今日の積読本⑦

積読が発生する原因は読む本がいっぱいあるからで、目についたものを次々買っていくと、読むスピードはとうてい追いつけない。今日の本「東京の生活史」は、積んでいい本だと思う。思いついたときに少しずつ読めばいい。ときどき読む。まさに積んでおく本。まとめて一気に読まなくてもいい。

どこから読んでもいいだろうし、なんなら読み終えなくてもいいと思う。そういう意味では純積読本ではないか。棚に置いておけばいい。あまりほったらかすとそのままになってしまうから、ときどき取り出して読む。

「東京の生活史」はインタビュー集のような本。アトロクでスタイリストの伊賀大介さんが勧めていて気になり購入した。それから、かなり経っている。全然読んでいない。読みたい気持ちはある。手軽に読める本でもある。読もう読もう。アトロクの「東京の生活史」回は本当に引き込まれるから、聞いたら買うと思います。

インタビューの形式がいいんだろうな。自分が生活史を書こうと思っても、何書いていいかわからず、何も思い浮かばない。よく家族のこととか、親の話が出てくる。自分は最近父親を亡くし、また「This is us」というホームドラマも続けて見ているから、例えば父について何か書こうと思っても、なかなかまとまらない。

村上春樹の「猫を棄てる」は、父親についてのエッセイだった。父の過去をよく調べていた。そこまでやりたいとは全然思わない。知りたいとも思わない。父との確執もない。自分が見た、思い出だけでも残しておいたほうがいいのかなとふと思う。プルーストの「失われた時を求めて」を読んでいると、なおさらそう思う。

今日の積読本⑥

今日は「腰痛探検家」です。数ある高野本の中でもひときわ奇書のおもむきが強い。この本は腰痛を持ちながら探検をする話ではない。腰痛を持った探検家の話であり、腰痛の探検をする話である。まだ読んでいないから、きっとおそらくそんな内容。

この本よりも後に買った「怪獣記」を今読んでいる。高野本ファンから名作と名高く、長い間未読だったもののやっと購入して読み始めた。トルコのワン湖に住むと言われる「ジャナワール」を探す話。まださわりしか読んでいないけれど、序盤の引き込みがすごい。なんでも「ジャナワール」のビデオを撮影したトルコ人の助教授が、「ジャナワール」についてまとめた本があり、東京で読めるというところからスタートする。

本題の「腰痛探検家」は、テーマからして地味である。読むにあたって特段躊躇も抵抗もなく、いつ読んだっていい。そう思いながらまだ手に取っていない。僕もどちらかというと腰痛持ちで、年に一度ぐらいの頻度で発症する。「腰痛探検家」を読めば、もしかすると参考になるかもしれない。ただ別に、そういう期待を込めてこの本を買ったわけではなく、読もうと思うわけでもない。

どういうタイミングで読めばいいんだろう。多くの期待を持たず、なんとなしに読む本のたぐいだと思う。他に読む本がたくさんあり、そういうタイミングがなかなか訪れていないというだけの話だろうか。おもしろいという感想は聞いているから、きっとおもしろいのだろう。ただ著者の本の中でも、どちらかというと埋もれがちなだけで。

今は積読だけど、きっと今年中には読むと思います。今年中に読む宣言を、あまりたくさんしないように気をつけたい。

今日の積読本⑤

積読になる経緯とは、目について購入したものの、今読んでいる本があるから後回しになり、そのらせんが連なり本のタワーと化す。その一端を担うのは、担いやすいジャンル、SF小説です。

なぜか。SF小説は手にとって読み始めるまでのハードルが高い。僕にとっては。なぜか。単純に頭を使うから。文章がすんなり頭に入ってこず、咀嚼して情景を思い浮かべるのに時間と労力がかかる。こういう手間というか苦労は、SFやファンタジーといった、現実から遠い作品ほど付随しやすい。

そしてグレッグ・イーガンです。僕は「ディアスポラ」しか読んだことがなく、めちゃくちゃ苦労した。中盤まで「は?何いってんの?は?」しか感想がなかった。書いてあることが全く頭に入ってこない。しかし読み進めるに従って次第にその世界に馴染み、なんとなくスラスラ読み進められるようになってくる。僕はこの現象を「物語の内側に入った」と呼ぶ。今思いついて初めて使った。

その内側に入るまでの道のりが遠いSF作品やファンタジー小説は、読みたいと思って買ってもなかなか手にとって開かない。これがアニメや映画だったら最初から映像が用意されていて目の中に飛び込んでくるからめちゃくちゃ楽。もうショーットカットはなはだしい。スターウォーズもブレードランナーも攻殻機動隊も好きで、本来そういう世界観は好きなはずなのだ。だからSF小説も、頭に入ってこればおもしろい。「ディアスポラ」に至っては、「これは絶対映像化できないやつ!」という感想をいだいた。小説でしか表現できないSFもある。

「祈りの海」について、予備知識ゼロです。どっかの古本屋で買った。古本屋でグレッグ・イーガンを見かけることは滅多になく、あればとりあえず買っている。

今日の積読本④

買った本は、買ったことを記録しておかないと、買ったことを忘れてしまったり、同じ本をまた買ったり、いつまでたっても読まなかったりしてしまう。買ったけれど読んでいない本(積読本)の記録は意外と重宝する。

前回「失われた時を求めて」を読んでいるという話をしたけれど、「失われた時を求めて」を読み終えてから読みたい本がいくつかある。この「収容所のプルースト」もその一つ。この本は翻訳が出た当時、ちょっとばかし話題になったみたいだ。僕が買ったのは今年だから、その機は完全に逃している。

僕がこの本を知ったのは、「プルーストを読む生活」を書いた人が「収容所のプルースト」を読んだことをきっかけに、「失われた時を求めて」を読み始めたと書いていたことがきっかけ。ややこしいな。

プルーストについて何も知らない人のために。20世紀初頭の作家、マルセル・プルースト、フランス人。この人の書いた長編小説が「失われた時を求めて」で、めちゃくちゃ長い。今僕が読んでいる岩波版で全14巻ある。光文社古典新訳でも出ているけれど、6巻が出てから3年止まっている。それまでは年1で続きが出ていたのに。

「収容所のプルースト」は、プルーストが収容されている話ではなく、ソ連の強制収容所でプルーストの著作「失われた時を求めて」が、どのように読まれたか書かれた本、だと思う。まだ読んでいないから。

「収容所のプルースト」を読んだ人の数は、近年ではきっとおそらく「失われた時を求めて」を読んだ人の数より多い。「失われた時を求めて」を読まなくても読める本だと思う。でも僕はとりあえず全部読み終えてから読むつもりで、まだまだ読み始めることができない。「失われた時を求めて」はきっと今年中には読み終わるから、「収容所のプルースト」を読むのは早くても来年になるだろう。

今日の積読本③

買った本は、買ったことを記録しておかないと、買ったことを忘れてしまったり、同じ本をまた買ったり、いつまでたっても読まなかったりしてしまう。買ったけれど読んでいない本(積読本)の記録は意外と重宝する。

今回はフォークナーの「響きと怒り」。僕はこのタイトルをずっと「嘆きと怒り」だと思っていた。20世紀最大の作家として、カフカ、プルースト、ジョイスに並びフォークナーの名前も挙がる。どうでもいいけど「20世紀最大の作家」ってどこから出てきたんだろう。僕はカフカの解説か何かで初めてその文字を見た。

さて、フォークナー。フォークナーについて知っていることは、他に映画「バーニング」で主人公がやたらフォークナーとつぶやいていたことぐらい。フォークナーに憧れて小説を書く主人公だったと思う。村上春樹の原作「納屋を焼く」にもフォークナーの記述は出てきた。小説家を目指すとかそういうくだりは原作にはなかった。

フォークナーの作風も、作品も全然知らない。他にどんな本を書いているのか、読んだことがない。いつか読みたいと思いつつ、手元にあってもまだ手が出ていない。それはフォークナーに限ったことでなく、フォークナーでさえ手が出ていないといったところ。今年初めてガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読んだぐらい。

「響きと怒り」は、まだ当分読むことはない。なぜなら今ちょうど「失われた時を求めて」マラソンの最中で、海外古典名作を同時期に読み進めるのはなかなか難しい。「失われた時を求めて」はきっと今年中に終わるから、「響きと怒り」を読むとしても来年になるだろう。そのときにはまたきっと、他にも読みたい本があふれている。来年中には読みたいです。

今日の積読本②

買った本は、買ったことを記録しておかないと、買ったことを忘れてしまったり、同じ本をまた買ったり、いつまでたっても読まなかったりしてしまう。買ったけれど読んでいない本(積読本)の記録は意外と重宝する。

「ジャック・ロンドン放浪記」をどこで知ったのか。ジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」の文脈だったような気がする。どこで紹介されていたのか。村上春樹がジャック・ロンドンを紹介していたような気もする。ソロー「森の生活」とか、そういう流れだったような気もする。要するに、買ったきっかけを覚えていない、忘れた。

というのも「ジャック・ロンドン放浪記」を買おうとしたのはけっこう前のことで、いつだったか、1年以上前だと思う。そのときどんな流れで欲しい物リストに入れたのか。実際買ったのは今年に入ってから。絶版になっており、中古市場で安く出回るのをずっと待っていた。結局普通の値段で買ったと思う。それも覚えていない。

とにかく僕はその「放浪記」とかなんとかついたら惹かれる。麻雀放浪記はさすがに麻雀の話だから読んでいないけれど、ジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」に至っては、読んだはいいものの放浪の旅をするような内容ではなかった。どちらかというと浮浪。それはそれで満足した。「ジャック・ロンドン放浪記」がどんな内容なのか、まだ全く読んでいないから知らない。

もともとが古い本で、ジャック・ロンドンが昔の人で、今急いでどうしても読まないといけない本ではない。いつ読んだっていい。いつか読みたい本。でも買っておかないと、きっと読まない。

今日の積読本①

買った本は、買ったことを記録しておかないと、買ったことを忘れてしまったり、同じ本をまた買ったり、いつまでたっても読まなかったりしてしまう。買ったけれど読んでいない本(積読本)の記録は意外と重宝する。

「彼女の思い出/逆さまの森」は、最近買った本。サリンジャーの新しい本なんだけど、サリンジャーは当然死んでいる。新作ではない。未発表原稿が出版されるという噂もあったが、それは一体いつになることやら。

「彼女の思い出/逆さまの森」に収められている短編は、過去に雑誌などに掲載され、アメリカ本国では本として出版されなかったもの。日本では「サリンジャー選集」という全集もどきにかつて収められていたはず。今回の単行本は、翻訳者の金原瑞人という人が新しく訳している。「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」と同じく、新潮モダン・クラシックスのシリーズとして出版された。

「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」を今年に買って読んで、予想以上によかった。2018年に出た本で、僕が買ったのは4刷だった。きっと「彼女の思い出/逆さまの森」も期待できる。この本が出たこと自体、サリンジャーファンのあいだでは朗報に違いない。

いつか読む。冒頭の何行かは読んだ。おそらく、そのうち全部読むだろう。今のところ積読。いつでも読みたい。

2022.8.15

最近は毎日ブレスオブザワイルドばかりやっている。朝起きてすぐと、寝る前がメイン。これは拡張パック買いそうだ。予定されている続編も買うのではないか。ゼルダは今まで全然やってなくて、スーパーファミコンのを触ったことがあるぐらい。当時小学生で、あまりにも難しくて全然進めなかった。

ブレスオブザワイルドは、そのあたりの難易度が調整されているように思う。難しくもあり、簡単でもあり、初心者からゲーマーまで楽しめるのではないか。でもスーファミのゼルダにしろブレスオブザワイルドにしろ、子供の頃の自分だったら投げ出していた。多少は大人になったのかもしれない。

そうは言っても謎解きめんどくさすぎて、詰むとすぐ攻略を見てしまう。そこに何時間も費やして攻略できた達成感がほしいというよりも、このゲームをソロ冒険旅行的にプレイしたい。なんなら敵モンスター出なくていい。戦闘無しでこういうゲームやりたい。「だったらどうぶつの森やっておけば?」と奥さんに言われたが、僕はルーティーンが苦手でいろんなところにずんずん進んでいくゲームがしたい。そういう探検、旅行のようなゲームはないものか。

先日京都駅から自宅に帰るためにバスに乗ると、久々に満員だった。バス停から乗る人、降りる人、待つ人を見ていても、明らかに外国人が増えている。それでこの混雑か。今のようなサマーバケーションの時期は、コロナ以前のような観光客過多の状態に戻ってきたようだ。正直なところ、コロナが始まってから街の行き来や生活は非常に快適で過ごしやすかったため、また以前のように戻ってしまうのは残念な気持ちが強い。

そうこう言ってる間に暦の上では夏が終わろうとしている。夏休みらしいことがなくなって3年目。今年は帰省や旅行も増え、いつまでもコロナを気にしていないようだ。感染者はおととしよりも去年よりも多く、もう罹った知り合いもかなり多い。死亡したという話は身の回りでは聞かない。ある意味で沈静化なのだろう。

僕も秋頃にようやく旅行するかもしれない。久々に航空券を買ったら、素人の凡ミスをして余分に費用がかかってしまった。海外は新婚旅行以来だから3年ぶりで、ブランクが大きい。体力も落ち、英語もさっぱり忘れてしまっている。飛行機ちゃんと飛ぶか心配だ。まだまだ全然先の話。

今週のお題「SFといえば」:SF小説入門

あれもこれもSF

今週のお題は「SFといえば」です。

『ドラえもん』から『ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』に『スター・ウォーズ』『ニューロマンサー』『スノウ・クラッシュ』など、SFと呼ばれる作品はさまざまなメディアを介し世界中で楽しまれています。そこで今回は「SFって面白いんだ! と実感した作品」や「私にとってのSFは”すこしふしぎ”」「気づいていなかったけどあの作品もSFといえるかも」など、SF作品の感想やSFにまつわるエピソードやを募集します。ぜひ、記事を書いて投稿してみませんか? ご応募をお待ちしております。

SFデビューは、日曜洋画劇場で見たスターウォーズだった。小学校に入る前に見た、動物の顔をした人や宇宙人と会話する人たち、光る剣のチャンバラ、宇宙空間の航空戦、それがSFの一番古い記憶。それからも映画、マンガ、アニメでSFに親しんできた。時代はSFだった。

SFは幅広くてどっからどこまでがSFかって言うと難しいけど、時間遡行物(バック・トゥ・ザ・フューチャー)もSFだし、近未来物(攻殻機動隊)も宇宙物(カウボーイビバップ)もSFで、それぞれ毛色がぜんぜん違う。

SF小説デビューは「星を継ぐもの」だったかなー。高校生の頃。続編の「ガニメデの優しい巨人」も読んだ。それからいくつかSF小説を読んできた。安部公房を入れていいのかわからないけれど、

このあたり。普通はもうちょっと一人の作家を追いかけるもんだけど、王道SF文学をつまみ食いしている。一番ハマったのはスタニスワフ・レムかな。「星を継ぐもの」シリーズだって「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズだって続きを読みたいのはやまやまだけど、めんどくさくて読めていない。安部公房はいっぱい読んでる中でSFらしいのが第四間氷期ぐらい。

いつか読むだろうと思って買って積ん読になっているのもいくつかある。T.S.エリオット「渚にて」とか、コードウェイナー・スミス「アルファ・ラルファ大通り」、グレッグ・イーガン「ひとりっ子」「プランク・ダイヴ」など。SF小説の特徴としては、読み始めるまでが非常に億劫だということ。ファンタジーもそうかもしれない。用語がたくさんあり、設定を飲み込むまで、世界観を頭の中に整理するまで時間がかかる。だから読むのがめんどくさくて、なかなか手が出ない。

そういう意味では、小説よりも映像作品のほうがまだとっつきやすい。ただディアスポラみたいにどう頑張っても映像化できないだろっていう作品もあるから、小説でしかできない表現もある。僕が読んだものは定番だから、映像化されているものも多い(スローターハウス5、パプリカ、ソラリス、高い城の男、銀河ヒッチハイク・ガイド)。めんどくさい人はスター・ウォーズ感覚でとりあえず映像から入ったほうがいいんじゃないか。

ライトな作品を読んでとっつきやすいと思ってハマるか、物足りないと思うかは好みです。読みやすさで言うと「星を継ぐもの」「息吹」「プロジェクトヘイルメアリー」あたりはまだ簡単に頭に入ってくる。

僕が一番好きなのは「泰平ヨンの未来学会議」あたりかもしれない。内容あまり覚えてないけど。

2022.7.23

7月22日配信のオーバーザサンを聞いていて、スーさんと堀井さんがワーカホリックな話をしていた。「1日3時間しか働かなくていいって言われたらやることなくなる」とか「残り13時間もあったら全部仕事に費やす」とか。

世代的なものなんじゃないかとも言われていた。労働が美徳だった世代。「24時間働けますか」世代。おじさんがリタイアしたら抜け殻になったって嘲笑されるけど、自分たちは笑えないと言っていた。最近でも仕事人間を揶揄するニュアンスを含んだ記事があった。

僕の感覚では、世の人たちは生活のために仕方なく働かざるを得ない人がほとんどだと思う。しかしスーさんと堀井さんは、お金のあるなしに関わらず目一杯仕事をしていたいと言う。きっと社会参加的な意味合いが大きいのだろう。仕事を通じて人と関わったり、社会を作っていく一員となることに、やり甲斐や意義を見出しているのではないか。二人はやりたいことをやっているとか、自分で選んだ仕事ができているということも大きいかもしれない。

僕はそういうの全然なくて、二人の感覚というのはまるでわからない。仕事を褒められたり感謝されても、あまり嬉しくない。仕事を通じて社会と関わるのとか、なるべく避けたい。労働時間はゼロが望ましい。時間があればずっと本を読んでいたり映画見ていたりゲームしたりぶらぶらしたり酒飲んだり暇な人を見つけて会話したり遊んだりお金があれば旅行したり、無限にやることがある。労働と違って拘束されず、好きなタイミングで始めて好きなだけ時間を費やし、好きなときにやめられる。意味のないことがやりたい。

スーさんは最近phaさんと仲いいんだから、この辺のことは全部的確に答えてくれそう。

待望の MacBook Air M2 ミッドナイトです

2016 MacBook → 2022 MacBook Air

これまで使用していたMacBookは2016年Earlyモデル、オーストラリアで2,000ドルで購入した。MacBookは5年も使えば限界かなと思いつつ、丸6年使い続けた。当初9時間もっていたバッテリは1時間ももたなくなり、キーボードはよく使うAとSとEとKの塗装が剥げ上がり、ローズゴールドの筐体も手を置く部分ははっきりと色落ちし、あらゆるMacがApple製CPUに置き換わる中で骨董品と化しつつあるインテルMacのまま、何不自由なく使い続けていた。

僕が使用していた12inch MacBookというモデルは、早々になくなった。その後以前からのAir、Proの2モデル路線に戻り、ローズゴールドというカラーバリエーションもなくなった。色の選択肢はシルバー、スペースグレーあたりに落ち着いた。次にMacを買い換えるんだったら、全く新しいモデルチェンジがあったり、カラーバリエーションが出たときにしたい。iMacが新しく7色の展開を始めたとき、MacBookもこの路線になると思った。結局そうはならなかった。

ミッドナイト

今回、僕はミッドナイトを選んだ。7月8日の予約開始当初、ヨドバシカメラのランキングで人気1位のカラーもミッドナイトだった。一見ただの黒。黒なのにMac、黒なのにプラスチック筐体ではなくアルミ。新鮮な印象を受けた。一部では「ミッドナイト・ブルー」という表記もされていたが、公式には見受けられなかった。

従来どおりのキーボード

キーボードは、MacBookで悪名高かったバタフライ方式ではなく、それまでと同様の普通のキーボード。キーを押して沈む感触が懐かしい。前回のMacBookは、オーストラリアで買ったからUSキーボードだった。キーボードに表記された一生使わないかな入力のひらがながなく、スッキリしていた。同時に日本語キーボードではないため変換キーが存在せず、左右の⌘キーを無理やり変換キーに置き換える Karabiner というアプリケーションを常駐していた。今回のMacBook Airはヨドバシカメラで注文したため、USキーボードという選択肢はなかった。6年ぶりの日本語キーボードは、配置に慣れずサイズも13inchに変わり、ときどきキーを見ながら入力しないと間違える。

初めての13inch

MacBook Airを使用してた頃は、長らく11inch一択だった。前回のMacBookは12inch。そして今回初めての13inch。11inchのモデルはなくなっていた。いつからないんだろうと思って調べたら、2016年。めっちゃ前だ。ずっと時代に取り残されていた。11〜12inchを見慣れた僕にとって、13inchの画面は大きいです。ただ僕は小さきことは良きこと思想なため、今後もしまた11inchが出るなら乗り換えます。今はもう、小さいのが欲しければiPad使えということなのだろう。

magsafe

久々のマグセーフ良い。これまでなぜ不採用になっていたのかわからない。前回のMacBookは、給電もUSB-Cポートだった。ストレージは決して多くないものの、外部デバイスを接続する機会はめっきり減った。今のところカメラのSDカードぐらいか。USB-Cポートが2つついていても、全然使わないことだろう。イヤフォンジャックはもっと使わない。

背景画像変えた

壁紙とか待受とかスクリーンとかホーム画面とか、これ世代によって分かれる言葉だな。今の人は何ていうんだろう。僕らの頃は壁紙と言った。mac OS を Monterey にして、デスクトップの背景を変えた。もともとは抽象画のような背景しか用意されておらず、それっぽいのをネットで探して引っ張ってきた。

クリーンインストールはやらなかった

クリーンインストールをやるとめちゃくちゃ時間かかるんですよね。何もないところに、イチから手作業で全部入れていかないといけないから。昔はよく、というより必ず毎回クリーンインストールしていたんだけど、もうそんな気力がない。Macのデータ移行が便利過ぎる。1時間半で全部終わった。iPhoneの機種変更でも毎回データ移行で済ませている。

ケースはまだない ※その後買いました

外に持ち歩く用のケースを買おうにも、2022年モデルにフィットするケースはまだ全然出回っていない。ケース無しで持ち歩くことは怖くてできず、新しい MacBook Air をまだ自宅から持ち出していない。

※その後買ったケース

ちょうどのサイズではなく少し余るけれど、いつまでもケースなしだと持ち出せないため。

体調崩して6日目

ようやく熱は治まったんだけど、ここ3日か4日ぐらいから味覚・嗅覚あと聴覚もちょっと麻痺している。これらは高熱が出た初日や翌日にはなかった。今はお香を炊いても香りがしない、甘さ、苦味などを感じない、音が聞こえにくい、ただの風邪なんですかね、こういう症状を自覚したのは初めてのことだ。鼻の奥のほうが腫れている感じがして、耳や喉のあたりが圧迫されている。それと味覚が関係あるのかはわからない。

今外食なんかに行くと、非常にもったいない時間になる。月末には外食があるため、その時までには治っていてほしい。あと10日ほどか。ここ3日にいたっては、変化なし。ましになる様子もない。

他には、咳がまだ出続ける。あと体力が異常に衰えており、少し歩いたりすると、変な水みたいな汗が大量に吹き出る。今のところめまいなどはおこしてい。

気分はそんなに変わらないんだけど、とにかくなんか体の方は絶不調。一体どうなっておるんじゃ。ぶっ壊れてる。首や背中の痛みも2,3日で治ると言われたのに、もう2週間完治していない。このまま標準化されてしまったりすると、本当につらい。

体調崩して3日目

いまだに微熱が残っている。咳も多く痰も絡む。しかし昨日のような38度超えはいまのところない。少しずつマシになっているのだろうか。

おとついに高熱が出て、解熱剤を飲むと下がり、薬が切れるとまた上がった。高熱が出ると、4月に死んだ父のことを思い出す。父の最初の兆候が、何をどうしても熱が下がらないことだった。大学病院に入院してもその状態がしばらく続き、面会のときも40度以上の熱を出していた。その後腫瘍熱を抑える薬を用いたことで熱は下がり、少なくとも高熱で苦しむ姿は見なくなった。

薬を飲んで、食事を摂って、安静にしていても体調が戻らない。ただ高熱というだけで、父親の苦しみを追体験している気分になる。今は比較的落ち着いているものの、今日もまた高熱が出たらどうしようか。3日続くだけで体力が奪われていっているのがわかる。

2回目のワクチンのときも4日ほど寝込んで立ち直れなかった。子供の頃から風邪をひいて、翌日にすぐ全快するなんてことは滅多になかった。だいたい一週間は引きずっていた。体質が、虚弱なんだな。今回の夏風邪は、夜にエアコンと扇風機をつけたまま布団もろくにかけずに寝ていたせいだと思う。咳と肺の痛みに焦って、診療所で抗原体検査を受けたら陰性だった。既に症状があるときは、抗原体検査も精度が高いらしい。

父親も当初高熱があったから、病院にかかるたびにPCR検査を受けていた。一度も陽性にはならなかった。退院後には、3回目のワクチンも打っていた。コロナは結局父の死と全然関係なかった。僕の症状とも関係ないようだ。

父はヤフオクに骨董品を出品していた。退院してからも身動きとれなかった父の代わりに、落札された商品を梱包して、何度か郵便局に持っていった。自分で行こうとするのを制して、代わりにやった。

僕もヤフオクに出していたものが日曜日に落札され、昨日解熱剤を飲んで熱が下がったタイミングで、梱包して郵便局へ持っていった。顔中に汗をかいた。

父親の病気が発覚する前、立ちくらみがして休憩したことがあった。そのときに滝のような汗をかいていたと、後から知らされた。それは病気がわかる2週間ほど前のことだったけれど、その時点で検査をしていたとしても結果は変わらなかっただろう。

父の病気については、後悔のしようがないぐらいどうしようもなかった。あのときあーしてれば、というのは全然ない。例えば、入院させてあらゆる検査を受けて抗がん剤を投与して体力を消耗して、寿命を縮めたかというと、結果的にはあまり変わらなかったと思う。入院したことで原因がわかり、心の準備ができたことの方が大きかったんじゃないか。あのまま入院していなければ、どこかのタイミングで急死していただろう。そういうことが、自分がささやかな苦しみを味わっている渦中で、思い浮かんでくる。

心身の疲れが溜まって、今寝込んでいるのかもしれない。自覚はなかったけれど人にそう言われ、そうかもしれないと思った。メンタルが弱く、体が弱く、すぐに体調に反映される。今年はずっと無理をしていた。それが今体調を崩す原因になっていてもおかしくはない。自分の場合、泣いたり落ち込んだりするだけで治まらず、すぐ体に不調をきたしてしまう。熱が3日続くぐらいは、そう大したことでもない。

ただこの3日間、急を要すること以外は全然何もする気が起こらなかった。寝込んでただじっとしているだけ。本もNetflixも全然見ていない。父親は入院中にやることがなさすぎて、ずっと本を読んだりマンガを読んでいた。自宅療養に切り替わっても、Netflixを見たりゴルゴ13を読んだりしていた。

自分には今その気力がない。長く続くとそうなるのかもしれない。今こうやって日記が書けているから、今日できっと回復する。

今週のお題「最近あった3つのいいこと」

こういうの、人は覚えているもんだろうか。 嫌なことはいっぱいあって、いっぱい覚えているんだけど、いいこと、いいことか。なんかあったかな。 しかも3つか。ひとつでも難しいのに3つときたか。いいことなんか、全くない。

いいこととは、いわゆるラッキー的な話だろう。アンラッキーならいっぱいあるんだけど、ラッキー的なことって何か一つでもあったかな。何か当たったとか、そういうのはない。何かもらったとか、いい目にあったとか、全くない。最近どころか、全然ない。

むしろ、いいことください。まあでも実際、いいことを求めていないというのはあるかもしれない。「なんかいいことないかな」なんて思うことがない。いいことってなんだろ。俺にいいことを教えてくれ。

お題の詳細には例として、「久しぶりに友人と会えた」「話題の日傘が買えた」「お天気でベランダの植物が元気」など、とある。こんな感じか。

最近あった3つのいいこと

だったら傘つながりで

5年前に買って一度も使ったことのなかったH&Mの折りたたみ傘が、意外と使い勝手よかった

こんな感じか。素朴だ。他に、

ジョギングアプリを入れて久々に走ったら爽快だった

こういう感じであってるんじゃないか。地味でいかにもそれっぽい。3つ目最後

あんまりだと思っていたレコードを聞き直したらそんなに悪くなかった

よし3つ。

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今週のお題「最近あった3つのいいこと」

マイナポイントの使いみちを考える

突如降って湧いた1万5千円分のPayPayポイント。どうしたもんか、何に使おうか迷っている。どうでもいいけど普段の決済手段はApple WatchによるQUICPayで、これに優る楽な手段は今のところマイクロチップ埋め込みぐらいしか思いつかない。

PayPayを使い慣れないため、今回のような形でいざポイントが入るとなると、実際使うときに戸惑うこと必至。2、3回は使ったことあるけれど、もう覚えていない。公式ページで確認したとて、いざ決済になると「本当にこれで大丈夫か?」という気持ちがよぎることは想像つく。

そんなことより、何に使うか。僕の場合は所詮物を買うことぐらいしか思いつかない。さて、何を買おうか。

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  • 細々としたもの
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