあそういうことだろう。

僕はだいたいそういうのに抵抗がない人に好感をいだきやすい。つまり、快楽を得る刺激に対して抵抗のない人。だから飲酒、喫煙者大歓迎だった。飲酒喫煙の習慣がある人は、だいたいにおいて刺激快楽の摂取のハードルが低いと思っていた。好奇心が強く、刺激に対して前向きになれる人。ただまあ好き嫌いはあるから、お酒が苦手、タバコが苦手、セックスが苦手、それぞれあると思う。僕は食べることが苦手だから、太っている人や食べ放題が苦手だった。

反対に、無意味に保守的で消極的で抵抗の強い人は、めんどくさいと思っていた。ノリが悪いとかっていうのとはちょっと違う。なんかその、自らの足で踏み出す好奇心のない精神性とは、付き合うのがめんどくさい。きっと刺激や快楽に耐性がなく、その分恐怖心が強いのだろう。ビールが飲めなかったり、ブラックコーヒーが飲めなかったり、辛い食べ物が苦手だったり、刺激を楽しいと思えない人とは付き合いにくかった。

それも結局は程度や分野の違いで、エクストリームスポーツをやれと言われたら、あんまり乗り気になれない。バンジージャンプやスカイダイビングだって、機会があればきっと平気だけど、わざわざやろうとは思わない。SMとかも無理だし、音楽フェスも興味ない。海外バックパック旅行は平気。それが相性と呼ばれる部分なのか、きっと違う。

好き嫌い、苦手なことはそう主張すればいいだけで。僕の言う苦手な精神性というのは、ためらったり決断できなかったり、興味はあるけど踏み出せないような、好奇心に振り切れないじれったさにあるのだろう。いろんなファックをしてきたし、ファックと意識しないファックをしてきたんだと思う。断ればいいんだから。

ヒトコトへの回答㉔:同性

このブログではGoogleフォームからご意見などを頂いております。スマートフォンでページを一番下までスクロールしてもらえば出てくるアレです。それをときどき拾って回答してたりします。

70通目:同性

同性を恋愛対象としてみれますか?

恋愛対象として見れるのかはわからないけど、見たことはないです。そういう話をかつて人としたことがあって、恋愛うんぬん以前にまず男性に性的魅力を感じたことがなく、恋愛関係になるのは難しいのかなと思っています。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

2021年ベストバイ

そろそろ挙がっていますね、ベストバイ2021。他人のベストバイを見るのが結構好きです。特に使用感やエピソードなど、実感のこもったものを参考にして買うことも。スペック比較的なレビューよりそっちのほうが好みですね。

今年はたくさん物を買った年でした。主に本、レコードで、家電とかは全然買ってません。服もあまり。そんななかから個人的なベストバイをいくつか選んでみます。

  • ダナーフィールド
  • 関西赤貧古本道
  • The KLF - Chill Out
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しつこく、最近欲しい本(2021/12)

10月にたくさんまとめた続き。

このうちいくつかは買って、全然読めていない。読めていないうちから次々と欲しい本は出てくるもので、次から次へと本は増えていくばかり、一向に減らない。「積読こそが完全な読書術である」という本を最初の数ページだけ読んで積んでいる。

  • 謎とき 『失われた時を求めて』
  • 東京の生活史
  • 書きあぐねている人のための小説入門
  • 岡田睦作品集
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一人だと何もしないな

地元京都では今、「きょうと魅力再発見旅プロジェクト」というのが行われており、府民による府内の宿泊が割引される。

一人だったら絶対利用しなかっただろうな。地元でわざわざ外泊するなんて発想は、いくら割引があってもありえない。去年のGoToトラベルだって、一人だったらきっと利用していなかっただろう。特に行きたいところもなく、ずっと自宅で過ごしていたと思う。

一人旅行自体はよくするほうだった。でも僕の旅行は観光がメインで、国内に見たいところ、行きたいところはない。国内の友人を訪ねる旅行はあったものの、完全な一人国内旅行はしたことがないかもしれない。大学生の頃にバイクで名古屋まで行って、土砂降りになってリタイヤしたぐらい。

旅行に限らず、外食なども一人だとほとんどしない。せいぜいラーメンかカレーぐらいで、軽食と言える。外食のために出かけたり、予約して店に行ったりすることはまずなかった。

一人だと行きたくても行けなかった、というわけではない。行きたいところは一人で行っていた。ただ映画館でさえ、一人ではめんどくさくてほとんど行かなかった。美術展や写真展などは、一人でもときどき行っていた。友達とどっか行くこともあったけれど、予定を合わせるのがめんどくさくて、本当にたまにある程度だった。めんどくさい、が発動しやすかった。

一人だと、ほんと何もしないなと、つくづく思う。誰かと一緒に何かをしたいとか、どこかへ行きたいっていう願望もないから、相手を探してやるようなこともなかった。何もしないというのは、外で何もしないというだけであって、自宅で何かをしている。本を読んだりマンガ読んだり映画を見たりネットを見たり音楽を聞いたりゲームしたりしている。

それらは今もやっている。ただ自分は一人じゃなくなってから、行動範囲が拡がった。活発な人は一人でもいろいろやっていただろうけど、僕はそうではなかった。一人だと、自分の願望の外で何かするってことがない。それは当然のことで、やったからといって見合う何か得られたり、発見があるわけでもない。

世の中の、ありとあらゆるサービスや施策、施設、その他もろもろは、自分を対象としていなかった。だから多くの物事が、自分には関係ないと思っていた。でも一人じゃなくなったことで、行動範囲に含まれるようになった。

そういうことってあるよなーと思った。それだけです。一人だからこそやることもある。危ないこととか。

接客態度に文句を言うか、もしくは

面と向かって言う人もたまにいるけれど、後で愚痴をこぼす人が多い。接客態度。僕が今読んでいる本は、行く店行く店での接客態度のついての文句がよく書かれている。人からもときどき聞く。気持ちはわからんでもないと思うときもあれば、気にしすぎ、過剰に求めすぎ、期待値高すぎと思うこともある。

僕はあまり、接客態度を気にしないほうだと思う。実害を被る場合はその場でなんとかしてもらうけれど、ただの接客態度についてあれこれ文句を言った記憶はない。態度が悪いとか、そもそもあまり思う方ではない。「お客様に対してなんだその態度は!」「愛想が悪い!」などと思うようなことが、普段からあまりない。

ただそれでも不快に思うようなことはある。説明が何言ってるかわからなかったり聞き取れなかったり、長い時間待たされたり、違うものを出されたりして、もう無理かなと思ったらあきらめる。「あ、もういいです」と言って店を出る。そしてもう利用しない。よほどムカついたら★1をつけるかもしれない。やった記憶はない。

それは損切りに近い。早く切り捨てて忘れる。もともとサービスに金を払う方ではないし、必要以上、値段以上を求めることもない。期待値が高い方ではない。だから接客態度が悪かったとしても、わざわざ怒ったり愚痴ったりはしない。早々に現場から離脱して、リストから外すか、除外リストに入れるだけ。

ときどきいるのが、文句を言いながら利用する人。文句を言うなら利用しなければいいのに、それでも利用するなら文句言わなければいいのに、と思う。文句を言いつつも利用するという、その心理はなんなんだろう。代わりが効かないなら仕方がないけれど、大抵の物事は代わりが効く。ただ文句を言いたいだけなのだろうか?

僕だったら、文句を言いたくなるような相手とはもう関わりたくないと思うんだけど、繰り返し関わっては文句を言うのは、そのやりとりそのものが楽しいからだろうか。憂さ晴らし?

2011-2021 はてなブログとともに振り返る10年【変わったことと、変わらなかったこと】

はてなブログ10周年だそうです。おめでとうございます。βテストの頃から利用していたので、僕もまるまる10年利用しているユーザーということになります。ダイアリーの頃から数えると15年ぐらいになるのかな。その間に株式会社はてなも上場したことだし、株主優待ではてなブログProが利用できるようになれば株を購入します。Proを利用してから何年経っただろう、けっこう長いです。

  • 10年で変わったこと、だいたい全部
    • 住む場所が変わった
    • 旅行ばかりしていた
    • 体型、髪型が変わった
    • アウトプットが変わった
    • インプットも変わった
    • 結婚した
    • 禁煙を始めた
    • 歳をとった
  • 10年前と変わらないこと、あるのか?
    • Apple製品を使い続けている
    • 中身は全然変わっていない
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私がアンビエントにハマる10の理由

10個もあるのかな。音楽ジャンルのアンビエントです。2年ほど前から聞き始めた。もともと音楽に疎くて、全然くわしくないけど好きです。アンビエントって何?っていうぐらいの人向けの紹介も兼ねていると思うので、ぜひ聞いてみてください。

  • 1. まっさらな世界
  • 2. 何より、癒やし
  • 3. 意識を阻害しない
  • 4. 飽きない
  • 5. 使い勝手がいい
  • 6. 掘るのが楽しい
  • 7. 奥が深い
  • 8. ジャケットがかっこいい
  • 9. 自分の世界に浸れる
  • 10. 僕が好きなやつ
    • Omni Gardens - Moss King
    • The Humble Bee - A Miscellany for the Quiet Hours
    • 吉村弘 - Green
    • Federico Durand - Herbario
    • Green-House - Six Songs for Invisible Gardens
    • Loris S. Sarid - Music for Tomato Plants
    • picnic - picnic
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ここ数年で観た中から、好きな映画10選

フィルマークスを利用していまして、ここ数年は観た映画をだいたい記録しています。どのサービスで配信されているか確認できるのも便利です。

ここ数年以内に見た映画の中から、自分の好みを基準にざっと選んでみます。順番は新しく見た順。映画館で観ていないのも含む。

  • ベイビーわるきゅーれ(2021)
  • バーニング 劇場版(2019)
  • マティアス&マキシム(2020)
  • パターソン(2017)
  • ホドロフスキーのサイコマジック(2020)
  • わたしは、ダニエル・ブレイク(2017)
  • シング・ストリート 未来へのうた(2016)
  • ヴィクトリア(2016)
  • フランシス・ハ(2014)
  • エンドレス・ポエトリー(2017)
  • 傾向
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